さよならを 始まりとして 生き継げり
弔う牧師の 言を支えに
(とど)
~SUPER BUTTER DOG「サヨナラCOLOR」に寄せて~
2011年11月5日 作歌
弔う牧師の 言を支えに
(とど)
~SUPER BUTTER DOG「サヨナラCOLOR」に寄せて~
2011年11月5日 作歌
アドヴェント(待降節)も四週目に突入しました。来週の日曜日はいよいよクリスマスですね。アドヴェント・シリーズの締めにご紹介するのは、ジョアンヌ・オッペンハイム 文、ファビアン・ネグリン絵 による『ポインセチアはまほうの花~メキシコのクリスマスのおはなし』という絵本です。
メキシコの山あいの村に住むファニータにもクリスマスの時季が訪れていました。けれど、ファニータの心は沈みがち。家が貧しく、ピニャータ(紙や陶器で作られ、中におかしやおもちゃが入っている くす玉人形)や果物を買うお金がなかったからです。友達に誘われてもポサダ(クリスマスの前の9日間のパーティー)にも行きませんでした。イヴの晩、家族が「教会に行く時間よ」とファニータを促しますが、「イエスさまに贈るものがない…」ファニータは渋ります。それでも家族はファニータや弟達を連れ出掛けて行きました。教会の入り口で足を止め、物陰に隠れながら 涙を流すファニータ。(クリスマスを祝いたかったな…。)その時「ファニータ」呼ぶ声がしました。辺りを見回すファニータにまた同じ声が。天使の像が語りかけていたのです。「わたしの羽のまわりにある緑の葉を摘んで持って行きなさい」。ファニータは両手いっぱいに葉を抱え、教会の中へ入って行きました。するとどうしたことでしょう、ファニータの抱えている葉が星の形をした真っ赤な花に変わっているではありませんか。ファニータはひざまずいてイエス様のかごの前に真っ赤な花束をおろし、「イエスさま、お誕生おめでとうございます」とささやきました。この見たこともないような美しい花を、メキシコの人々は「ポインセチア」と呼ぶようになりました。やがて この花は、クリスマスの頃になると世界中の家や教会で飾られるようになったということです。
ファニータはイエス様に贈り物を差し上げたいと思いつつ、何も用意できず悲しみに暮れていました。しかし、そのような捧げる気持ちこそ神様に喜ばれていたのでしょう。神様の御手が働かれファニータはすばらしい贈り物をすることができました。
創世記22章に、高齢になったアブラハムがようやくもうけた子イサクを捧げるよう神様に試されたお話があります。山へ登りながら、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこかと問うイサクに、「きっと神が備えてくださる」と答え進んで行くアブラハム。神の命じた場所に着くと祭壇を築き、薪を組んでイサクを縛って屠ろうとアブラハムは刃物を構えました。そこに天使が「アブラハム、アブラハム、その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが今、分かったからだ」と割って入ります。アブラハムが目を凝らして見回すと茂みに雄羊がいたため、代わりの献げ物としました。
私達は往々にして、こんなに尽くせない、人に分け与える余裕はないと不安に感じます。しかし、与えるべきものを備えてくださるのも神様であり、捧げる気持ちこそが神様に喜ばれているということを覚えられれば幸いだと思います。

今年のアドヴェント締めくくりのBGMは、シェルビィ・リンの『Merry Christmas』を選びました。シェルビィの大らかでふくよかな声が、暖色を中心に構成されたこの絵本のトーンを引き立ててくれそうです。
クリスマス絵本シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますようお祈りしています。
