いやはや、自分の段取りと要領が悪かったせいだが、疲れた。
大文字、船は以前に写真を撮っていて、妙、法、左大文字は写真にはしていないものの見てはいたが、鳥居は見たことがなかったので、見てきた。
なぜ疲れたかというと、同時開催の広沢の池・灯篭流しをリサーチ不足で、鳥居は清滝道から間近で見ようと思っていて、どちらも見ようとその場でバタバタしたからである。
結果的には満足できたので、良かった。
清滝道の、鳥居の山の麓からの見所は、点火タイム。
松明を持った男たちが縦横に走って、点ごとに火をつけて回る様子が見て取れるところだ。
写真的には、露出具合の調整中に始まってしまい、あわててピントが外れているのに気づかず、悔いを残すものになってしまった。
清滝道のポイントは背景込みで撮るにはイマイチだったので場所をちょっと移動して、もう一枚。
鳥居は大文字に比べてとても低いので、妙な感じだ。
あと、これは言うべきでないことだが、田舎くさい。
ついでに、点火前に六道が辻から適当に撮ってみたもの。画面右、M字の光点が鳥居の位置の目印に焚いてある火。
この碑と鳥居形を綺麗に収められそうならここから撮っていても良かったが、どう見ても無理だったので、やめた。
観光的にちょっともったいない風景。
大文字、船は以前に写真を撮っていて、妙、法、左大文字は写真にはしていないものの見てはいたが、鳥居は見たことがなかったので、見てきた。
なぜ疲れたかというと、同時開催の広沢の池・灯篭流しをリサーチ不足で、鳥居は清滝道から間近で見ようと思っていて、どちらも見ようとその場でバタバタしたからである。
結果的には満足できたので、良かった。
清滝道の、鳥居の山の麓からの見所は、点火タイム。
松明を持った男たちが縦横に走って、点ごとに火をつけて回る様子が見て取れるところだ。
写真的には、露出具合の調整中に始まってしまい、あわててピントが外れているのに気づかず、悔いを残すものになってしまった。
清滝道のポイントは背景込みで撮るにはイマイチだったので場所をちょっと移動して、もう一枚。
鳥居は大文字に比べてとても低いので、妙な感じだ。
あと、これは言うべきでないことだが、田舎くさい。
ついでに、点火前に六道が辻から適当に撮ってみたもの。画面右、M字の光点が鳥居の位置の目印に焚いてある火。
この碑と鳥居形を綺麗に収められそうならここから撮っていても良かったが、どう見ても無理だったので、やめた。
観光的にちょっともったいない風景。
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