私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

立てもまろばず家も事なげなり

2011-06-22 08:46:59 | Weblog

 昨日の安政大地震図と比べながら、次の仙果先生の文をお読みいただけると、その時の状況が鮮明に脳裏に写るのではないかと思います。

 「一命すくはせ給へ」と神仏に祈ることしばし、やがて、立って歩けないこともないくらいに、地震も収まり、家もどうにか無事だったので、取る物も取りあえず、
 「はやく外のかたへ出ましと、手取々々手ひきつゝいずるに」
 と、外に出ます。
 
 その出方が、又、その地震のようにふるっています。そして地震の規模をそれとなく語りかけているのです。(この時の実際の震度は6.8だったそうです)

 「日頃はゆがみそこなはれて、たやすくはあかぬくゞり戸の、さはりもなくおのづからひらけたるは、はしらかたむき、かもゐのゆがみ、雨戸と格子戸二重になりて、庭口にたひらに敷かれたるなり。この庭口に五六尺ばかりのみぞありて、ふたの板くち穴などもあきたれば、はだしにてかけ出る事なれば、踏みこみて疵もつくべきに、雨戸の上をふみてあゆみしかば、そのわずらひも釘など出ざりければ何のさわりもなく路次口を出・・・・」
  
昨日の地震の絵の道を挿んだ上側に描かれている右から2軒目の避難する人の姿を見て下さい。仙果先生が、「なゐの日並」にお書きになってりう地震後の家から脱出の様子と、全く、同じような場面が、偶然でしょうが、描かれています。
 まあ、このようにして命からがら親子は助かったのだそうです。それまでは人のことなど「心にも耳にもかからず、夢のここちにて地震とのみ心得」て」、たった煙草を二服も吸う程僅かな時間しか地震はなかったのですが、そのゆれの大小ばかりに気が取らわれて、他の事な何一つ覚えてないないというのです。

 私は、そんな大きな地震の経験は、岡山に住んでいるもので、皆無なのですが、10年前の神戸やその他今回の東北大震災までの多くの地震に対して、その災害に合われた人々がみんなそんな思いだったのだろうと、今更のように思われ、特に、お亡くなりになった方々に対して深い哀悼を捧げます。

 なお、3カ月経過したにもかかわらず、今まだに「7000人以上の人が行方不明だ」という、今回の特大地震の新聞記事を見るにつけても、被災者の方々の深い悲しみが思われて仕方ありません。
 いつまで「がんばれ」と云う声かけをすれば、この災害が完全に解決できるのでしょうかね。50~100年はどうもかかりそうだと、私は思いますが。日本政府もそのつもりでいるのでしょうかね????

 


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