江戸時代を通じて、宮内は山陽道随一の遊興地ではあったのですが、紅塵百尺(街の様子が繁華で喧騒で何時もごたごたが絶えない様子)の中に旅館料亭が雑多に軒を並べてあるのではなく、その中にある程度の格式を兼ね備えたような落ち着きのある街だったと言われています。その中心が何時も吉備津神社であり、その意識が市民の間に常に有ったからだと言われております。
そのことを窺わせるものに宮内の町名に見ることができます。東山ー片山ー三日市―辻小路―熊の小路―大吉野―中吉野―新地ー城の内ー馬場―白畑の十二町が都(京)に倣いその町名を冠していたのです。そして、この十二町の街に総て遊廓が置かれて、その遊郭には、例外なく、宮内特有の「角行燈」がその軒先に並べてあり、それに夜になると一斉に火が灯され、街全体が不夜城そのものに変っていたのだと、言い伝えられています。
なお、この角行燈なる物は一体どれくらいの大きさのものか、多分軒先に吊り下げらていたのではなく、入口の横などに置かれていたのではないかと思われます。また、それには何が書かれていたのか等と言う細かいものは一切不明ですが、それらのいくつかは、現在でも、まだ、宮内に一つや二つは残っているのではないかと想像されますが、?????
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます