私の町 吉備津

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お飾り

2012-01-10 16:28:56 | Weblog
 今日、自転車で吉備津の町を走りました。お正月のお飾りがどの家にも玄関に掲げてあるます。お店で売られているものがやたらと目に付きます。その昔、といっても、もう60年も前の戦前の話ですが、正月用のお飾りは、この吉備津でも、みんな自分で作って自分の家の色々な場所に飾ってありました。それこそ家じゅうにです。玄関、神棚、お床は勿論、各部屋ごとに、納戸、奥の間、台所にあるくどにも、更に、便所にも、井戸にも、物置小屋にまでも、そしてご丁寧にお墓にまでも、中には、野や畑にある名も無き小さな祠にもです。人と関わりのある総ての場所に正月の神様を招いて福を授けていただくのだというのです。それが正月でした。

 所が、何時のころからだったかははっきりとしていませんが、多分、昭和30年代の初め頃からではなかろうかと思われるのですが、お飾りはお店で買うものであるという風潮が一般化して現在に至っています。そして、現代では、自分で作るお飾りは我が吉備津地区内でもほとんど見かけることは在りません。お店から買って来たものです。だから、その形も総て同じものです。これこそ、伝統の民芸的吉備津独特のお飾りだと云う物は皆無のように思われます。だから、1月15日にする「とんど」という自分の家での行事は無くなってしまいました。昔がどんどんと私の身の周りから消え去って行っています。
 なお、私は昔人間です。今でも昔からの父親から受け継いだお飾りを自分で作っています。

 ちなみに、「いのこ」だとか「やれぼう」だと云う風習など有ったことすら知らない人がほとんどだと思います。皆さんご存知ですか???


 こんな正月の神中心の生活がほんの60年の昔には、確実に我が農村には有ったのです。それも弥生の昔から、大雑把に言いますと、3000年の長きにわたって日本人の生活の一部となっていた風習だったのですが、それが科学的成果と云う名のもとに、たった50年の間にきれいさっぱりと日本人の生活の中から消え去ってしまったのです。

 そんなことを考えると、近代化とは一体何でしょうかね、そんな風潮と共に出てきたのは「我欲」の満ち溢れた社会ではないでしょうか。徹底的な個人主義といいいましょうか、それともあの懐かしい「欲望という名の電車」という映画の場面が突如として現代によみがえったような社会に、日本も完全になてしまったのでしょうか。

 アメリカナイズという魔物みたいな巨人が、戦争という是又魔物に襲いかかられて、否応なしに、完全に呑みこまれてしまったのではないのではないでしょうか。何かへんてこりんな社会だとおもわれませんか。ギリシャなどの欧州の社会情勢などどこ吹く風の如くに、大宅壮一ではないのですが、そんなことには一切無関心と一億総無知になり下がっているのではないでしょうか。いつか来た道ですが、それも知らない如くに、年末から正月にかけてのあのテレビの様子は何でしょうかね。それをプロデュスしたのテレビ局の馬鹿共の顔が見たいとお思いになりませんか。

 そんな事を思うと、これからの日本は何処に行ってしまうのでしょうかね。まあ私は後期高齢者ですから、これからの日本がどうなるのか、あまり関係はないのですが。

 ご批判賜れば