水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(56):本川克幸「歳月が世界を小さくする不思議」

2018年04月30日 10時47分16秒 | 一首鑑賞
歳月が世界を小さくする不思議 うすむらさきのクロッカス見ゆ
本川克幸『羅針盤』


 本川克幸さんにツイッターでフォローされたのは、2012年6月末のこと。私はもともとあまり社交的でなく、情報収集および発信力に優れているわけでもないため、それまで短歌を詠む方からフォローされたのは、こちらが先にフォローしたか、その方の歌集を私が読んでそこから引用ツイートをした場合などに限られていた。そんな私を、本川さんはご自分からフォローして下さった。中年になってから短歌を始められたことも私と共通していたし、音楽の話なども時々する(お目にかかったことのない)稀有な友達だった。
 2016年3月23日付の投稿を最後に、本川さんのツイートは途切れた。おかしいな…と心の隅で思いつつも時が過ぎた。本川さんがお亡くなりになっていたのを知ったのは、2017年11月末。「もう本川さんの新しい歌を読むことができないのが、残念です」という、本川さんと同じ短歌結社にご所属の方のツイートを見て、愕然とした。出版社のオンラインショップに本川さんの遺歌集が掲載されるとすぐに買い求めた。
 本川さんが北海道の海洋でお仕事をされていること、それが漁業ではないらしいことは、ツイッターでの折々の呟きから何となく知っていた。歌集の解説を見ると、海上保安官であったとか。歌集タイトルにもなっている2014年の連作「羅針盤」、2016年の連作「海に死ぬ」からは、人の生命の懸かった仕事の厳しさがありありと伝わってきて、息を呑む。

  本当は誰かが縋っていた筈の救命浮環を拾い上げたり(「羅針盤」)
  沈みゆく舟が底(そこい)に刺さるまで何もできずにいたことがある( 〃 )

  救えない命を乗せて走る船 分かっているが陸地はとおい(「海に死ぬ」)
  乗組員それぞれが持つ虚しさよ 一分間の黙禱をせり( 〃 )

 歌集にあまたある職場詠の緊迫感の冴えも素晴らしいが、それに交じって登場する掲出歌のような歌もいたく瑞々しい。歳を重ねていくと、自分にできることが見えてきて高望みはしなくなる。自然、行動範囲も狭まってくる。だがそれと呼応するかのように、うす紫の小ぶりのクロッカスが目に留まるようになったことを慈しんで詠う目線の細やかさはどれほどであろうか!この歌を何度も目で追い舌に転がしているうちに、私は箴言を読みたくなった。

自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。意志の弱い者は空を追う。(箴言12章11節)
忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。(箴言16章32節)

 自分に与えられた場所に誠実に生きることの大切さを、本川さんの歌から教えられる。
 また歌集には、次の歌もあった。

  一さいは過ぎて行きます一さいは過ぎてゆきます がらんどうなり

 本川さんは51歳の若さでこの世を旅立った。しかし、私の心に確かな種を植え付けて逝かれた。コリントの信徒への手紙 二 4章18節の「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」という聖句は、そのまま本川さんのものであったように思う。
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#通読 2018年4月分まとめ

2018年04月30日 06時44分50秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆4月11日
新改訳詩篇119:14「私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます」。シンプルな聖句だが、言い得て妙。朝ごとに聖書を読み黙想するのは、義務でなく楽しみ。元々は朝寝坊気味だった私をここまで導いて下さった主に感謝!

◆4月18日
新改訳ヨハネ9:25「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」。なぜ信仰を持つに至ったか理路整然と語れなくてもいいのかも。14:11にも「さもなければ、わざによって信じなさい」とあるように。
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古書店勤務の頃。

2018年04月28日 08時34分37秒 | 本に寄せて
師に代わり買った内村鑑三の書をしばしわが枕辺に置く
(とど)

2017年4月10日 作歌、2018年4月28日 改訂。
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中途覚醒の手すさび。

2018年04月27日 17時33分17秒 | 持病に寄せて
真夜醒めてアイロンかける 安寝(やすい)より母を引っぱる軋りを立てて
(とど)

2010年6月12日 作歌、2018年4月27日 改作。
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一首鑑賞(55):上田三四二「大方は読み大方忘る」

