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大磯・坂田山心中・天国に結ぶ恋

2021-01-19 07:04:24 | 歴史
天国に結ぶ恋 映画主題歌を歌う緑咲香澄


1932年(昭和7年)5月9日、
東海道本線・大磯駅の裏にある坂田山の松林で若い男女の心中死体を、地元の人が発見しました。







男性は、慶応大学の制服、女性は和服姿の美人でした。
捜査の結果、身元は、
男性は東京港区の慶応大学生、華族、調所広丈の孫、調所五郎(24歳)
女性は静岡県駿東郡の素封家、湯山家の娘、湯山八重子(22歳)と判明しました。



彼女は2年前まで頌栄高等女学校に通学していました。
二人はキリスト教会で知り合い交際を始めましたが、
女性が健康上の理由で女学校を退学し、
静岡県の実家に戻った為に、遠距離恋愛をしていました。



男性の両親は交際に賛成していましたが、
女性の両親は反対して別の縁談を進めようとしていた為に、
二人は(永遠の愛)を誓って心中したものと思われます。

二人の遺体は遺族が引き取りに来るまで、町内の寺に仮埋葬される事になります。

翌10日、寺の人が女性の死体が消えている事を発見。
周辺には女性に身に付けていた服が散乱していました。
心中事件は一転して猟奇事件へと発展します。



翌11日、墓地から300メートル離れた海岸の船小屋の砂地から、
一糸まとわぬ姿で八重子の遺体が発見されました。
後に、火葬場場の65歳の男の職員が逮捕されました。

亡くなった女性の遺体は綺麗だったという警察の発表により、
新聞は二人がプラトニックラブを貫いて心中した事を盛んに報じ、
「純潔の香高く、天国に結ぶ恋」の見出しで掲載しました。



それから間もなくロマンチックに美化された同名の映画や、
歌が創作され大人気になりました。
これ以後、坂田山で心中する男女が後を絶たず、この年だけでも20組が心中。
1935年(昭和10年)までの自殺者は200人にのぼりました。

坂田山は元々、八郎山という名前でしたが、
第一報を報じた東京日日新聞の記者が、(詩情に欠ける)という事で、
大磯駅近辺の字名(坂田)を冠して、
勝手に坂田山と命名し、以後、これが定着する事になったのです。



しかし、時代ですね~。
たった一組の男女の心中が200人を超える男女の死を招いたのですから。
現代ではおよそ考えられない事だし、
心中事件などというのは、現代では(死語)と言っても過言ではないでしょうね。

でもチョッピリ、そんなにも純粋で美しがられる死というのも、いいかな(?)
そんなウブな女性というのは、大概は和装の似合う細身の美人とかでしょ。

そういった目でハタと我が妻を眺めると、・・・ま、 いいか。



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