私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

三味線餅搗

2012-01-04 10:04:10 | Weblog
 吉備津神社ではお正月行事として昨日紹介した矢立て神事と共になくてはならない、ここ独特の行事があります。それが「三味線餅搗」」です。元旦から3日まで神社境内において行われます。約2俵のお餅をついて正月参詣の人達に配られるのです。

 この餅搗行事が何時ごろ始められたかという確かな証拠はないのですが、言い伝えによりますと江戸の中ごろからでしょうか三味線、鉦、太鼓などのお囃子が餅搗きとコラボレーションされ創り上げられたのだと云われています。そこには江戸時代の山陽随一の歓楽街として栄えた宮内の芸者衆から派生したのではと思われる芸能に対する素養が、宮内や板倉の人々に、此の行事を作らしめたのではにかと思われます。
 そのお囃子と一緒に歌われた歌も残っています。

   ・吉備の中山ナー 細谷川のヨー 恋の架け橋 丸木橋 丸木橋 丸木橋
   ・今日も鳴るなるナー 不思議な釜がヨー 備中吉備津の お釜殿 お釜殿 お釜殿 
   ・お茶で名高いナー 栄西禅師ヨー しかも吉備津が 誕生地 誕生地 誕生地
   ・吉備津神社のナー 大広間でヨー 餅の曲搗く 面白や 面白や 面白や
   ・向ふ鉢巻きナー 三本搗きのヨー 餅の曲搗き 名も高い 名も高い 名も高い
   ・三味や太鼓でナー 杵音そろやヨー 小餅丸顔 又そろう またそろう またそろう 

 要するに7775のどどいつ調の単純な囃子言葉です。内容は簡単なそれこそそこらへんの一寸のど自慢のど素人が酒の勢いで何となく吉備津の言い伝えを三味線の音色に合わせて口にしたぐらいな至って幼稚な内容ですが。それが今でも後生大事に歌いつがれています。

 その餅つき風景です。
                

 なお、藤井駿先生の「吉備津神社」によりますと、その起源は吉備津神社のお屋根替えが5~60年ごとに行われるのですが、其の時備中の国75の村々から荷車などで餅米が奉納されすのですが、それを歓迎する為に宮内村の人たちが餅を搗いたのがその謂れであると説明がしてあります。まあ、どちらにしても、是も備中の時代を物語る遠き昔の良き時代の伝統の名残り物なのです。