私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

伊勢物語の八橋と後楽園の蘇鉄

2009-11-03 16:11:02 | Weblog
 またまた、少々横道にそれますがご勘弁ください。
 もう、存分に皆様にはご承知のこととは思いますが、この「八橋」のある伊勢物語九段をちょっとばかり紐解いてみます。
 まず9段から、その本文をどうぞ。
 
 「・・・・・身を要なきものに思いなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて、行きにけり。もとより、友とする人ひとりふたりして、行きにけり。道知れる人もなくて、まどひ行きける。三河の国、八橋という所にいたりぬ。そこを八橋といいけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰におりいて・・・・・その沢に、かきつばたおもしろく咲きたる。・・・・」
 
 と書かれています。 

 いつも疑問に思うのですが、永忠は、藩主のたっての頼みで蘇鉄園を、この場所に仕方なく植えたとしても、では、どうして「八橋」を、このような蘇鉄よりも、まだ人目につかないような辺鄙な場所に置いたのでしょうか。
 いくら考えても答えは出ないのですが、「沢のほとりの木の陰におりいて」と、いう文の中に、何やらその回答が隠されているようにも思えるのですが?
 そうです。「木の陰」という文の「木」を、敢て、永忠は蘇鉄に置き換えたのではないでしょうか。
 「要なきもの」と、いう書き出しから始まるこの物語と関連付けて、蘇鉄を要なきものと思ってのことではないでしょうか。

 この段の前(七)と(八)段の書き出しには、「京にありわびて」「京や住み憂かりけむ」とあり、そして、この九段の「身を要なきもの」と続いているのです。
 このことからも分かるように、わざわざ「ありわぶ」は「いずらい」、「憂かりける」は「何となく心が落ち着かない」、ときて、最後に「要なき」、そうです、「いらない」と、だんだんにその心を不要に向けて高めていくと言う心理的効果を狙ったのではないでしょうか。
 その為に、ここに伊勢物語の九段の「八橋」を置いて、「蘇鉄はこの庭園には不釣り合いですよ」「大変みっともないものですよ」ときて、最後に「いらない物ですよ」と断定しているのです。
 こんな思いのある「八橋」をここに置く事によって、蘇鉄をここに置くことの非を、ここを訪ねる人に訴えているのではないでしょうか。

 どうでしょう?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