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河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

楽しかった歌声旅行・2

2025-08-14 11:36:29 | 歌声喫茶
2013年1月1日。
丹沢・見晴茶屋の歌声、帰り


2013年4月28日。
仙台バラライカ、三神峯公園の花見


2013年6月17日。
熱海の歌声・寛一お宮の像


2013年8月31日。
栃木・佐野の歌声


2013年10月26日。
仙台・バラライカ


2014年9月23日。
浅草、浅草寺


2016年5月30日。
日光・鬼怒川・東武ワールドスクエア


2016年6月26日。
世田谷・高校三年生の歌碑を訪ねて


2016年7月30日。
佐野の個人宅での歌声喫茶




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楽しかった歌声旅行・1

2025-08-13 15:37:42 | 歌声喫茶
歌声喫茶では、実に沢山の歌声旅行に行きました。
そんな写真を順番にアップしてみました。

2008年7月19日。
尾瀬に行きました。


2010年5月6日。
伊豆半島の浄蓮の滝。


2011年7月3日。
さくらんぼ狩りに行きました。場所は山梨県だったか??


2011年10月8日。
深浦の歌声の前日、仙台青葉城。


2011年12月24日。
仙台バラライカ。


2012年4月22日。
仙台バラライカの花見、三神峯公園


2012年7月8日。
長野県・上高地、河童橋。


2012年10月6日。
仙台、秋保温泉のホテル。


2012年10月28日。
仙台、バラライカ。


2012年11月16日。
鎌倉、竹の報国寺。
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私の恋人

2025-07-06 08:01:05 | 歌声喫茶
私の恋人


➀ どこかに どこかに待っている  私の可愛い恋人は
  スミレの花束 買ったけれど
  風が花びら つんでゆく 風が花びら つんでゆく

➁ つぶらなつぶらな 黒い瞳は  私の可愛い恋人よ
  河辺のベンチで 一人想う
  心やさしい その笑顔 心やさしい その笑顔

➂ どこかに どこかに待っている  私の可愛い恋人は
  貧しい暮らしも 耐えてゆこうと
  胸にあかりを ともす人 胸にあかりを ともす人

歌声喫茶ともしびの歌集(緑色の150ページ)に、
「私の恋人」という歌が、ロシア民謡として載っています。
しかし注釈として(長年ロシア民謡といわれてきたが、
ロシア国内では発見されておらず、
最近は日本人の作った曲という説が有力)と書かれています。

私は先日、この歌を歌声喫茶ともしびで初めて聞き、
これはロシア民謡だと、そう感じました。

この歌に関しては、
歌声喫茶ファンにお馴染みの「歌声サークルおけら」の、
ブンブンさんのホームページに載っています。



そして、作詞・作曲ともに、柳澤竜郎と書かれています。
つまり、この曲はロシアとは無関係で、
日本人によって作詞され、作曲された歌なのです。
純粋な日本人が、これほどロシア的な曲を作曲してしまう。
作曲の才能の皆無な私には、まるで手品でも見せられた思いがしました。

鄧麗君 - 香港之夜 (テレサ・テン - 香港の夜) 🎧


20代後半から、中国の歌に魅せられ、
以後、40年間近くハマった中国の歌なのですが、
その中の好きな歌に「香港之夜」がありました。
如何にも中国的なメロディーが大好きでした。
その大好きな歌が、まさか日本人作曲の歌と知った時はかなり驚きました。





そして、その作曲家が、
「ブルーシャトー」を作曲した、ブルーコメッツの、
井上忠夫(左から2番目、テナーサックスを持っている)だと知った時、
いくら、大ヒットした(ブルーシャトウ)を作曲したからといって、
まさか中国の歌まで作曲出来るんだ~っという事に、
心底驚かされました。
才能があるということは、そこまで凄いんですね。
(しかし彼は悲劇的な自殺によって短い人生を終えてしまいました)

それとは別に、
やはり大好きな歌がありました。
それは北京語で唄われるアップテンポの歌(仮に〇〇と呼ぶ)でした。
カセットテープに録音して、他の好きな歌と共に、
改造した音響装置を載せた車から大音量を轟かせ、
信州やらあちこちを走り回ったものです。

しかし、ある時その歌〇〇を聴いたのです。
「いいメロディーだな~」と思っていたのですが、
まさかその歌が、大好きな〇〇と同じ歌だという事に、
十年以上気づかなかったのです。

