昨日のブログで、東日本大震災の事を書いたばかりでしたが、
その夜のNHKテレビが、大震災とそれに伴う津波の事を1時間の特別番組で放送しました。
それを観てた私はビックリしました。
何故なら、放送の殆どが石巻の状況だったからです。
私が初めて津波被災地へ行ったのが津波から3か月後の石巻。


そして高台に在る日和山公園から、
実際の被災地に下りたのが、テレビに散々映っていた坂道からで、
そこを下りた場所に在るのが津波火災で全焼した門脇小学校でした。
テレビでは避難場所として多くの市民たちがそこに集まったのですが、
小学校の女性校長先生が「もっと高い場所に避難した方がいい」と呼びかけ、
その事が多くの小学生や一般市民の命を救う事になったと言ってました。
小学校の校舎の上の階に避難すれば津波からは逃れる事は出来たのかも知れません。
しかし、学校は火災で全焼。
もし、そこから動かなかったら大勢の人達が焼け死んでしまったのです。
番組では一人の人間が非難を呼びかける事で多くの人が助かる。
そういった現象を「カスケード」という言葉で表現していました。
「カスケード」聞いた事のない言葉です。
調べたら「小さな滝が・・どうのこうの」
要するに、日本語で言えば「連鎖反応」とでもいう意味らしいのです。
こういった非常に大事な場面では、
このように聞いた事もない言葉は絶対に使ってはダメです。
誰にでも分かる言葉で言わないと、折角伝えるべき意味が伝わりません。
どうして最近の日本人はこういった愚行をしたがるのでしょう?
NHKが、そういった手本をキチっと示すべきだと強く思いました。




日和山公園には花束が沢山祀られていました。
3か月前に眼下で起こった悲劇を、皆さんはどんな気持ちで見ていたのでしょう。
目を潤ませている人々が散見されました。


時計は3時半を回っています。
地震が起きてから45分くらい経ってから津波が来たのでしょうか。
成人式の写真なのでしょうか?
この娘さんは・・生きていて欲しいですね。



どんな交通事故だろうが、
車がこんなにも原型をとどめない事故なんてありません。
津波の破壊力は想像を遥かに超えています。
これが人間だったら・・それは考えたくはありません。

これには泣きました。
3か月も経って未だ発見されないご夫婦。
ごく普通に平凡に薬局をされていた家庭が、
ある日、いきなり生活を破壊され行方不明になってしまうという現実。
昨日と同じ明日があると・・そんな事を考えもしなかった日常。
それは、あの(時)で全てが終わってしまいました。
人間にとって(死)とは、その人の人生が何もかも終わってしまい、
次の瞬間はもう(無)なのです。
彼等夫婦が何か悪い事でもしたんでしょうか。
そんな事は何もないのに、いきなり訪れた死。
これが泣かずにいられますか。
自分には何も出来ない無力感が悲しかった。
私に出来る事は、このご夫婦を思って泣いてあげる事だけでした。


石巻市民病院は、こんな姿になっていました。
地盤沈下で水が引きません。

お寺さんも流されはしませんでしたが、
墓石は軒並み横倒し、車も打ち上げていました。


それから3年半経った時には、妻と共に再び石巻へ。
がれきは撤去されていましたが、復興は程遠く、手付かずでした。
(津波はここまで来ました)というポールが建っていました。
その高さは8メートルくらいだったか?
でも、それはまだ低い方で、
陸前高田だったか、南三陸だったか?は15メートルを超えていました。
団地の4階が水没した事実を、自分ちの近くの団地を見上げてみると、
それは想像を絶する高さで、そこに居た人はどれほど怖かった事か。
あの時、東京はじめ首都圏もかなり揺れました。
しかし、津波はありませんでした。
住んでいる場所によって決定的な不平等です。
阪神大震災では、私達関東人は、対岸の火事で済んでしまいました。
でも、東北は・・辛かった。
今からでも、いつだろうと、
私は皆さんに一度でもいいから被災地に行って欲しいと思っています。
貴方が行く事で確実に(お金)は東北に落ちるのです。
その現実が大事。
そして、この現代の日本にこれほどの悲劇が本当にあったのだと認識してほしい。
2011年3月11日。
この日は日本人として絶対に忘れないでほしい。
そして、その日のあの時刻になったら、
皆さんで一斉に黙とうしましょう。
その夜のNHKテレビが、大震災とそれに伴う津波の事を1時間の特別番組で放送しました。
それを観てた私はビックリしました。
何故なら、放送の殆どが石巻の状況だったからです。
私が初めて津波被災地へ行ったのが津波から3か月後の石巻。


