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河童の歌声

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バンザ~イ、日本人力士の優勝

2016-01-25 05:16:46 | 相撲
日本人力士・栃東以来10年間にわたり優勝のなかった日本人力士による優勝。
琴奨菊によって長年の日本人の悲願は達成しました。

琴奨菊が優勝を決めた瞬間、私は大声で「ヤッターッ」の雄叫び。
それと共に涙があふれました。
この瞬間を、一日本人としてどれほど待っていた事でしょう。
(10年間日本人力士の優勝が無い)
その事がどれほど日本人として屈辱的だった事でしょう。

明けても暮れても外国人力士の優勝オンパレード。
たまにヨーロッパ人力士(琴欧州や把瑠都)が居るが、
後は全部がモンゴル人。
これじゃまるで、モンゴル相撲日本場所。
こんな情けない事態はない。
モンゴルでは、日本人の弱さに皆、嘲笑しているだろうと思うと、
口惜しくて情けなくて、もうテレビなど観たくなくなっていた。
でも、本来は相撲は大好きなので、やはり気になっているのです。

そんな情けない事態に一風を与えてくれたのが「遠藤」
しかし、その遠藤も、全く期待外れを演じるばかり。
そんな中から現れた期待の新人・・・
それが、逸ノ城と輝ノ富士。
なんだよ、なんだなんだ、又もやモンゴル人じゃないか。
それも見れば納得の横綱体型。
それに比べて、遠藤は標準以下の小型体型。
こんな点でも、モンゴル人は我々日本人をなめてるのかッ!

それにしても、彼等モンゴル人横綱の品性の無さにはヘドが出る。
最も顕著だったのが、あの朝青龍。
彼が勝った瞬間にやるガッツポーズ。
あれこそ品性の無さの象徴であり、あれには目をそむけましたね。
朝青龍ほどではないにせよ、白鵬もまた同じ。
そんな彼等は、ことごとく日本人力士の記録を塗り替え、
残る記録はと言えば、双葉山の持つ69連勝、ただひとつだけ。

こんな大相撲に誰がした。
第一級の戦犯は誰なのか?
大相撲は日本人だけのもので、いいんです。
彼等外国人が格闘技で名を挙げたいのなら、プロレスに行けばいいのです。
何も、そんなのを大相撲に持ち込む必要など無かったのです。

それを一時低迷した客の入り。
そして、あまり育ってこない日本人の若者力士。
そんなこんなで導入した挙句がこの始末。
この猿芝居。
こんなの見るのは、もうたくさん、もう見たくないんだよ。

これからの若者たちは、こんな外人ばかりの相撲を、
「大相撲」だと認識し、納得して見ていかねばならなくなるのですか?
そこに日本人の存在感を感じる事が出来るのでしょうか?

若者たちの中には、(外人がいっぱい居たっていいじゃない)
という意見を持つ者が増えつつあるみたいです。
でも、私はイヤなんです。
はっきりとNOといいたいのです。
貴方が外人力士賛成派であろうが何だろうが、とも角私はNOなんです。
そんな相撲は見たくないのです。

外国に出て行ったが為に悩んでいるのが、柔道。
オリンピック種目などになったばかりに、柔道本来の姿が無くなってしまったと、
柔道関係者は悩んでいるみたいですが、
その事に関して私は、あまり意見を持っていません。

外国人の中でも、その国独自のスポーツに興味を覚える人も当然います。
日本人でも、タイ式キックボクシングに身を投じ、チャンピオンになった人も居ます。
彼は当たり前ですが、タイ人からは毛嫌いされました。
「やりたきゃボクサーになればいいじゃんか」と。

同感です。
格闘技がしたかったら、何もその国独自の世界に行って騒ぎを引き起こす事はないので、
他にいくらでも世界的な格闘技があるのですから、そこに行けばいいのです。

それなのに、昔の相撲界の重鎮たちは、
開けてはならないパンドラの箱を開けてしまいました。
そういった短絡的、遠くを見られない目で相撲界を‘改革‘してしまいました。
それが、この結果。
今後これをどうする気なんでしょうね?

