私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

江戸大地震の4日目

2011-06-28 20:10:55 | Weblog

大地震より4日が瞬く間に過ぎゆきます。

 今日、早くも、「地震火事方角づけとて所々にうる」と記されています。この方角づけというのは、10月2日の安政江戸地震後、その被害状況が「かわらばん」によって市民に知らされたようです。その多方面かあの情報源によって、江戸の人々の間には、此の度の地震によってその被害がいかようあったか知らされたと云う事がわかります。それだけの大事ゐとしての機能が既に江戸という街には確立されていました。ヨ-ロッパなどの当時の先進西欧諸国にもなかったような社会構造の組織が確立されていたということは、驚くべき社会に外ならなかったのではないでしょうか。
 このような情報化社会を魁とした江戸の町でも、やはり依然として古い人々の生活様式は残っていたのです。その代表的な物が「鯰絵」ですが、それについては後で御紹介することにして、この地震発生の4日目の江戸の人々のその恐怖の様子を御紹介します。

 方角付けによって人々の地震に対する恐怖は日に日に高まります。あらぬうわさとともにです、

 「きのふもけふも三四度四五度、はげしきばかりのゆりたらん。あゆみてはしりがたし。両三度はたしかにおぼえたり。例の事ながら、たれいうことなく、こよひは大なるが震べし。観音の示現、八幡のみさとしなど、いひさわぎておそるゝにも、さりともとおもへど心も心ならず。」

 ひとびとのうわさが一層激しさをもします。所謂、此の度の地震でも見られました風評被害です。
 「観音さん言っておられたとか、八幡さんおさとしだ」と、かという、根も葉も無い、単なるうわさに。人々が振り回されているのです。「そんなことがあってたまるかいな。嘘に決まっている」と、誰もが思っても、「心も心ならず」だと云うのです。いつの世の中でも同じことです。特に、未だ近代的な科学の未発達な江戸末期の社会では、その噂に翻弄されたと云う事が手にとつように開けらかです。

 こんな記録を読んでおると、人間の社会ってたわいもないもんだなということが感じられます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