鎌倉を訪問して、改めて、あることに気づかされました。それは、日本の歴史上、「倒幕」という革命が二回あった、という事実です。
一度は、当然、明治維新。もうひとつは、忘れがちな「建武の中興」。後醍醐天皇を中心として、鎌倉幕府への討幕運動です。一旦は成功しかけたクーデーターですが、結局、北条から足利に政権が代わっただけで、後醍醐天皇が夢見た、勤皇政治にはなりませんでした。
その後500年程度、革命はなく、武家政権が続くわけですが、とても不思議な感じを受けます。
それだけ、ある意味では、明治以降の勤皇政治には無理があったのかもしれません。それが、60年前の敗戦、という悲劇の原因なのかもしれません。
後醍醐天皇も、明治天皇も、そんなことは夢にも考えず、民の幸せを願っていたのでしょうが・・・・
一度は、当然、明治維新。もうひとつは、忘れがちな「建武の中興」。後醍醐天皇を中心として、鎌倉幕府への討幕運動です。一旦は成功しかけたクーデーターですが、結局、北条から足利に政権が代わっただけで、後醍醐天皇が夢見た、勤皇政治にはなりませんでした。
その後500年程度、革命はなく、武家政権が続くわけですが、とても不思議な感じを受けます。
それだけ、ある意味では、明治以降の勤皇政治には無理があったのかもしれません。それが、60年前の敗戦、という悲劇の原因なのかもしれません。
後醍醐天皇も、明治天皇も、そんなことは夢にも考えず、民の幸せを願っていたのでしょうが・・・・
黒幕が誰という話ではありませんが、結局、中央集権体制の真ん中に天皇を据えるのが座りがいいというか都合がいいといった考えだと思います。
私は神社等に付いて色々観察しているのですが、明治以降に建てられた神社がほとんどそういった体制維持のためのものであった事が良く解ります(靖国がいい例です)。
ただ、その建築様式は私たち日本人の美感を見事に集積しており、先の話を別にして考えるとその美しさには陶酔してしまうくらいの魅力があります。
ナチスドイツの集会等でも盛んに利用されたプロパガンバの中にも大変よく似た方法があり、中央集権という大衆をまとめる手法の中に共通した美感が存在するように思われます。