私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

堺の市

2011-12-03 11:38:53 | Weblog
 ビスカイノは大阪の次にこの堺にもやってきています。商業の町であると紹介しています。
 「海岸の大きな湾内に在り、船の港にして帝国の船悉く此処に集れり」とだけ書かれてあります。

 それからビスカイノは、再び、江戸に帰ります。何のための京・大坂への旅だったのかは不明ですが、見方に因れば、京や大阪辺りの豊臣家の情勢を探るための利用されたのかもしれません。そう考えると、大阪城の秀頼の出鱈目な情報も何となく理解が得られるように思われます。
 そして、1612年7月9日に駿府に帰り、家康に大阪湾一帯の測量図を差し出しています。
 この頃、徳川家康は、基督教に対して不信感を持つようになっており、ビスカイノ達イスパニアに対して余り好感を持って接してはいません。そんな中で、ビスカイノは、直接、家康に逢うって話をしたいと思っていたようですが、その望みも達成できず、すぐに浦川に引き返すよう命令に従っています。
 これには、日本歴史の中ではあまり語られませんが、「岡本大八事件」が深く関わっているのですが、あまり話が込み入ってきますので止めておきます。興味のある人はインターネットでお調べください。

 尚、家康の「基督教禁止令」が出されるのは、1613年です。そしてその翌年、1614年大阪冬の陣、15年に夏の陣が起り、豊臣家は滅びます。ご参考までに。