私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

かかる道は、いかでかいまする

2010-03-30 15:27:42 | Weblog
 〈宇津の山を行に、蔦も楓もはや散ぬる跡のけしき、淋しきもいわんかたなし〉と宇津の山を行くと時に綱政はそう綴っています。これは、あの在原業平の伊勢物語を土台にしていることは間違いありません。

 業平が宇津の山を越えるとき
 「・・・・宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに」とあり、その後続いて「蔦、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思うに、修行者あひたり。『かかる道は、いかでかいまする』と言うを見れば・・・・・」
 と、あります。

 業平は、きっと、「すずろなるめを見る」、あるはずのない心細い目をみる事だろうと思ったのですが、偶然に、京で顔見知りの修行者と、ばったりと出くわしたというのです。
 「僥倖」そのものです。そんな偶然の幸運にも出会う事が出来るのが「旅」そのものだと伊勢物語は強調しているのだと思われます

 しかし、綱政は、旅にはそんな幸運なんてしばしばあるものではありません。私の宇津の山越えは、淋しいさだけの旅ですと強調することによって、業平の旅との違いを訴えているのだと思います。 

 宇津の山を行くに、「さびしさもいわんかたなし」として「しげりあうつたも楓も散りぬれば行くへさびしい宇津の山越え」と、歌っています。現実には、1000人以上もの人たちの行列であったことには間違いありません。そんなに「さびしさもいわんかたなし」のはずはありません。しかし、あたかも東海道を、お伴も誰もいない自分一人の旅である如くに、伊勢物語に似せて、文学的に、このような修辞を使って文にしたのです。
 
 何回も書いているのですが、幕府の綱政侯に対する評価の〈不学文盲短才モマタ珍シ〉とは、ちょっとおかしいのですが???、短才どころか和漢の書物を勉強した、非常に優れた文学的才能の持ち主で、相当に高い教養人であったことには違いありません。

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