「誰が夫」と、分かりきった人に、黒日売はどうして呼びかけたのでしょうか。
「大和へ帰られていく私の愛しい仁徳天皇さまよ。もう2度と、お会いすることはないでしょう。あの大変な大后磐日売命の元に帰って行かれる。どうぞ大后様をお大切に、御達者で・・・私のことはもうほっといてくださいね」
と、言うぐらいの軽い気持ちが表れていると思います。そんなにも別れに対してものすごい哀愁みたいなものは、この歌の中からは読み取れないのですが?
あの恐ろしい大后の嫉妬から逃げることができて「やれやれ」と言うぐらいな気持ちがこの歌にはあるように思われます。
それにしても思うのですが、なぜ、仁徳天皇は吉備に一人残しておく黒日売のために天皇としての特別な経済的な支援見たいなものをしてお帰りにならなかったのでしょうか。これも不思議なことの一つです。
私には、この黒日売の2つの「別れの歌」から、このようなことが読み取れるのですが、かの本居宣長はどのようにこの歌を解釈したのでしょう。
「古事記伝」には、次のように書かれてありました。
「・・さて誰夫とおぼめき云るに、大后を憚り賜ひて、御思すままにも得物し賜はで、いそぎ還り座スを、あはれと思ヒ奉れる意含みて、いとど別レ奉る情深くあはれに聞こえり」
と書かれています。
「おぼめき云る」と、いうのは「知っているのに知らないふりをして敢て言う」ぐらいの意味でしょうか。
宣長は、何時までも自分の側にいたいという熱い思いを振り切って、大急ぎに、大后の元に帰られていかれる仁徳天皇に同情して、深くあわれと思って黒日売がおぼめき歌ったのだろうと、言うのです。
他にもあるかと思い捜したのですが、この仁徳と黒日売との別れの歌についての解釈したものは見つかりませんでした。誰かご存じのお方はお知らせくださると幸いに存じます。
「大和へ帰られていく私の愛しい仁徳天皇さまよ。もう2度と、お会いすることはないでしょう。あの大変な大后磐日売命の元に帰って行かれる。どうぞ大后様をお大切に、御達者で・・・私のことはもうほっといてくださいね」
と、言うぐらいの軽い気持ちが表れていると思います。そんなにも別れに対してものすごい哀愁みたいなものは、この歌の中からは読み取れないのですが?
あの恐ろしい大后の嫉妬から逃げることができて「やれやれ」と言うぐらいな気持ちがこの歌にはあるように思われます。
それにしても思うのですが、なぜ、仁徳天皇は吉備に一人残しておく黒日売のために天皇としての特別な経済的な支援見たいなものをしてお帰りにならなかったのでしょうか。これも不思議なことの一つです。
私には、この黒日売の2つの「別れの歌」から、このようなことが読み取れるのですが、かの本居宣長はどのようにこの歌を解釈したのでしょう。
「古事記伝」には、次のように書かれてありました。
「・・さて誰夫とおぼめき云るに、大后を憚り賜ひて、御思すままにも得物し賜はで、いそぎ還り座スを、あはれと思ヒ奉れる意含みて、いとど別レ奉る情深くあはれに聞こえり」
と書かれています。
「おぼめき云る」と、いうのは「知っているのに知らないふりをして敢て言う」ぐらいの意味でしょうか。
宣長は、何時までも自分の側にいたいという熱い思いを振り切って、大急ぎに、大后の元に帰られていかれる仁徳天皇に同情して、深くあわれと思って黒日売がおぼめき歌ったのだろうと、言うのです。
他にもあるかと思い捜したのですが、この仁徳と黒日売との別れの歌についての解釈したものは見つかりませんでした。誰かご存じのお方はお知らせくださると幸いに存じます。
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