もう見たくない相撲の世界がこれからも進んでいくんでしょうかね?
私はイヤですからね、言っとくけど・・・
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大相撲・第二相撲協会を作れ

2016-01-15 20:52:22 | 相撲
大相撲の優勝力士は、2006年1月の栃東を最後にして、
以来10年間、日本人力士は出ていません。

日本人として、こんな屈辱はありませんね。
だって、「大相撲」は日本の国技と言われているんでしょ。
でも10年間、日本人優勝力士と縁の無いスポーツは、もはや「国技」とは言えません。
こんな屈辱的敗北を、そもそも始めた人は、一体誰なんですか?
責任を取って欲しいですね。

そういった外人力士達を見せつけられていると、
いくら日本人だからと言っても、応援したくなる外人力士だって出てくるんですね。
そう言った風に、なし崩し的に、日本の国技伝説は崩壊していくんです。

いくら客入りが悪いからと言って、その解決策を外国人導入に走った結果がこれ!
確かに現在の日本人には、もはやハングリー精神はほとんど有りません。
相撲なんてキツイ商売をしなくたって、食える時代背景となっています。
それに比べ、国が何処であれ、彼ら外国人力士は、
「祖国に帰ったからと言って、おいそれと食える」には程遠い自国があります。
だから、彼等は目の色を変えて、石にかじりついても出世しようと頑張りに頑張っています。
そんな気持ちを持っている人に勝つのは容易ではありません。

最も顕著なのが(稀勢の里)
日本人から、あれほど次期横綱候補と言われながら、
いつも期待外れを繰り返す、情けないヘナヘナ力士。
そりゃそうでしょ。
他の部屋に出稽古に行こうとしないんだから。
そんな根性だから、外人力士に敵う筈なんて絶対に無いんですね。
永遠の期待外れで終わる(力士もどき)です。

モンゴル相撲・日本場所。
それが現在の「大相撲」と言ってる、大相撲もどき・・です。


さて、それはそれとして、
私は、大相撲の第二部屋を作るべきだと考えます。

今の力士を見ていると、大多数がテーピングをしています。
あちこちに故障を抱えているからです。
何故そんなに故障するのでしょう?
「体重が重過ぎる」からです。

幕内力士の平均身長は186センチ。平均体重は160キロ。
異常です、あまりにも異常過ぎる体重。
昔は40貫(150キロ)を越えると「巨漢力士」と言われました。
それが今では平均が160キロなんて、まるで病的肥満児です。

最軽量の力士が、横綱・日馬富士の128キロなんて、
そんな肥満児達の相撲だから、まるでブタの押し合いへし合い状態の相撲。
押し出し、寄り切りばかりの、面白くも無い相撲ばかり。
相撲というのは、「技」を見せるべきであって、
ブタの押し合いへし合いなどではないんですよ。

100キロ未満の相撲部屋を作ったら・・・
体重60キロ、70キロの力士だったら、一体どれほどか面白くなるでしょう。
けた繰り、うっちゃり、猫だまし、八艘跳び・・・
太り過ぎて体重が100キロを1キロでも増えたら、場所毎に罰金10万円とか・・

隣に住んでる(兄ちゃん)が、チョンマゲを結ってる。
訊けば相撲さんだったなんて・・だって体重が58キロだったりして。
そういうの、面白いよね。
155センチ・70キロの力士。
190センチ・70キロの力士。面白いよな~。

そういった(面白い相撲)を私達に見せつけた力士・
それが、あの「舞の海」でした、
大いに世間を沸かせましたよね。
あの相撲が、今・・もう皆無となっています。

もう見たくないんだよ。外人力士の跳梁跋扈。

見たいのは、日本人力士の優勝。
これぞ相撲だという度肝を抜く(技)

もう、今みたいな相撲なんて見たくもない。イヤだイヤだッ!





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最も想い出深い力士・明武谷

2015-09-18 23:56:50 | 相撲


明武谷は、本名を明歩谷と言います。
本名を四股名にしていた時期も長かった。

今の相撲さんには、もう一人も残っていないソップ型(いわゆる痩せ型)の代名詞であり、
その端正な顔立ちは外人女性に最も人気がありました。
これほどハンサム(今で言うイケメン)力士は現在に至るまで誰も居ませんね。
その当時の力士の平均身長は182センチ程度でしたから。
彼の、身長189センチ・体重113キロは、まさに長身痩躯の見本でした。



1937年4月生まれ北海道出身。
角界を離れてしまいましたが、現在は78歳になっている筈です。
最高位は関脇でしたが、「起重機」という愛称で、その長身を利した(吊り出し)を得意技としていました。
同じ時期に明武谷と同じに、吊り出しを得意技にしていた、小兵の若浪(178センチ)が居て、
彼の吊り出しは小兵力士ゆえに、「天井を向いて吊る」と言われました。
明武谷と若浪との吊り合戦は実に想い出深い一番であり、
今ではそういった技と技とのぶつかり合いの相撲というのは、殆ど無くなっているのが残念です。

