私の町 吉備津

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弁財天

2012-01-20 13:49:55 | Weblog
 江戸の昔、「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるくらい稲荷が多かったのだそうですが。これは江戸の町の事で、上方等の西日本では弁財天をお祭りした祠が多かったのだそうです。

 此の弁財天は元々インドの神さんだったのだそうです。元来は、音楽の神であったものが、我が国に入ってきてからは福神として、人々に財宝を与える神として信仰されるようになったのだそうです。この神様は、インドでは「薩囉蔭伐底」と呼ばれていたのだそうです。「サラスバチー」と読むのだそうです。サラスと「池または河」の意で、バチーは「持つ」と云う意味の言葉だそうです。この神が日本に入ってきてからは、池や川に関係ありそうな場所に(祠)が設置されています。一番有名なのが琵琶湖に浮かんでいる竹生島の弁天様です。我が吉備津神社にある祠もやはり御手洗池の中にあります。近くでは早島町にある弁財天も水路が集まった土地にあります。
 又、この神様が音楽の神様になったのは、其の祠の周りにある河川の流れが潺々とせせらぎになって流れ下だるその音が誠に爽やかに聞こえることから音楽の神となったのだと言われています。また、論語にある「智者は水を愛す」という言葉から出たのだろうと思われますが「才智の神」ともなり、人々から敬われるようになったのではないかと思われます。我が国の七福神の中で唯一女性の神様です。

 この神様は「容姿端麗なる天女」で、胎蔵界曼荼羅には琵琶を抱きしめているお姿がえがかれています。

 なお、日本の三大弁天とは「竹生島・江の島・厳島」の弁天さんを云うのだそうです。

 こんなことを考えてみれば、我が吉備津神社にあろ宇賀神社も、もともとは元禄4年の地図にあるように弁財天であったのが正しいのではと思われます。

 では、なぜその弁財天が宇賀神社に???そこら辺りは、少々今日のブログは長ったらしくなっていますので、明日にでも解き明かしてみたいと思います。

 「そんなこと、おもしろくもなんにもねええや」と、思いのお方がおられるかもしれませんが、そんなに先をお急ぎなさいますな。色々と調べてみますと、色々な面白い事が分かってくるものですね。弁財天が宇賀になった理由もちゃんと存在しているのです。

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