楠木繁夫 - 女の階級
「女ごころ」・・男子として生まれ、こんなにも悩ましい言葉はないのかも知れない。
「女ごころと秋の空」とか・・・
男性として生まれようが、女性として生まれようが、
突き詰めるトコ、所詮行きつく先は、いい相手に出会う為にあると言っても過言ではない。
それは、人間以外の動物行動を見れば一目瞭然。
オスは自分の子種を残してくれるメスを求め、
メスは、強いオスの遺伝子を残したいと願う。
政財界、芸能界によくある強い男、いい男が、様々な浮名を流し、
隠し子をもうけたり家庭争議になったりする。
動物界で言ったら、それは至極当然。
女は強いオス、優れたオスの遺伝子を受け継ぎたいのだから。
でも、現代はそういった出来事は不謹慎、人としてあるまじき行為として、
世間からの承認を得られない。
それどころか社会的な地位を失ってしまったりする。
そういった(男目線)での行為は、甚だ許されざる行為として、
世間から、特に女性からは軽蔑され総スカンを喰ってしまう。
とは言っても、オスでありメスである以上、
建前だけで生きている訳じゃなし、本音から逃れる事など出来っこない。
だから「女ごころ」「男ごころ」が取り沙汰される。
「男ごころ」の話など、私的にはしたくもない、ど~でもいい世界。
しかし「女ごころ」の悩ましい事ったら、ありゃしない。
過去にどれだけ、この「女ごころ」が掴めなくて悩まされた事か・・・
何度、失恋の憂き目をみ、何度狂おしい想いをした事か。
「あ~、彼女の心を掴める接着剤が欲しい」と本気で何度も思った。
でも、そういう私も、反対に女性から、
「貴方は女ごころが判っていない」と何度か言われた事があった。
そういう女性というのは、こちらから見ると、そそられる部分の少ない女性であり、
要するに意識の薄い女性だったと思うので、あまり記憶に残っていない。
60歳を超えてからハマッた歌声喫茶の世界でも、
4回くらい、「貴方は女ごころが判っていない」と言われた事があった。
でもその当時は、ある女性の「女ごころ」が掴めなくて苦しんでいた時だったので、
あまりそれについて深く考える余裕が無かった。
今にして思うと、ずい分と失礼だったと反省している。
人間も動物であり、オスとメスが在る以上、
相手の「心」と深くかかわらざるを得ない。
「心」とかかわるというのは、こちら側にも「心」があるからであり、
(そこ)に得も言われぬ悩ましく、狂おしい世界が存在する。
もう年齢的に、悩むというのはないと思うのですが、
若い人達が、「女ごころ」「男ごころ」に、
悩み、苦しみ、悶える姿は、ある種美しくもあり、微笑ましく羨ましくもあり、
私達老人も、己の若き日の姿を思い出し、「夢よもう一度」と、
彼等、若人にエールでも送りたくなるのです。
「女ごころ」・・男子として生まれ、こんなにも悩ましい言葉はないのかも知れない。
「女ごころと秋の空」とか・・・
男性として生まれようが、女性として生まれようが、
突き詰めるトコ、所詮行きつく先は、いい相手に出会う為にあると言っても過言ではない。
それは、人間以外の動物行動を見れば一目瞭然。
オスは自分の子種を残してくれるメスを求め、
メスは、強いオスの遺伝子を残したいと願う。
政財界、芸能界によくある強い男、いい男が、様々な浮名を流し、
隠し子をもうけたり家庭争議になったりする。
動物界で言ったら、それは至極当然。
女は強いオス、優れたオスの遺伝子を受け継ぎたいのだから。
でも、現代はそういった出来事は不謹慎、人としてあるまじき行為として、
世間からの承認を得られない。
それどころか社会的な地位を失ってしまったりする。
そういった(男目線)での行為は、甚だ許されざる行為として、
世間から、特に女性からは軽蔑され総スカンを喰ってしまう。
とは言っても、オスでありメスである以上、
建前だけで生きている訳じゃなし、本音から逃れる事など出来っこない。
だから「女ごころ」「男ごころ」が取り沙汰される。
「男ごころ」の話など、私的にはしたくもない、ど~でもいい世界。
しかし「女ごころ」の悩ましい事ったら、ありゃしない。
過去にどれだけ、この「女ごころ」が掴めなくて悩まされた事か・・・
何度、失恋の憂き目をみ、何度狂おしい想いをした事か。
「あ~、彼女の心を掴める接着剤が欲しい」と本気で何度も思った。
でも、そういう私も、反対に女性から、
「貴方は女ごころが判っていない」と何度か言われた事があった。
そういう女性というのは、こちらから見ると、そそられる部分の少ない女性であり、
要するに意識の薄い女性だったと思うので、あまり記憶に残っていない。
60歳を超えてからハマッた歌声喫茶の世界でも、
4回くらい、「貴方は女ごころが判っていない」と言われた事があった。
でもその当時は、ある女性の「女ごころ」が掴めなくて苦しんでいた時だったので、
あまりそれについて深く考える余裕が無かった。
今にして思うと、ずい分と失礼だったと反省している。
人間も動物であり、オスとメスが在る以上、
相手の「心」と深くかかわらざるを得ない。
「心」とかかわるというのは、こちら側にも「心」があるからであり、
(そこ)に得も言われぬ悩ましく、狂おしい世界が存在する。
もう年齢的に、悩むというのはないと思うのですが、
若い人達が、「女ごころ」「男ごころ」に、
悩み、苦しみ、悶える姿は、ある種美しくもあり、微笑ましく羨ましくもあり、
私達老人も、己の若き日の姿を思い出し、「夢よもう一度」と、
彼等、若人にエールでも送りたくなるのです。
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