あの大横綱・大鵬との相撲なんていうのも想い出深いし、
彼が土俵に上がっただけで(サマになる)という、
言ってみれば「お金の取れる」力士であったと思います。
そういった力士こそファンには、たまらない魅力であり、
そんな力士の出現を私達、相撲ファンは(今ではそうでもなくなってしまってますが)望んでいるのですね。

今の力士は昔で言えば、みな(アンコ型)ばかり、
その為に、押し合いへし合いの押し出し、寄り切りばかりの決まり技。
そんな相撲なんて面白くも何ともないんですね。

在位期間は、1954(昭和29)16歳~1969(昭和44)32歳。
引退後は親方として後進の指導をしていましたが、
妻の影響でキリスト教系の宗教「エホバの証人」の宣教師になり、
(格闘技は聖者の教えに反する)として、角界を去りました。(43歳)

「明武谷」
彼が相撲界に与えた存在感は一種独特の価値がありました。
そんな相撲さんを、再び見られる事があったなら・・・
本当に、そう願っています。


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豊真将・引退

2015-01-23 08:30:44 | 相撲


大相撲・元小結の豊真将(ほうましょう)が引退しました。
本当に残念です。
私は、こういった真面目な相撲さんが大好きです。
勝っても負けても、きちんと腰を折って丁寧に深々とお辞儀をする。
その所作は、彼の人格をそのまま体現していて、実に見上げたものでした。
力士の鏡とは、豊真将の様な人を指すものだと、常々思っていました。

ウィキペディアを観ても彼の人格がそのまま表れています。
高校時代の学業成績は1600人中、ひと桁という抜群の成績。
趣味は、読書・史跡巡り。
相撲さんというと、趣味がマンガだったりパチンコなどというのが多いのに・・・



親方の錣山(しころやま)・・元・寺尾は、彼にこう言ってました。
「尊敬している」と。
親方が弟子に対し、尊敬してるなどと言うのは初めて聞きましたし、
人に、尊敬しているなどとは、普通おいそれとは言わないものです。
そのくらい、豊真将という人は人間として素晴らしい人だったのでしょう。

昔(20年くらい前だったか?)
やはり豊真将と同じ様に、礼儀正しい力士が居て、私は大好きだったのですが、
若くしてガンに侵され30代でこの世を去ってしまいました。
もう名前も忘れてしまい思い出せないのですが、
いい人というのは長生きできないのでしょうか?

それに比べて、朝青龍・・
あの品性のカケラも無い、見るも胸くそ悪いモンゴル力士。
今場所は白鵬が、大鵬の持つ優勝回数を追い抜くでしょう。
そしてその優勝回数を40回くらいに伸ばすのでしょう。
白鵬は、常々、大鵬の事を口にしますが、
品性の無いのはモンゴル人共通の特徴だとでも言うのでしょうか?
勝った時のガッツポーズ・・さもしいですね。
大鵬はおろか双葉山などには及ぶべくもありませんね。

今は「大相撲」などとは言えないモンゴル相撲我が世の春。
まるでモンゴル相撲・東京場所。
そんな中にあっての豊真将という貴重な存在が無くなってしまった事は、本当に無念です。
これだけ外人力士ばかりになってしまうと、もう何をか言わんや。

確かに外人力士と言っても、
やはり引退した(隆の山)チェコ出身の小兵力士(185センチ・91キロ)
結局体が大きくならずに引退してしまいましたが、
幕の内力士になるまでは故郷に帰らないと10年間頑張った根性は、人間として見上げたものでした。
また、史上最年長(37歳)で優勝したモンゴルの旭天鵬。
そんな立派な力士たちを見ていると、一概に外人反対とも言えなくなってしまいますが、
それにしたって、もう日本の国技だとかは言えない状況ですね。

そんな中にあって(遠藤)
日本人横綱に期待する私は彼の所属する追手風部屋の親方に直訴状を送りました。
昔から、これはという力士が現れたらこの四股名をと思っていたのがあったからです。
その名は「鳳城」おおとりじょう。
もう何か月も前に直訴したのに、今だに彼の四股名は「遠藤」
もういい加減に「鳳城」にしてほしいよ。

子供の頃、大好きだった奄美大島出身の横綱「朝潮太郎」
長身痩躯の代名詞、起重機と言われた「明武谷」
本当に昔の相撲さんって「美しかった」な~。
コメント (2)
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