2018年04月07日 10時13分14秒 | 一首鑑賞
移り来し家に書棚に並べゆく大方は読み大方忘る
上田三四二『雉』


 上田は病弱な身体を押しつつ内科医として国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤め、作歌に加えて歌論、評伝、自らの境涯を振り返っての随想など精力的に執筆活動を行い、1987年には紫綬褒章を受章している。
 その上田にして「家に書棚に並べゆく大方は読み大方忘る」と述べるのだから、当然蔵書数は桁外れだったに違いない。しかし凡庸な私としては、上田ほどの人がこう言うのを聞くと、少し安心する。そうか、生きていく上で必要なことは限られているのだなと感じるからだ。
 私は案外思い切りの良い方で、学生時代からその時分その時分で蔵書を古書店に売ってきた。約十年前に作歌を始めてしばらくは、歌集は気まぐれに時々購入する程度であったが、教会のトラクトのための一首鑑賞を取り組むようになってからは、何らかの形でキリスト教に関係する歌が載っていると聞きつけた歌集は、図書館で借りるなり、古書を購入するなり、場合によっては新品を入手するなり、意識的に読むよう心がけてきた。おかげで、たびたびの断捨離のわりには書棚が膨れ上がり、年間の読書冊数も格段に増えた。また新たに購入するにはある程度の本の処分も致し方ない。歌集以外で期待外れだった本はとうの昔に処分済み。となれば、次にお鉢が回ってくるのは、好きだった作家の小説などである。同じ本が最寄りの図書館に所蔵していれば、古本屋行きに選り出すのはそれほど苦労しない。それでもいよいよ、歌集にも手をかけざるを得ないくらいまで蔵書が増え続け、あまり思い入れのない歌集から売りに出そうと考えているところだが、記憶の中でパッとしない歌集が本当に処分に値するものかページを捲ってみなければならない手間を考えるとかなり気が滅入る。
 そうやって蔵書を絞っていっても「大方は読み大方忘る」ことには変わりない。けれど、書棚は脳の延長、仔細は忘れてもいい、必要な時に取り出せるようある程度の本の所蔵は不可欠だ、と自分に言い聞かせている。詩人の長田弘は「本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です」(『読書からはじまる』)と書いているが、とにかく沢山の歌集に目を通すことに躍起になって、その中から見つけた珠玉の言葉に心の内のインデックスを付けることを忘れていはしないかと、折々に内省する。
 コヘレトの言葉12章12〜13節に、〈それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて〉という御言葉がある。12節の口語訳は「わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる」である。この聖句を通して、主は私を労わってくださると同時に、最も大切な掟へと私の目が向くよう促されていると思う。
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#通読 2018年3月分まとめ

2018年04月02日 02時10分51秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆3月2日
ルカ1:51「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし」。〈思い上がる者〉はNIVで〈those who are proud in their inmost thoughts〉。inmostは〈心の奥の〉。表立って人を嘲るなどしていなくても、内心傲慢な者をも主は厭われ、低くされる。

◆3月9日
ルカ6:22-3「人々に憎まれるとき…汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい」。喜び踊りなさい、はNIVでleap for joy 。妊ったエリサベトをマリアが訪れた際に、胎の子ヨハネが踊ったのと同じ語句。迫害を、主に出会う喜びで迎えよとはラディカル!

◆3月23日
カントリーロック歌手エミルー・ハリスの『stumble into grace』というアルバムは、詩編 94:18〈「足がよろめく」とわたしが言ったとき 主よ、あなたの慈しみが支えてくれました〉がバックボーンかも。サムエル上2:4“but those who stumbled are armed with strength”(NIV)も浮かぶ。

◆3月23日
ルカ16章、金持ちとラザロの譬。地獄で苦しむ金持ちは、慎ましく生きるよう兄弟にラザロを遣わしてほしいと訴えるが、モーセと預言者に聞けとアブラハム。蘇る者がいれば悔い改める筈と金持ち。が、アブラハムは却下。しかしこの譬を語った主ご自身が後に復活。全ての人を捨て置かぬ主

◆3月27日
ルカ18:13〈徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』〉 思い込みは怖い。20年以上〈胸を打ちながら〉を〈心揺さぶられて〉と捉えていた。NIV〈beat his breast〉で自責から物理的にも胸を叩いていたと判った
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