ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

禅。

2009-01-15 09:16:06 | 音楽・映画
きのうは角川シネマ新宿で「禅 ZEN」を観てきた。
水曜/1000円デーということで、人が多い!とくにシニア夫婦。

去年、立松和平の「道元禅師」を読んでいたので
道元の生い立ちみたいなものは
すぐ思い浮かべることができた♪

この映画では「あるがままの真実の姿を見て受け入れること」、
「捨て去る勇気をもつ」ことがテーマとなっている。

毎日の生活では、嫌だと思っていても、
目の前のことをしっかり行うこと。
仕事も、掃除も、料理も、あっちのほうがいい、
あの人のほうが恵まれていると思わずに
自分に与えられたことを
しっかりと続けていくことが大切なんだと思う。
映画のなかでは、欲望という“目隠し”をとることが悟りだといっている。

悟りを得るために坐禅をするのではなく、ただひたすら坐ること。
悟りを得ようと考えること自体、まだまだ修行が足りない。
只々、煩悩を捨てて坐禅に打ち込むこと。

仏陀自身は「南無阿弥陀仏」とも
「南無妙法蓮華経」とも唱えたわけではないので
道元の教える坐禅「只管打坐/しかんたざ」こそ、
正真正銘、正統の修行を引き継いでいると思う。
映画では、中国(宋)に渡って正師と会い、ひたすら坐禅修行を行い、
ついに悟りを開くあたりをもう少し詳しく描いてほしかったのだが。。。

そして、北条時頼に語る、池に映る月のシーンは、
なんだか意味が違うように思えたのだが。。
本来は、自分の心が揺らいでいたら心に映る月も揺らぐもの・・・。
すべては自分の心が決める・・・ということだと思っていたのだが
映画では、時の執権者、北条時頼が池に映った月を
刀で切って消そうとするのだが、月は消えることはない。
抵抗しても、しかたない。だから、身の上に起ったことは
あるがまますべて受け入れるように・・・という解釈になっていた。

そして映画的に恋愛フィクションみたいなものも混ぜ合わせていたが、
個人的には、もっと説教じみた、教育テレビの「道元入門」みたいな
内容でもぜんぜんOKだったのだが。。。

いま生きているということ/小室等 
http://jp.youtube.com/watch?v=uU-ps8Cbsok&feature=related

ぜん.jpg

コメント
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