メキシコの山あいの村に住むファニータにもクリスマスの時季が訪れていました。けれど、ファニータの心は沈みがち。家が貧しく、ピニャータ(紙や陶器で作られ、中におかしやおもちゃが入っている くす玉人形)や果物を買うお金がなかったからです。友達に誘われてもポサダ(クリスマスの前の9日間のパーティー)にも行きませんでした。イヴの晩、家族が「教会に行く時間よ」とファニータを促しますが、「イエスさまに贈るものがない…」ファニータは渋ります。それでも家族はファニータや弟達を連れ出掛けて行きました。教会の入り口で足を止め、物陰に隠れながら 涙を流すファニータ。(クリスマスを祝いたかったな…。)その時「ファニータ」呼ぶ声がしました。辺りを見回すファニータにまた同じ声が。天使の像が語りかけていたのです。「わたしの羽のまわりにある緑の葉を摘んで持って行きなさい」。ファニータは両手いっぱいに葉を抱え、教会の中へ入って行きました。するとどうしたことでしょう、ファニータの抱えている葉が星の形をした真っ赤な花に変わっているではありませんか。ファニータはひざまずいてイエス様のかごの前に真っ赤な花束をおろし、「イエスさま、お誕生おめでとうございます」とささやきました。この見たこともないような美しい花を、メキシコの人々は「ポインセチア」と呼ぶようになりました。やがて この花は、クリスマスの頃になると世界中の家や教会で飾られるようになったということです。
ファニータはイエス様に贈り物を差し上げたいと思いつつ、何も用意できず悲しみに暮れていました。しかし、そのような捧げる気持ちこそ神様に喜ばれていたのでしょう。神様の御手が働かれファニータはすばらしい贈り物をすることができました。
創世記22章に、高齢になったアブラハムがようやくもうけた子イサクを捧げるよう神様に試されたお話があります。山へ登りながら、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこかと問うイサクに、「きっと神が備えてくださる」と答え進んで行くアブラハム。神の命じた場所に着くと祭壇を築き、薪を組んでイサクを縛って屠ろうとアブラハムは刃物を構えました。そこに天使が「アブラハム、アブラハム、その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが今、分かったからだ」と割って入ります。アブラハムが目を凝らして見回すと茂みに雄羊がいたため、代わりの献げ物としました。
私達は往々にして、こんなに尽くせない、人に分け与える余裕はないと不安に感じます。しかし、与えるべきものを備えてくださるのも神様であり、捧げる気持ちこそが神様に喜ばれているということを覚えられれば幸いだと思います。

今年のアドヴェント締めくくりのBGMは、シェルビィ・リンの『Merry Christmas』を選びました。シェルビィの大らかでふくよかな声が、暖色を中心に構成されたこの絵本のトーンを引き立ててくれそうです。
クリスマス絵本シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますようお祈りしています。
昨晩は、mixiの大村憲司のコミュニティを通じて知り合ったお二方(The Monkeymind You Cube Band)を呼んで、韮崎教会でクリスマスコンサートが開かれました。
午前中は私自身も身綺麗にするために、美容院へ。午後2:30頃、到着予定の20分前に韮崎駅でスタンバイ。ずっとネット上の付き合いだったので、初めて顔を合わせるまでは緊張しましたが、会ってみると普通に話が弾んで。
USTREAMの配信を目論んでいたので、演奏のリハより前に 何はさておき二人は配信機材のセッティングにかかり小一時間。その後リハで歌った「そりすべり」(ルロイ・アンダーソン作曲)の可愛らしかったこと!!
