ゼーアドラー号(海の鷲)は、
第一次世界大戦で活躍したドイツの帆船(仮装巡洋艦)です。
いくら昔の話とはいえ、1914年~1918年当時には、
帆船は既に時代遅れになっていた古い船でした。
その時代錯誤の帆船が敵を相手に大活躍した事、それは、
活躍というより「冒険」と言った方が相応しく、それは又ロマンでもありました。
艦長は、フェリクス・フォン・ルックナー伯爵。
1881~1966(84歳)
ルックナー伯爵家に生まれた彼は、幼い頃から海軍士官になる事を望み、
アメリカ大陸に渡る事を願っていた少年でした。
13歳の時に家出して、偽名で帆船の乗組員になります。
それから7年間、様々な職業を転々として過ごしました。
しかし、その大半は水夫として過ごしていました。
1903年(22歳)ドイツへ帰国したルックナーは航海士の訓練学校へ入学。
1905年(23歳)海軍士官になった彼は10年ぶりに故郷へ帰ります。
行方不明になり、とっくに死んでいたと思っていた両親は、
息子の10年ぶりの帰還に狂喜したそうです。
(そりゃそうだよな、「息子よ、何で連絡ひとつ寄こさなかったんだバカタレ」だよね)
それから彼は船長になる為の勉強をして試験に合格します。
そして、ドイツ~アメリカ航路の船で働いていましたが、
そんなルックナーに海軍への勤務を命ずる辞令がある日届きました。
その辞令に応じて1913年、南アフリカでの砲艦配属になりますが、
その時にドイツ人実業家の娘、ルイスに出会いひと目惚れ。
ドイツに帰国後に二人は婚約しました。
(な~んか、お前さんて、いい風にいい風に行ってる気がする)
(実業家の娘さんに一目惚れって・・ズルい)
1914年、第一次世界大戦が勃発します。
イギリスに対し劣勢になったドイツは、潜水艦などによる、
通商破壊戦(商船を沈め手足をもぎ取るやり方)に移行しますが、それは容易ではありません。
そこで商船に化けた(時代錯誤の)帆船なら敵の目をくらませる事が、
出来るのではないかと考え、帆船の経験が長く、
語学も堪能なルックナーに白羽の矢が立ったのでした。
仮装巡洋艦には拿捕(だほ)したアメリカの3本マストの船が選ばれ、
改造して使用する事になりました。
2門の105ミリ砲、2挺の重機関銃が外からは分からない様に装備され、
1916年12月、63名の乗組員と共に、
ゼーアドラー号はドイツを出港し、大西洋に乗り出して行きました。
ゼーアドラー号は敵を発見すると、空っとぼけて接近し、
不意にドイツ国旗を掲げて威嚇射撃。
(お前な~、お前ってホントにズルいんだよな)
敵を停船させてから敵船の乗組員全員を捕虜にしてゼーアドラー号に収容。
それからおもむろに敵船を爆薬などで沈めるのでした。
捕虜達には、船の航行の邪魔をしない限りは船内で自由にする事が許されました。
(エッ、お前あんまりズルくないじゃんか)
捕虜になった人々にゼーアドラー号と船長ルックナーを悪く言う人がいないのは、
この騎士道精神と彼の人徳によるものと思われます。
(ズルいどころか、いい奴じゃんか)
ある日、イギリス船籍のホーンガース号を発見します。
ホーンガース号には5インチ砲が備えられ、無線装置も備えられています。
正面からの撃ち合いでは勝目はないので、計略を使います。
まず、煙を盛大に噴出させて火事に見せかけます。
そして、ここからが面白い(笑っちゃう)
女装させた童顔の船員を甲板に立たせて救いを求めさせます。(あっれ~、たすけて~)
まんまと計略に引っかかって近づいて来たところで、すかさずドイツ国旗を掲げ、
大砲の狙いを無線室に定めて発砲、無線を破壊します。
しかし、イギリスとてこんな事にめげずに戦う意思は充分にあります。
ここからが、ルックナー船長の頭の良さが冴え渡るのです。
彼は声の大きい船員にこう叫ばせるのです。
「魚雷発射用意」と。(いえね、魚雷なんて全然持ってないんですよ)
これを聞いたイギリスは恐怖のあまり降伏したのです。(爆笑)
(お前はな~、ホントにズルい奴ちゃ)
捕虜の収容人数が限界に近づいたゼーアドラー号は、
フランスの帆船を捕獲すると、それに捕虜全員を乗せ陸地へ向かわせます。
ルックナー船長は捕虜達に日数分の給料を支払い、
更に、お土産にシャンパンなどを持たせて送り出したのでした。(感涙)
捕虜たちの話から、ゼーアドラー号の存在が判明し、
イギリスはゼーアドラー号を追い求めます。
それに対し、ルックナー船長は予備のボートにゼーアドラー号と記入して、
海に流し、その内の数隻がイギリス船に拾われ、
ゼーアドラー号は沈没したと発表され、ゼーアドラー号の追撃は中止されます。
ゼーアドラー号は大西洋から太平洋へと乗り出しました。
太平洋ではアメリカ・イギリス・日本の軍艦が網を張っているので、
中々思う様な行動が取れず、その内、食料や水も欠乏してきたので、
リーワード諸島に到着。しばしの休息になりましたが、
津波に遭遇してしまい、船は暗礁に乗り上げて航行不能になってしまいます。
8月2日。ルックナーは代わりの船を調達しようと小舟で脱出。
様々な場所で様々な体験をしながら流れ流れて行きますが、
そんな間に第一次世界大戦が終結しました。
1919年7月。彼はドイツに帰国を果たしました。
ルックナーの業績は広く知られていた為に、ドイツでは大歓迎を受けたのです。
リーワード諸島に取り残されていた船員たちも様々な体験をしつつ、
生きてドイツへの帰国を果たし、
1920年1月、ルックナー船長らと彼等は再会を喜び合ったのでした。
世界中が大騒ぎして戦争やってるってのに、
俺達は戦争なんて知らんみたいな顔して、ちゃっかり戦争やってる。
そんでいて敵の捕虜達からは、その人望を讃えられ「時の人」になっちゃう。
負けたとはいえ、一応は戦争やってた(らしい)
それで後世の人からは、時代錯誤の船で立派な業績をあげ、
あれは戦争じゃなくロマンだったなどと讃え祀られちゃうなんて、
全くいいとこ取りのズルい奴で、憎い奴であり、憎めない奴だったな。
やっぱり、お前はズルい!!
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