水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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一首鑑賞(18):上村典子「クリスマスソングに少女の四肢うたふ」

2015年10月31日 10時02分06秒 | 一首鑑賞
クリスマスソングに少女の四肢うたふこゑはなけれど破顔一笑
上村典子『天花(てんげ)』


 「金銀の鈴」と小題を付した五首のうちから四首目の歌を引いた。 
 上村は、肢体不自由児の学校に勤務している。この歌の詠まれてしばらく後に、学校は、肢体・知的・聴覚・視覚・病弱の五障がい対応の総合支援学校に編成し直されている。
 一連の残りの四首も引いておく。

  ぽんぽんとほぞのあたりにタッチして襁褓かへつつわれ児にうたふ
  昼休み十七歳の排便を手ぎはよろしく拭ききよめたり
  のりこせんせい上手くなつたねことばなき少女に笑みのひろがりてくる
  校庭の樅の大樹に十二月生徒ら下ぐる金銀の鈴

 クリスマスソングは校内に流れていたのかもしれないし、あるいは「典子先生」が口ずさんでいたのかもしれない。いずれにせよ、テキパキとおむつ替えをしながらもちょっとした心のゆとりを感じさせる上村の姿は清々しい。少女もそんな先生に信頼しきって、発せられない声の代わりに両手脚が歌っているかのようであり、顔には満面の笑みが浮かんでいたという。
 ヘブライ人への手紙13章15節に「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」という聖句がある。子供達は口の代わりに全身で喜びを表しているようで、読むこちら側も明るい気分にさせられる。ああ、賛美って色々な形があるものだなぁ、と。
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近頃は聞きません…

2015年10月12日 20時26分36秒 | 風景にあわせて
入院の 患者ホウホウ 鳴く声が
待合ホールの 壁に波打つ
(とど)

2011年10月27日 作歌。
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聞茶(56)…St. DALFOURのストロベリーティー

2015年10月05日 08時15分56秒 | 聞茶・聞豆
毎年購入している【ルピシア】の福袋、今年は<バラエティ>を選んで心待ちにしていた。夏至の辺りに届いて梱包を解くと、中に《楽園》という緑茶ベースのトロピカル・フレーヴァードティーが。《楽園》は味的にはむしろ好きな方だ。おまけの「夏におすすめお茶セット」にもあったのを早速飲みながら、改めて成分表を見ると「サフラワー」が入っているという。
乳がんのホルモン治療を始めてしばらくした頃、色々なハーブがホルモン治療に反する効能(通経作用)を含んでいることをネットで知った。その代表格とも言えるのがサフランである。「サフラワー」…語の響きに何となく嫌な予感がして調べると、やはり生理不順解消に効果があるハーブだった。これは50gのリーフティーを一袋飲みきるのはあまり良くないなぁ…とちょっと思案して、作業所のある職員さんにかけあってみたところ、緑茶ベースのトロピカル・フレーヴァードティーは大好きだとのこと。それで、差し上げるつもりで次の通所日に持参した。
《楽園》の未開封のパックを見せると、職員さんは「物々交換しましょう」とSt. DALFOUR(サン・ダルフォー)のオーガニック・ストロベリーティーを出してきた。これは嬉しかったなぁ。
まぁでも、暑い季節もやってきていたので、貰ったストロベリーティーも1,2パック試しに飲んだだけで、その後はルピシアの福袋のお茶の水出しが主役として活躍。このところやっと涼しくなってきたので、時々温かいお茶も飲むようになり、またくだんのストロベリーティーにもお鉢が回ってきたわけだ。
ホットで淹れると苺の甘みが強く立つ。これはこれで悪くないが、最寄り駅の近くの洋菓子店で出してくれる、水出しのストロベリーティーの爽やかでまろやかな味を知っていたので、水出しのアイスティーも作ってみた。うん、やっぱりこっちの方がスキッとして美味しい。
難しいのは選盤だ。苺の甘みに似合う可愛い声質のヴォーカルもの、あまり持ってないような…。ホットなら、こなかりゆで決まりだろうけど、水出しだと全然そぐわない気がする。それで色々引っ張り出してきて聴き、うん、これかな?と思えたのは、グレゴリー・アンド・ザ・ホークの『Moenie and Kitchi』。ウィスパー系の甘さ、控えめなトラックが、St. DALFOURのオーガニック・ストロベリーティーに釣り合うんじゃないかな。
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一首鑑賞(17):小島ゆかり「神は人をあるいは人は神を得しゆゑに」

2015年10月03日 16時09分38秒 | 一首鑑賞
神は人をあるいは人は神を得しゆゑに苦しからんか 雲よ
小島ゆかり『ヘブライ暦』


 小島は三十代の半ば、先に単身渡米していた夫のもとに子供達を連れて赴いた。『ヘブライ暦』には、東海岸ボルチモア郊外に住んだ二年間に作られた歌が多く収められている。
 歌集題から察せられる通り、ボルチモアでの生活は小島にユダヤ人社会との接触をもたらした。その中で生まれた情感は、戸惑いに類するものが少なくなかったようだ。ユダヤ教徒の友人達の立ち居から見えてくる「イスラエルの神」は、小島にとっては時に理解の及ばないものであったらしく、嘆息のような首掲の一首を詠んでいる。
 神学者の北森嘉蔵は『聖書百話』においてノアの物語に言及する。神は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることがいつも悪い事ばかりであるのを見て、「主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め」たとある(創世記6章5~6節 口語訳)。北森は主著『神の痛みの神学』で、「神の愛が罪への反応として現れるとき、それは神の怒である。しかるに神はこの怒の対象たる我々を愛し給うた。かく怒を克服せる神の愛こそ神の痛みである」と述べ、イエス・キリストの十字架刑は「罪人に死を命じ給うべき神とこの罪人を愛せんとし給う神とが闘った」ことと結論づけている。
 小島の歌に戻ろう。神は人を造り出したために苦しんだ――これは聖書通りの神様の姿である。しかしおそらくは日本の伝統的な価値観の内にいる小島の目には、ユダヤ人を傍から見て「人は神を得しゆゑに苦しからんか」とも映っているのだ。――完全な義の神であるがゆえに我々を見て痛み苦しむ神を、神として仰ぎ見るがゆえに人は苦しむのではないか――。だが、小島の歌は問いかけとも逡巡ともつかぬ形に留められている。それは、「自由や平等や未来や、世界や個人のこと」を真剣に考える機会を与えてくれた、宗教の違う友人達の信仰と暮らしに、豊かさ、まぶしさ、そして幾分の矛盾――を小島が感じたからであろうことが、あとがきから読み取れる。
 果たして私達自身は、神からの喜びを証しする生き方ができているだろうか。
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