夕方5時頃になったら、牧師夫人が演奏前に小腹を満たすようにと、豚汁とわかめのおにぎりを差し入れて下さり、私もお相伴に預かりました。ちょっと寒かったので体が温まりました。
開演は7時からだったのですが、6時半になってもガラーンとしていたので少し心配したのですが、15分前くらいになるとちらほら人がおいで下さり、7時には6割がた席が埋まりました。最終的に席の8割のお客さんがお越しになられたようでした。あとで牧師から聞いた話では、お客さんは教会員よりもそれ以外の方が多かったということでした。それも嬉しいサプライズ。
演奏して下さった曲は、クリスマスソングや ボサの「コルコバード」、坂本九「上を向いて歩こう」の他、ギターのたにふじさん作詞作曲のオリジナルソングが多数。途中 二曲ほど皆さんで賛美歌を歌うコーナーもありました。本番前にチラッと演奏した矢野顕子の「電話線」は時間がなくて今回は見送りに。それが残念だったなぁ。
The Monkeymind You Cube Bandを知っているのは実質私だけという状況の中で、皆さんにどれだけ楽しんでいただけるかなぁ…とちょっと心配だったのですが、終わってみたら、皆さんとても喜んで下さって、本当に嬉しかったです。本人達が持参したCDも5枚ほど売れました。
お茶の歓談の時間の後、夕飯を近くのレストランで食べ、牧師先生の運転で お二人を宿に、私を家まで送っていただけることに。先に私の家に着き降りると、二人も一緒に降りて私をギューッとハグしてくれました。
神様の愛を存分に感じた一日でした。
午前中は私自身も身綺麗にするために、美容院へ。午後2:30頃、到着予定の20分前に韮崎駅でスタンバイ。ずっとネット上の付き合いだったので、初めて顔を合わせるまでは緊張しましたが、会ってみると普通に話が弾んで。
USTREAMの配信を目論んでいたので、演奏のリハより前に 何はさておき二人は配信機材のセッティングにかかり小一時間。その後リハで歌った「そりすべり」(ルロイ・アンダーソン作曲)の可愛らしかったこと!!
夕方5時頃になったら、牧師夫人が演奏前に小腹を満たすようにと、豚汁とわかめのおにぎりを差し入れて下さり、私もお相伴に預かりました。ちょっと寒かったので体が温まりました。
開演は7時からだったのですが、6時半になってもガラーンとしていたので少し心配したのですが、15分前くらいになるとちらほら人がおいで下さり、7時には6割がた席が埋まりました。最終的に席の8割のお客さんがお越しになられたようでした。あとで牧師から聞いた話では、お客さんは教会員よりもそれ以外の方が多かったということでした。それも嬉しいサプライズ。
演奏して下さった曲は、クリスマスソングや ボサの「コルコバード」、坂本九「上を向いて歩こう」の他、ギターのたにふじさん作詞作曲のオリジナルソングが多数。途中 二曲ほど皆さんで賛美歌を歌うコーナーもありました。本番前にチラッと演奏した矢野顕子の「電話線」は時間がなくて今回は見送りに。それが残念だったなぁ。
The Monkeymind You Cube Bandを知っているのは実質私だけという状況の中で、皆さんにどれだけ楽しんでいただけるかなぁ…とちょっと心配だったのですが、終わってみたら、皆さんとても喜んで下さって、本当に嬉しかったです。本人達が持参したCDも5枚ほど売れました。
お茶の歓談の時間の後、夕飯を近くのレストランで食べ、牧師先生の運転で お二人を宿に、私を家まで送っていただけることに。先に私の家に着き降りると、二人も一緒に降りて私をギューッとハグしてくれました。
神様の愛を存分に感じた一日でした。
アドヴェント(待降節)も三週目。これまでいかにも教会にまつわるという風な絵本が続きましたので、今日はクリスチャンでない方にも親しみをもって読めるお話を選びました。植田真・作の『マーガレットとクリスマスのおくりもの』です。
マーガレットは、クリスマスが近くなると木の実やきれいな葉っぱを見つけてきて近所の人にあげていました。でも、大人たちは構ってくれません。「私が本物のサンタクロースになれば、みんな喜んで貰ってくれるんだわ…」そう思ったマーガレットはサンタになれるよう毎晩祈り続けました。クリスマスイヴの朝、マーガレットをくるみ割り人形のルディが迎えに来ます。「クリスマスプレゼントを配るでごす!」。(セーター?宝石?人形?お菓子?…)しかし袋の中は、自分のいつもあげていたプレゼントと代わり映えしないものばかり。マーガレットはがっかりしますが、ルディに宥められて 鳥にまたがって大空に飛び立ちます。
まず、森で木の実を蒔きました。するとリス達が集まって頬張ります。湖のほとりでは、根っこのついた花を植えました。すかさずミツバチがやって来ます。最後に空から色とりどりの葉っぱを蒔きます。そこへ水辺の野鳥が現れ、冬の間に卵を温める巣作りのため、葉っぱを持って行きました。うっとりと葉っぱが舞い落ちるのを見つめていたマーガレットは、気がつくと尻もちと共に自分の家の前に戻っていました。(自分がいつもあげていたプレゼントを喜んでくれている動物達もいたんだなぁ…。)一晩ぐっすりと休んだマーガレットには、意外なプレゼントが届いていました…。
マーガレットの贈り物は大人には鼻であしらいたくなるようなものだったかもしれません。福音書には、イエスが5000人の群衆に説教した後、お腹を空かせた彼らのために弟子達に「食べる物を与えなさい」と命じるシーンがあります。「パン五つと魚二匹しかありません」と困惑する弟子達に あるだけの物を持って来させ、イエスが祈ってそれらを裂き与えると、すべての人が満腹したと書いてあります。(マタイによる福音書14章13節~21節)
自分の手にあるものは確かに取るに足らないものかもしれません。しかし、それを喜んで受け取ってくれる方もいるということをこの絵本は教えてくれているようです。神様は 私達の持っているものを増し加えるだけでなく、誰にそれを渡したらいいかもそっと示してくれる方です。あなたは今年、誰のサンタさんになってあげますか?

