私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ご存知ですか「尚歯会」。こんな会も宮内で行われていました。

2013-02-22 18:25:20 | Weblog

 高尚翁のこの書簡にあるように米吟の理加なる女性に付いては、これ以上詳しくは分かりませんが。彼女に歌の指導をした人に、此の外に、手紙にも「御近所の鳥羽氏宅にてなりとも御よみきかせ被下候・・・」書いてありますが、この人は調べてみますと同町内にすむ町医者鳥羽修平という人だと云う事が分かりました。この人も高尚の影響で国学を学び、和歌の指導もしていたのだそうです。このようにこの街に住む多くの人は高尚の影響だと思われますが国学や和歌などについての知識が相当あったのです。そのような文化的な素養のある人達が宮内には当時沢山いたのです。それだからこそ、「尚歯会」等と云った、岡山城下にもなかったような洒落たしかも雅びな催しも、この街では行われていたのです。なお、この消息に出てくる「萬須」と云う人の事はよく分からないのですが、これも多分理加と同様な女ではなかったかと思われます。

 その他、宮内芸者は、単に和歌だけではなく、挿花(生け花)や茶事などの芸道にも大層長けたものもが大勢いたと言い伝えられております。それが他の地方の色街にはない、ここ宮内だけが持っている特色として、「教養高い、しかも気品ある芸者が沢山いる」と、全国に、その宮内の名を馳せさせた原因にもなり、それがこの街を繁昌させる原因にもなったのです。この街にいる遊女は、常に200名を下らないと云われた往時の繁昌を物語っています。その繁昌の一翼を、此の高尚等の有識者が担っていたのだと云うことも出来ます。


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