河童の歌声

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あの無念さは、取り返しが尽きません

2023-05-18 16:17:33 | 日記
2019年5月3日の「河童の歌声」ブログに書いたのですが、
「今日の一曲・上海の花売り娘」







私は中国人妻と、1歳10ヵ月の愛娘、万里子と上海から太湖観光に向かっていました。
電車内は満員でした。
向かい側に座っていた老婆は、一度も、、絶対に、私達を見ようとはしませんでした。

私は母から聞いていました。
娘時代に中国・満州で青春時代を過ごした母は、
「上海では今でも日本人を恨んで何をするか分からない人が居るよ」と、
そう聞かされていたのです。
それはつまり、日本軍によるあの残虐行為で、
どれだけの中国人が悲惨な目に遭わされたかという事実を言っているのです。

私は個人的に(軍艦オタク)というのがあって、
多分、人の何倍もの軍事もの、戦記ものの本を読んでいるので、それは勿論知っています。
しかも私の父親は陸軍将校として中国に数年間滞在していたので、
父親の昔の写真を見ると、
父は、彼にとってはきっと人間以下の存在であったろう中国人達との記念写真が残っているのです。

私の父親は、自分が帝国陸軍将校である事に揺るぎない誇りを持ち、
自分がどれほど絶対的な存在であるかと、我が世の春を謳歌していたのだと思います。
なので、日本が戦争に負けた後は、まるで(ふぬけ)となってしまったのでした。


私達、妻子は日本語で会話をしていました。
日本人が聞けば、妻の話す日本語は明らかにおかしく、
これは、きっと中国人妻なんだろうと、すぐにバレてしまうと思うのです。
しかし、向かい側の席に座った中国人の老婆には、
私達は日本人の夫婦にしか感じなかったのです、それはよく解ります。
だから、彼女は私達(殺してもあきたらない残虐な人種、日本人)など、
見たくもないし、同席するのも耐え難く、不愉快極まりなかったんだと思うのです。

そういった彼女の心を私が感じない筈はありません。
私は、もうわかり過ぎるほどわかっていたのです。
ですが、私達は今、楽しい里帰りの中国旅行中であり、
私は妻と、愛娘との楽しい会話を楽しんでいる、最中だったのです。

なので、彼女の存在をそれほど重要視する事なく、やり過ごしたのです。
それが、後になって、どれほど私の心を苦しめる事になろうかなんて、
その場では思いもしなかったのです。

私は、その頃、多少の中国語は話せたのです。
まして、隣には完全な中国語を話せる中国人妻がいたのです。
「トィプチー、トィプチー」
「ワォーシイー、リーベンレン」
「すみません、すみません、私は日本人です」くらいは中国語で言えたのです。

「私は日本人ですが、妻は天津出身の中国人です」
「私は戦争後に生まれたので、旧日本軍が行った残虐行為は私には無関係です」
「しかし、私は日本人ですから、貴方たちがどれほど日本人を恨んでいるか、憎んでいるか、
それはよく理解しています、私には何の責任もありませんが、
あの日本軍と同じ日本人として、あれは本当に悪かった済まなかったという気持ちを持っています」
「私が謝ったからと言って、貴女にはどうにもなりませんが、
私は、日本人、中国人、以前に、まず人間として貴女に謝りたい、
ごめんなさいと言いたいのです。本当にごめんなさい」


人間は、国籍がどこであろうが、人種がどうであろうが、
まず、人は人であり、同じ人間としての「心」を持っています。
私は、あの時、ひとりの人間として、
同じ人間なのに、あれほどの悲しみを、つらい思いをした、あの老婆に、
心から「ごめんなさい」と、それだけを伝えたかった。

上海の花売り娘 - (샹하이 의 꽃파는 아가씨)


30年も前の事です、あの老婆はもう居ないでしょう。
本当に口惜しい、心残りです。
何で俺はあの時、それを彼女に言わなかったんだろう・・




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