河童の歌声

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あれから76年の広島

2021-08-06 13:57:51 | 日記
合唱曲 折り鶴 おりづる ~ 平和への祈りを込めて ~


昭和20年8月6日、午前8時15分。
広島に原爆が投下されてから76年の歳月がたちました。

私達が広島に行き、原爆資料館を訪れたのは2016年5月でした。



広島といったら(牡蠣)だろうというので、
まずしっかりと地元産の牡蠣を堪能したのでした。



個人的には若い頃、何度か広島には行ってますが、
原爆ドームを遠くから眺めた様な記憶があったような・・
ですから、しっかりと内部へ入ったのは勿論初めてで、それは妻も同じでした。



沢山の訪問者には、外国人の姿がいっぱいでした。



たったこれだけの小型の爆弾なんですが、
それが実はとんでもない悪魔だったとは。



爆弾は原爆ドーム上600メートルの位置で爆発したそうです。





その結果はあまりにも悲惨過ぎる地獄絵となったのです。





私達は、2歳の時に被爆し、それから10年後に原爆症の症状が表われ、
12歳で亡くなった、佐々木禎子(さだこ)ちゃんの本を読んでいたので、
その悲しさがひしひしと伝わってきました。



禎子ちゃんが生への祈りを込めて折りあげた千羽鶴、
それを見つめる禎子ちゃんと同年齢の女の子たち。







見る物すべてが、佐々木禎子ちゃんの悲しさと重なってしまい、
その残酷さに涙しました。



原爆ドームを眺める、これはスイスからの団体さんだそうです。
どんな思いで、この記念物を見て、何を感じたのでしょう。

広島旅行のあと、歌声喫茶に行っても妻はしばらくは「折り鶴」は、
歌えない状態になってしまいました。
佐々木禎子ちゃんの事を思い出して涙ぐんでしまうのですね。





それとは別に、広島オリエンタルホテルにはビックリしました。
だって、あんなガラス張りのトイレなんて・・あれは無いよね(笑)


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2 コメント

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コメントありがとう (河童)
2021-08-07 12:22:56
被爆二世の方なんですね。
という事はお母様が幼少時に被爆され、その後結婚してアナタが生まれたという事なんでしょうね。

爆心地かた1キロという生存者は居ないと言われる至近距離での被爆で生き残った。
それは凄い事ですね。

何かで読んだか聞いたかしたのですが、戦争の体験談とかは、意外と若い人達には伝わらないんだとか。それは悲しい事だと心が痛みます。

私の歌声仲間にも3歳か4歳くらいの時に広島で被爆し、姉を失くした男性がいますが、自分もいつ死ぬかと、とても暗い青春時代を送ったそうです。
でも幸いその方は被爆症が出る事もなく、元気で過ごしていますね。

広島の資料館を見ると、人間として深く想い詰めてしばらくは立ち上がれないショックを受けました。
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戦後は続くよどこまでも (Unknown)
2021-08-06 15:26:55
暑い日とコロナが猛威を振るっている今日この頃。。。

僕は、長崎の原爆二世です。

もう五年以上まえに
一世の母、家族旅行で
この地を訪れました。

爆心地から一キロの西町で被爆
公式では、その場での生存者がいないため
母の原爆手帳は、1.5キロと記載があります。

戦後は続くよどこまでも、、、、

ただ、若い世代は
自分のこどもを見ていても
遠い過去のなんとなくな話になってる気がします。

今一度、立ち返って
ちゃんと伝えないといけないのかもしれません。
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