私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ビスカイノの見た日本国の統治の方法

2011-12-07 20:31:58 | Weblog
 1611年3月にビスカイノが日本に来てから、1612年9月までの間に見聞きした日本の政治体系に付いて次のように書き記しています。
 まず、初めに
 
 「皇帝(徳川将軍)(この場合は家康を指しています)も領主(各大名)も少しも確定安全なる事なし。蓋し他の人々の官職を有するは暴力に拠る所にして、力多き者多く達成するが故なり」

 とあります。

 時期は未だに豊臣家が大阪城に居座り大いにその勢力を保持しています。加藤清正などの秀吉恩顧の武将が大勢いて、未だに徳川政権は安定した時期に至ってまい時代です。群雄割拠の時代です。力のある者が支配者になる事が出来た時代です。それをビスカイノは「力多き者多く達成する」と感じ取ったのでしょう。

 また、「皇帝死する時は太閤の子並びに他の帝位を覬覦する者大戦を起すべし」とも書いています。なお「覬覦(きゆ)」とは、身分不相応な事を願うことです。此処でも太閤の子秀頼ですが身分不相応な者と決めつけられています。「起すべし」です。多分起こすあろうと予想しているのです。それは家康をはじめとして当時の徳川幕府の幕閣達が、皆そう思っていただろうと云うことが、この文章からも読み取れます。この文章が書かれたのは1612年の事です。1614年には、大阪の冬の陣が、家康を中心にして無理やりに引き起こされ、15年の夏の陣の後、豊臣家を滅亡させたのだと思います。

 なお、この家康は1616年に死去しています。75歳です。ちょうど私の年齢と同じです。