最初に好きになったのは、アップテンポの北京語。
後から好きになったのは、スローテンポの広東語。
「これは同じ曲だ」と気づいてから、何度再生しても、
まだ同じ曲だという事がまだ信じられなかった。
同じ曲が、こうまで違って聞こえるという事が信じられなかった。
と共に、自分の音楽的才能なんて、この程度だった事にガッカリしました。

そういった観点から見れば、
異国人が他国の歌を、それらしく作るなんて、
才能次第でどうにでもなるんですね~。
な~んにも才能の無い私からは、
お前ら石ぶつけてやる~っと口惜しくなるのです。
これ、マジで本当に口惜しく悲しい。



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アコーディオン、小倉先生のこと

2025-05-25 20:45:50 | 歌声喫茶
小倉(おぐら)先生と呼ばれる、名物アコーディオン奏者と、
初めて出会ったのは、西新宿にある「トミ」という歌声喫茶でした。
そこに初めて行ったのは、2008年5月24日の事でした。
私が歌声喫茶に初めて行ったのは2007年3月10日でしたから、
まだ、たった1年2か月後でした。



小倉先生の演奏はとにかくテンポが速かった。
小倉先生いわく「歌声喫茶はスローテンポではダメなんです。
アップテンポじゃないと乗らないのです」でした。
私はそのアップテンポスタイルが大好きでした。
そして先生は自分が昔から手書きで書いた、小型の伴奏本を見ながら演奏していました。
多分B5版より小さなサイズだったと思うのですが、
厚さ10センチくらいはありそうな本、1ページに2曲は入っていました。
つまり両側で4曲は入っていたと思います。
本の厚みは曲が増える度に厚くなっていったのです。
そして角はすり減って丸くなり、手垢で真っ黒になっていました。
「次の歌は〇〇です」と司会者が言うと、ほんの数秒でそのページを出してしまうのです。
そういった一連の仕草を見ると、まるで手品でも見ている様な気がしたのです。

そしてその演奏の歯切れのいい事ったらありません。
あの素晴らしいテンポと演奏は、今思い出しても感動します。
あれは、仙台バラライカの南部さんと双璧でした。







2011年1月30日。
そんな小倉先生の「卒寿の祝い」が新宿のカラオケ店、パセラで開催されました。
つまり小倉先生は90歳になられたのです。
大勢の歌声仲間達がパセラに駆け付けました。
普段はあまり喋らない小倉先生が、実は饒舌であり、冗談が好きな人というのも、
その時になって初めて知ったのです。
陽気で元気な90歳でした。





卒寿祝いから約1年近く、相変わらずトミでの伴奏をしていましたが、
遂に最後に日が来てしまいました。
2011年12月10日。
今度こそ本当にお別れでした。
天才アコーディニスト小倉先生の伴奏でもう唄えないとなった時は、本当に悲しかった。
でも、いつかは終わりは来るのです。
先生は息子さんが住んでいるというニュージーランドに行くという話でした。



ニュージーランドというのは実に遠いのです。
そんな所に行ってしまったら、もう二度と会う事はなくなるでしょう。

今日、テレビでニュージーランドの事をやっていたのですが、
私はニュージーランドというと必ず、小倉先生を思い出します。



ニュージーランドというと、オーストラリア大陸に付属した小さな島、
みたいなイメージがあるのですが、日本と比較するとかなり大きな島なんですね。
小倉先生は多分、北島に移住したのだと思います。



小倉先生は若い頃、落語家の林家三平と一緒に仕事をしていたと聞いたのは、
かなり後になってからでした。
「笑わないアコーディニストとして」有名(?)だったとか。
そして、ある時、三平氏の息子さんである、林家こぶ平がテレビで、
「あの小倉先生が父の林家三平と別れた後、何処で何をしているのか知らなかったのですが、
歌声喫茶という場所でお仕事をされているのを初めて知りました」
というのを聞いて、小倉先生という存在の確固たる昔と、
私が知っている小倉先生は、知る人によっては私達と真逆だったという事を知ったのでした。

小倉先生がご健在だとすれば、優に100歳を越えています。
いくら何でもそこまではと思うと、
2011年12月10日が、最後の小倉先生だったという事です。
あれからニュージーランドでの小倉先生の老後に想いを馳せるのです。
歌声喫茶トミ。
あそこはいい歌声喫茶でした。
それもひとえに、素晴らしい演奏で私達を支えてくれた小倉先生あればこそでした。
還らざる日々、素晴らしきかな歌声人生・・・

