傷痍軍人(しょういぐんじん)という人達が街中でこういった姿を晒していたのは、
いつ頃までだったか?
1970年代までは、まだ居た様に思います。
と言うのは、写真学校の同期生の父親が戦争で傷を負った人で、
その父親は街中で「物乞い」をする行為を嫌っていたそうです。
街中で彼等を見た友人が「俺のオヤジはああいった行為を嫌っていた」と言っていたからです。
戦争で深い傷を負った軍人には、恩給が出るそうで、
それがあれば、別に街中での物乞いなどしなくても生活出来るのだとも言っていました。
その辺は私には分からない事ですが、そうなのかも知れません。
小学生、中学生の時は、そういった軍人の姿をもっと見ていました。
あれを見ると、彼等と同じ年代の人達、特に女性は援助してしまうのです。
「私はこうして元気なのに、あなた方は本当に辛いんでしょうね」と、
何か彼等に対して申し訳ないというひけ目を感じてしまうのでしょうね。
「レイテ海戦にて負傷」とか書いてあると、
中学生時代から戦争の本などよく読んでいた私には、
それがフィリピンの激戦地だったと知っているので、
子供心に同情してしまうのでした。
私だって、生まれる時代がチョッと早かったら、彼等と同じだったかもしれない。
そう思って、気楽に通り過ぎる気持ちにはなれないのでした。
彼等が本当に戦争で傷を負った軍人かというと、
中には戦争とは関係ない傷なのに、嘘をついて物乞いをしていた人もいたみたいです。
「乞食は3日やったらやめられない」という事です。
でも、いくら恩給が出ると言っても、それほど沢山貰ってはいなかったんでしょうね。
朝鮮人で、その頃は「君たちは日本人なんだ」とか言われて日本軍人として戦争に行き、
負傷した傷痍軍人も沢山いたのですが、
戦争中は「君たちは日本人だ」と言われていたのに、
戦争に負けると政府は手の平返した様に、知らん顔。
日本の傷痍軍人が貰っている恩給も、彼等には1円も出ずだったそうです。
その理不尽さを、映画監督の大島渚が1963年に26分間の映画にしました。
反骨の映画監督のドキュメンタリー映画は、大きな反響を呼んだそうです。
DVDはされていないのですが、
大島渚、映画「忘れられた皇軍」とかの言葉をしつこく検索すると、
観る事が出来ます。
もう殆ど死に絶えてしまった過去の人達、男たち。
戦争という悲しい、悲惨な、忘れられない悲劇。
それを生きながら、戦争の悲惨さを訴えていた彼等。
彼等の、あの物乞い姿も、忘れてはならない大切な事でした。
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