そして高台に在る日和山公園から、
実際の被災地に下りたのが、テレビに散々映っていた坂道からで、
そこを下りた場所に在るのが津波火災で全焼した門脇小学校でした。
テレビでは避難場所として多くの市民たちがそこに集まったのですが、
小学校の女性校長先生が「もっと高い場所に避難した方がいい」と呼びかけ、
その事が多くの小学生や一般市民の命を救う事になったと言ってました。
小学校の校舎の上の階に避難すれば津波からは逃れる事は出来たのかも知れません。
しかし、学校は火災で全焼。
もし、そこから動かなかったら大勢の人達が焼け死んでしまったのです。
番組では一人の人間が非難を呼びかける事で多くの人が助かる。
そういった現象を「カスケード」という言葉で表現していました。
「カスケード」聞いた事のない言葉です。
調べたら「小さな滝が・・どうのこうの」
要するに、日本語で言えば「連鎖反応」とでもいう意味らしいのです。
こういった非常に大事な場面では、
このように聞いた事もない言葉は絶対に使ってはダメです。
誰にでも分かる言葉で言わないと、折角伝えるべき意味が伝わりません。
どうして最近の日本人はこういった愚行をしたがるのでしょう?
NHKが、そういった手本をキチっと示すべきだと強く思いました。




日和山公園には花束が沢山祀られていました。
3か月前に眼下で起こった悲劇を、皆さんはどんな気持ちで見ていたのでしょう。
目を潤ませている人々が散見されました。


時計は3時半を回っています。
地震が起きてから45分くらい経ってから津波が来たのでしょうか。
成人式の写真なのでしょうか?
この娘さんは・・生きていて欲しいですね。



どんな交通事故だろうが、
車がこんなにも原型をとどめない事故なんてありません。
津波の破壊力は想像を遥かに超えています。
これが人間だったら・・それは考えたくはありません。

これには泣きました。
3か月も経って未だ発見されないご夫婦。
ごく普通に平凡に薬局をされていた家庭が、
ある日、いきなり生活を破壊され行方不明になってしまうという現実。
昨日と同じ明日があると・・そんな事を考えもしなかった日常。
それは、あの(時)で全てが終わってしまいました。
人間にとって(死)とは、その人の人生が何もかも終わってしまい、
次の瞬間はもう(無)なのです。
彼等夫婦が何か悪い事でもしたんでしょうか。
そんな事は何もないのに、いきなり訪れた死。
これが泣かずにいられますか。
自分には何も出来ない無力感が悲しかった。
私に出来る事は、このご夫婦を思って泣いてあげる事だけでした。


石巻市民病院は、こんな姿になっていました。
地盤沈下で水が引きません。

お寺さんも流されはしませんでしたが、
墓石は軒並み横倒し、車も打ち上げていました。


それから3年半経った時には、妻と共に再び石巻へ。
がれきは撤去されていましたが、復興は程遠く、手付かずでした。
(津波はここまで来ました)というポールが建っていました。
その高さは8メートルくらいだったか?
でも、それはまだ低い方で、
陸前高田だったか、南三陸だったか?は15メートルを超えていました。
団地の4階が水没した事実を、自分ちの近くの団地を見上げてみると、
それは想像を絶する高さで、そこに居た人はどれほど怖かった事か。
あの時、東京はじめ首都圏もかなり揺れました。
しかし、津波はありませんでした。
住んでいる場所によって決定的な不平等です。
阪神大震災では、私達関東人は、対岸の火事で済んでしまいました。
でも、東北は・・辛かった。
今からでも、いつだろうと、
私は皆さんに一度でもいいから被災地に行って欲しいと思っています。
貴方が行く事で確実に(お金)は東北に落ちるのです。
その現実が大事。
そして、この現代の日本にこれほどの悲劇が本当にあったのだと認識してほしい。
2011年3月11日。
この日は日本人として絶対に忘れないでほしい。
そして、その日のあの時刻になったら、
皆さんで一斉に黙とうしましょう。