小倉(おぐら)先生と呼ばれる、名物アコーディオン奏者と、
初めて出会ったのは、西新宿にある「トミ」という歌声喫茶でした。
そこに初めて行ったのは、2008年5月24日の事でした。
私が歌声喫茶に初めて行ったのは2007年3月10日でしたから、
まだ、たった1年2か月後でした。
小倉先生の演奏はとにかくテンポが速かった。
小倉先生いわく「歌声喫茶はスローテンポではダメなんです。
アップテンポじゃないと乗らないのです」でした。
私はそのアップテンポスタイルが大好きでした。
そして先生は自分が昔から手書きで書いた、小型の伴奏本を見ながら演奏していました。
多分B5版より小さなサイズだったと思うのですが、
厚さ10センチくらいはありそうな本、1ページに2曲は入っていました。
つまり両側で4曲は入っていたと思います。
本の厚みは曲が増える度に厚くなっていったのです。
そして角はすり減って丸くなり、手垢で真っ黒になっていました。
「次の歌は〇〇です」と司会者が言うと、ほんの数秒でそのページを出してしまうのです。
そういった一連の仕草を見ると、まるで手品でも見ている様な気がしたのです。
そしてその演奏の歯切れのいい事ったらありません。
あの素晴らしいテンポと演奏は、今思い出しても感動します。
あれは、仙台バラライカの南部さんと双璧でした。
2011年1月30日。
そんな小倉先生の「卒寿の祝い」が新宿のカラオケ店、パセラで開催されました。
つまり小倉先生は90歳になられたのです。
大勢の歌声仲間達がパセラに駆け付けました。
普段はあまり喋らない小倉先生が、実は饒舌であり、冗談が好きな人というのも、
その時になって初めて知ったのです。
陽気で元気な90歳でした。
卒寿祝いから約1年近く、相変わらずトミでの伴奏をしていましたが、
遂に最後に日が来てしまいました。
2011年12月10日。
今度こそ本当にお別れでした。
天才アコーディニスト小倉先生の伴奏でもう唄えないとなった時は、本当に悲しかった。
でも、いつかは終わりは来るのです。
先生は息子さんが住んでいるというニュージーランドに行くという話でした。
ニュージーランドというのは実に遠いのです。
そんな所に行ってしまったら、もう二度と会う事はなくなるでしょう。
今日、テレビでニュージーランドの事をやっていたのですが、
私はニュージーランドというと必ず、小倉先生を思い出します。
ニュージーランドというと、オーストラリア大陸に付属した小さな島、
みたいなイメージがあるのですが、日本と比較するとかなり大きな島なんですね。
小倉先生は多分、北島に移住したのだと思います。
小倉先生は若い頃、落語家の林家三平と一緒に仕事をしていたと聞いたのは、
かなり後になってからでした。
「笑わないアコーディニストとして」有名(?)だったとか。
そして、ある時、三平氏の息子さんである、林家こぶ平がテレビで、
「あの小倉先生が父の林家三平と別れた後、何処で何をしているのか知らなかったのですが、
歌声喫茶という場所でお仕事をされているのを初めて知りました」
というのを聞いて、小倉先生という存在の確固たる昔と、
私が知っている小倉先生は、知る人によっては私達と真逆だったという事を知ったのでした。
小倉先生がご健在だとすれば、優に100歳を越えています。
いくら何でもそこまではと思うと、
2011年12月10日が、最後の小倉先生だったという事です。
あれからニュージーランドでの小倉先生の老後に想いを馳せるのです。
歌声喫茶トミ。
あそこはいい歌声喫茶でした。
それもひとえに、素晴らしい演奏で私達を支えてくれた小倉先生あればこそでした。
還らざる日々、素晴らしきかな歌声人生・・・