私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

岡山市高松公民館の館長さんは犬飼氏です。

2012-01-07 12:10:34 | Weblog
 現在、高松公民館では、館長さん始め職員の皆さんが、高松地区住民の皆さんの生活に潤いが見られるようにと、沢山のそれこそ生涯学習の為に善かれ思われて、色々な工夫の基に、その活動がより活発になるよう手を変え品を変えて、住民の文化的生活の向上に日々努められておられます。その活動に私もたびたびその活動に参加させていただいており、常に有難い事だと感謝しております。

 さて、この館長さんの姓が「犬飼」なのです。その犬飼館長さんが、いつの頃だったかは不明なのですが
 「私は高松公民館長の犬飼です。犬飼と言いますから、皆さんは、きっと吉備津神社と何か関係があるのではないかしらと思われるかもしれませんが、何の関係も無いのです。しかも、高松から遠く離れている瀬戸内市に住んでいます。本当に不思議な御縁です。でも、私は犬飼なのです」
 と、さも自分が犬飼姓であるのが不思議であるかのようなご挨拶をされるのを聞いたことがあります。

 館長さんが言われるように、備前に「犬飼」姓があっては不思議でしょうか。何かおかしいでしょうか???。そこで、一寸、これを、今日は、考えてみました。

 昔「ももたろう」の時代には、吉備の国と言えば備前・備中・備後・美作だけではなかったのです。播磨や安芸、讃岐辺りまでその勢力を伸ばしたのだと言い伝えられていました。そうすると、桃太郎が鬼退治した後、吉備の国各地の治安維持のためにあの「いぬ」が吉備の国の各地に散らばって中央の政治から離れて行きますが、その証拠となるのが、吉備の国各地、至る所に在る「犬飼」姓なのだと言われています。

 だから、高松公民館館長さんが犬飼さんで、瀬戸内市にお住まいでも、決して、奇異なへんてこりんな事ではないのです。あって当然なのです。「犬飼」という姓はそれぐらい昔からずっと続いている証拠なのです。まあ、昨日取り上げた「吉備津のこまいぬ」から、そんなお話があるのだと云うことを思いつきました。
 なお、この犬飼姓がダントツ多いのは、やはり吉備津神社を取り巻く吉備津、一宮、庭瀬、庄などの村々ですが、中には、備後にも美作にも讃岐にも在ります。

 是も高松公民館の歴史講座より仕入れたお話ですが。

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