二十六日には浅草の伝法院の僧もこの地震で圧死したことについて触れています。伝法院は二王門のすぐ手前にあった大きなお寺です。今は有るのかどうかは知りませんが、江戸名所図会にも描きこまれていますが、これも噂でしょうが、この地震によって方丈が潰れ、「寺持金とりにかへりて、ものにうたれむなしくなられたり」とあります。寺持金ですから、寺の運営に関する大切なお金だったのでしょうか、取りに帰ったばかりに、「ものにうたれて」とありますから、落ちてきた棟にでしょうか?押し潰されて死んだと云うのです。
また、これも仙果先生が取材していて耳にした事でしょうが、
「少年三日ばかりものの下におされ居たるが、猶死なで餓鬼のようになりて、ものの下よりはい出でたすかりとぞいう」
このような助かったと云う例も載せています。
まあそれくらい二六日にもなると、人々の暮らしに落ち着きがで始めるのです。
尚、伝法院は次の絵の右下にある大きなお寺です。
また、これも仙果先生が取材していて耳にした事でしょうが、
「少年三日ばかりものの下におされ居たるが、猶死なで餓鬼のようになりて、ものの下よりはい出でたすかりとぞいう」
このような助かったと云う例も載せています。
まあそれくらい二六日にもなると、人々の暮らしに落ち着きがで始めるのです。
尚、伝法院は次の絵の右下にある大きなお寺です。
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