今週ご紹介するクリスマス・アルバムは、アイリッシュハープとギターによるデュオ tico moonの『Christmas Album』。植田真さんの繊細な絵と、いじらしい主人公の気持ちに 寄り添うように沁み入るサウンドです。
マーガレットは、クリスマスが近くなると木の実やきれいな葉っぱを見つけてきて近所の人にあげていました。でも、大人たちは構ってくれません。「私が本物のサンタクロースになれば、みんな喜んで貰ってくれるんだわ…」そう思ったマーガレットはサンタになれるよう毎晩祈り続けました。クリスマスイヴの朝、マーガレットをくるみ割り人形のルディが迎えに来ます。「クリスマスプレゼントを配るでごす!」。(セーター?宝石?人形?お菓子?…)しかし袋の中は、自分のいつもあげていたプレゼントと代わり映えしないものばかり。マーガレットはがっかりしますが、ルディに宥められて 鳥にまたがって大空に飛び立ちます。
まず、森で木の実を蒔きました。するとリス達が集まって頬張ります。湖のほとりでは、根っこのついた花を植えました。すかさずミツバチがやって来ます。最後に空から色とりどりの葉っぱを蒔きます。そこへ水辺の野鳥が現れ、冬の間に卵を温める巣作りのため、葉っぱを持って行きました。うっとりと葉っぱが舞い落ちるのを見つめていたマーガレットは、気がつくと尻もちと共に自分の家の前に戻っていました。(自分がいつもあげていたプレゼントを喜んでくれている動物達もいたんだなぁ…。)一晩ぐっすりと休んだマーガレットには、意外なプレゼントが届いていました…。
マーガレットの贈り物は大人には鼻であしらいたくなるようなものだったかもしれません。福音書には、イエスが5000人の群衆に説教した後、お腹を空かせた彼らのために弟子達に「食べる物を与えなさい」と命じるシーンがあります。「パン五つと魚二匹しかありません」と困惑する弟子達に あるだけの物を持って来させ、イエスが祈ってそれらを裂き与えると、すべての人が満腹したと書いてあります。(マタイによる福音書14章13節~21節)
自分の手にあるものは確かに取るに足らないものかもしれません。しかし、それを喜んで受け取ってくれる方もいるということをこの絵本は教えてくれているようです。神様は 私達の持っているものを増し加えるだけでなく、誰にそれを渡したらいいかもそっと示してくれる方です。あなたは今年、誰のサンタさんになってあげますか?

