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あき竹城

2021-10-16 07:07:39 | 日記


あき竹城というタレントがいますね。
彼女は女優なのでしょうか、いわゆるタレントなんでしょうか?
ま、どっちでもいいんですが。

あき竹城というと、
私は寅さん映画のあるシーンを思い浮かべます。



それは第26作(昭和55年)の「寅次郎かもめ歌」
北海道、奥尻島が舞台で、伊藤蘭がマドンナを演じていました。
そのラストシーン、通りかかったマイクロバスに拾われた寅さん。
そこに乗っていたのは以前、縁のあったイカ加工工場の従業員たち。
その中に、あき竹城が乗っていて、「今夜はオレ、ストリップやるか。
おいお前もやれ」などと職場の女性達をけしかけ大笑いをするシーン。
それは、あき竹城そのものの人間性丸出しの姿。
そんな感じのするシーンでした。

ところが、あき竹城という女性はそれとは正反対。
実は、普段はおとなしい性格で、家で何かをするのが好き。
一人で静かに裁縫だとかをしているのが好きなのです。
あのガラッパチで明け透けで、騒々しい女とは全然違うのです。

私が彼女に興味を持ったのは、それを知ってからでした。

あき竹城(本名・竹田明子)1947年(昭和22年)4月4日生まれ。
山形県米沢市出身。米沢市の観光親善大使を務めています。
身長164センチとやや大柄です。

6人兄妹の末っ子として生まれますが、
バイオリン奏者をしていた父親が、彼女が3才の時に亡くなります。
母親は行商をして生活を支えました。
小学校4年の時からモダンダンス教室でダンスを習いました。
子供の頃からダンサーに憧れていましたが、
修学旅行で東京に行った時にショウを観て芸能人に憧れ、
中学卒業後に上京して舞台の仕事をしていた姉の付き人になり、
その後ダンサーとしてデビューしました。

ヌードダンサーとして活動し1974年(27歳)に、
日劇ミュージックホールの舞台を踏んだ後、コントに出演します。
山形弁まる出しキャラクターを持ち味にしたコメディアンとして話題になり、
テレビ出演もする様になります。



映画監督の今村昌平に抜擢され「楢山節考」に出演した事で、
女優としても認められる様になります。

彼女はプライベートな事は殆ど語らず、
ただ、平岡久典という服飾関係で8歳年下の男性と、
1988年、41歳の時に結婚しています。
彼との交際開始後14キロのダイエットに成功したり、
好きな色はピンクという辺りに、女らしさが現れていますね。
その後は子供の有無も一切語らないそうです。



そういった事もあって、たこ八郎と恋人関係ではないのかと、
噂になったりしました。



たこ八郎は山田洋二監督の映画「幸せの黄色いハンカチ」で、
高倉健から殴り倒されるヤクザを演じて名を挙げましたが、



実はフライ級で全日本チャンピオンにもなった、元プロボクサーで、
現役時代に頭部に受けたダメージによりパンチドランカーになり、
(パンチドランカーは痴呆症的になったり、オネショをしたり)
そういった事でチョッと子供みたいな7歳年上のたこ八郎を、
あき竹城はまるで母親みたいに面倒を診たそうです。

たこ八郎とは一緒に海外旅行に行った事もあり、
その時もたこ八郎からサイパン旅行に行かないかと誘われたあき竹城は、
多忙を理由に誘いを断ったそうです。



その間に、たこ八郎は真鶴の海で酒を飲んでの海水浴で、
44歳で溺死してしまいました。
タモリの「笑っていいとも」に出演中のあき竹城は、
タモリからたこ八郎の死を伝えられ、その場で号泣したそうです。

彼女は「自分がたこ八郎を死に追いやった」と思い続け、
自責の念で、彼の死後27年間、一度も墓参りには行かなかったそうです。

あき竹城は、仕事中は文句ひとつ言う事はなく、
終始明るい性格のままで、全てのスタッフに丁寧に挨拶をする。
そういった姿が好感を持たれ業界人から評判が高いそうです。



独り静かに家で何かをしているのが好き。
彼女の本当の姿を考えながら、
これからの、あき竹城を見守って応援していきたいと思います。





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