水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

文化展、かすりもせず…でも。

2016年10月02日 02時08分48秒 | 投稿歌
9月の初めに山梨県障害者文化展が開かれました。昨年度は逸る気持ちをグッと堪えて出展を見送り、今年満を持して短歌の連作を出しました。でも結果はかすりもせず。
今回は、約三年前に始めた代読ボランティアについて折々に詠んだ歌で構成しました。こういう作品でした。

   影になって

巧い歌いま詠うまい痛いうた詠い今際もうたっていたい

階下へと洩れた発声 冷や汗の滲む思いに耳立てる母

信条に背く一語を含む題に目を瞠(みは)りつつその場に開く

初見にて読む内容の六割は目から舌へと抜けゆくばかり

先の語を追いかけ息を継がぬ読みはミットの前で伸びる投球

週間の予想気温の字がかすむ代読始めた頃にもまして


   *  *  *  *

単なる歌の技巧の出来不出来といったものを超えた、謂わば自らの生き方を世に問うような作品に仕上げたという自負が強かったので、空振りだったことを知った時の落胆は大きかったです。
けれど、【社会福祉法人 山梨県障害者福祉協会】のサイトに先頃アップされた『共生』という機関紙の最新号を見て、ストンと腑に落ちました。二番目の記事、協会理事長の竹内氏による「生き方の道筋の向こう」から抜粋します。

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 天明六家の一人、幽松庵青蘿(ゆうしょうあんせいら)は、次の句を遺しています。
散ればさく 春に今朝逢う 命かな
 芸術文化は人間のライフステージの佇まいに似て、……己れの季節を迎えるごとに結実・開花を繰り返し、……新たな生命を生み出していきます。
 とりわけ障害者の芸術文化は、障害を可能性実現の弾みにして、生き方の道筋の向こうに、……確かな夢と希望の果実を稔らせずにいない……(中略)。
 先人のテーマや作品から触発は受けても、決して模倣に傾がることなく、既成の概念に囚われることなく、生まれたままを持ち続けた感性に火を懸ける、その潔さに掛け替えない値打ちがあると思います。
 ことしの障害者文化展と障害者芸術・文化祭は、例年にない参加当事者の覚悟と心意気をみました。
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私の連作の冒頭の歌には、確かに下敷きがあります。
代読ボランティアの養成講座で配布された発声練習のための早口言葉のプリントに、次の一文があるのです。

  歌うたいが来て歌うたえというが、歌うたいぐらい歌うたえれば歌うたうが、歌うたいぐらい歌うたえぬから歌うたわぬ。

一首目の歌はパクリと言われれば、そうかもしれません。でも、底に自分の生き方を忍ばせたつもりです。連作をまとめるに当たっても、最終的に九つの案を編みました。いよいよ作品提出という土壇場になって浮上してきたのが、頭の一首をこの“言葉遊び”的な歌にする案でした。それまでは、どういう感じで代読をするに至ったのか、歌を時系列で並べたような、説明臭がやや鼻につく連作しかできておらず、自身あまり納得が行っていませんでした。しかしこの一首を初っ端に持ってきたことで、いきなり本題に入るような緊迫感が生まれ、これ以外の案は一気に霞んで見えてきました。

   *  *  *  *

文化展(と芸文祭)を振り返っての前掲のような講評は、今までの『共生』には見られなかったものです。
文化展が終わって、正直もう作品を出すのはやめにしようという気持ちになっていました。
ですが私はこの講評を読んで、竹内理事長からもっと高いハードルを個人的に示されたような気がしました。
拙速に陥るのでなくドンと構えて、「生き方の道筋の向こう」が見える作品がいつか作れれば…と新たな野心を燃やしつつあります。

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