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歌声喫茶の人気曲「たんぽぽ」の事

2025-04-12 07:11:39 | 歌声喫茶
フェイスブック友達が、たんぽぽの花の事を書いていました。
そこに、ユーチューブで「たんぽぽ」の動画を添付しようとしたら、
とんでもなく長い経緯がフェイスブックに散見され、
これはフェイスブックでは無理なので、ブログで書く事にしました。

◆H5. たんぽぽ タンポポ児童合唱団


「たんぽぽ」は詩人の門倉訣が親交のあった作詞家の石原一輝の結婚式で、
披露する為に発表されました。
作曲は当時、仙台合唱団研究生だった堀越浄です。
この曲は日立製作所の労働闘争歌(労働者の士気を高める歌)でした。
「高い工場の壁の下で、どれだけ春を待つのでしょう」

しかし、門倉訣作詞というのは、
実は、かつて歌声新聞では全国から寄せられた詞を、
門倉訣氏が批評していたコーナーがあり、
この歌の原詩は長野県中野市在住の、竹前美保さんが投稿したものです。
それを門倉訣さんが、竹前美保さんへの断りがなく、
竹前さん原詩の表記がないままに発表されました。
長い間そのままでしたが、最近になって音楽センターが、
その事実を認めましたが、歌集表記はそのままです。
この辺りの経緯は、
2024年6月14日、松本則夫さんの、
フェイスブックへの投稿文に載っています。

竹前美保さんは、門倉さんにはひと言触れて欲しかった、
でもこれを大きな問題にしたいという事ではないとあります。
竹前美保さんの作られた原詞は美保さんのトートバックに縫い付けてあるそうです。

また「歌の小箱・56」
これは多分、うたごえ新聞なんだと思いますが、
そこにはこういった文章が書かれています。

うたごえ運動が生んだ歌のひとつでメーデー歌集収録定番。
本誌「なかまの詩」選者だった詩人、門倉訣が1976年、
竹前美保(長野・中野青年合唱団)の投稿をもとに、
石原一輝の結婚を祝って作詞した。
当時、石原は三多摩青年合唱団のミュージカル
「ヒステリー・タイムス」(憲法無視の企業団体を告発)
作曲者の一人であり、自分もまた厳しい「合理化」
の中に生きる労働者だった。
門倉は「たんぽぽは、ふるさとの風や工場の中で燃やし続けた愛と闘いに贈るのにふさわしい花」
と言う。
普及した今の曲は当時、仙台合唱団の研究生だった堀越浄。
冬から春への思い、詞に込められた闘いを、
東北の人間として真摯に受けとめ徹夜で作曲。
研究生の合宿で披露。
今、職場、生活環境、世代を越えて口ずさまれる歌となっている。

こういった、ひとつの歌の背景には、
様々な時代背景などが重なり、更に当事者達の思惑もあり、
ただ単に唄っているだけの私達からは思いもかけない物語があるのだと、
痛感させられたのです。

更に・・・
私がフェイスブックだったのか(?)で、
「♫ どんな花よりタンポポで」の、
たんぽぽの部分が全音下がりは、作曲の常識としてあり得ないだろう。
半音下がりが常識だろう、これは作曲者の誤りだ!と書いたら、
何と、作曲者の堀越浄さん本人から、
「いえ、あれは全音下がりでいいんです」との返答があったのには、
本当にビックリしました。
と共に、いち一般人の私などに、返答されてくれた事に敬意を覚えたのでした。

更に、そういった事と同じ事が、
歌声喫茶ともしびで、ある日遭遇したのです。
それは「リンゴ娘」の作曲者である、杉本憲一氏との出会いです。

18.11.20.リンゴ娘・国立・天笑楽とうたうべ




ある日、私達夫婦と歌声仲間の伊藤美知子さんが、
ともしびで唄っている席に、突然現われたのが杉本憲一氏。
「私、りんご娘を作曲した杉本です」
驚いたの何の。あの「りんご娘」の作曲者が・・・
それは以前、私がユーチューブにアップした動画を観ていて、
私達が居たのを発見した杉本氏が、名乗り出てくれたのです。
感激しましたね~。
そんな事ってあるんだな状態でした。

しかし、「たんぽぽ」であり「りんご娘」であり、
共に、この歌を歌声喫茶で唄っている時って、
本当に「みんなで一緒に唄っている」その事が嬉しくて楽しくて、
歌声喫茶ってなんて楽しいんだろうと、心からそう思うのです。


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