今週ご紹介するクリスマス・アルバムは、アイリッシュハープとギターによるデュオ tico moonの『Christmas Album』。植田真さんの繊細な絵と、いじらしい主人公の気持ちに 寄り添うように沁み入るサウンドです。
12月に入りました。アドヴェント(待降節)も二週目です。
今日お届けする絵本は、イブ・タルレ作の『星ふる夜のシモン』。このお話は、イエス様のご降誕をちょっと違う視点から描いたものです。
羊飼いの少年シモンは、羊を一匹見失ってしまい途方にくれていました。そこを通りかかったのが、ヨセフとマリアの夫婦。迷っていた子羊を連れていました。二人は遠くからベツレヘムへお祭りに来ていたのです。身重のマリアを気遣い、「泊るところがなかったら、この近くにある馬小屋に行くといいよ」とシモンは言いました。その晩 なかなか寝付けなかったシモンは、厩に明りが灯っているのを見て訪ねて行きます。馬小屋ではイエス様が生まれたばかりでした。シモンは襟巻きを外してイエスにかけ、自分のフルートを渡します。そこに後から後から大勢の人が詰めかけ、イエス様の誕生をお祝いしました。シモンはそっとその場を抜け出します。ずっと経ってからも、シモンは自分に向かって微笑みかけたイエスのことを覚えていました。
シモンにできたことはほんの小さなことでした。泊るところのないヨセフとマリアに厩の場所を教え、持っていたものを差し出しただけです。でも、それが神様にどれだけ喜ばれていたのかということを私たちは聖書から知ることができます。マタイによる福音書25章に、世の終わりにイエス様が天使達を従えて来られる時に ある人々を祝福して言う場面があります。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(25章35節~36節)。主よ、そんなこと致しましたっけ…と訝る人たちにイエスは、「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(40節)と答えます。
私たちが誰かに対してできることは、わずかなことであることが殆どです。でも そんな小さな心遣いにも、神様は心に留めていらっしゃいます。是非あなたの善意を胸の内に押しとどめず、人に分かち合ってみてください。きっと心のうちに灯りが点ることでしょう。

今回ご紹介するクリスマス・アルバムは、ケニー・ランキンの『A Christmas Album』(邦題は『ピースフル・クリスマス』)。ほんわかムードのサウンドと声は、やわらかいタッチと色調のこの絵本にぴったりです。
今日お届けする絵本は、イブ・タルレ作の『星ふる夜のシモン』。このお話は、イエス様のご降誕をちょっと違う視点から描いたものです。
羊飼いの少年シモンは、羊を一匹見失ってしまい途方にくれていました。そこを通りかかったのが、ヨセフとマリアの夫婦。迷っていた子羊を連れていました。二人は遠くからベツレヘムへお祭りに来ていたのです。身重のマリアを気遣い、「泊るところがなかったら、この近くにある馬小屋に行くといいよ」とシモンは言いました。その晩 なかなか寝付けなかったシモンは、厩に明りが灯っているのを見て訪ねて行きます。馬小屋ではイエス様が生まれたばかりでした。シモンは襟巻きを外してイエスにかけ、自分のフルートを渡します。そこに後から後から大勢の人が詰めかけ、イエス様の誕生をお祝いしました。シモンはそっとその場を抜け出します。ずっと経ってからも、シモンは自分に向かって微笑みかけたイエスのことを覚えていました。
シモンにできたことはほんの小さなことでした。泊るところのないヨセフとマリアに厩の場所を教え、持っていたものを差し出しただけです。でも、それが神様にどれだけ喜ばれていたのかということを私たちは聖書から知ることができます。マタイによる福音書25章に、世の終わりにイエス様が天使達を従えて来られる時に ある人々を祝福して言う場面があります。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(25章35節~36節)。主よ、そんなこと致しましたっけ…と訝る人たちにイエスは、「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(40節)と答えます。
私たちが誰かに対してできることは、わずかなことであることが殆どです。でも そんな小さな心遣いにも、神様は心に留めていらっしゃいます。是非あなたの善意を胸の内に押しとどめず、人に分かち合ってみてください。きっと心のうちに灯りが点ることでしょう。

今回ご紹介するクリスマス・アルバムは、ケニー・ランキンの『A Christmas Album』(邦題は『ピースフル・クリスマス』)。ほんわかムードのサウンドと声は、やわらかいタッチと色調のこの絵本にぴったりです。