水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2017年6月分まとめ

2017年06月30日 06時25分25秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆6月2日
ヨシュア9章。ギブオンの住民へのイスラエルの民の態度にはハッとする。和を請うたギブオンの者に応じ、イスラエルの民は主の指示を求めず食糧を受け取った(14節)。けれど、ギブオンの者との協定に当たり、イスラエルの神にかけて誓った。似たようなことをしてないか?

◆6月5日
民数13章で、約束の地を偵察したカレブは主がその地を確かに賜ったと報告。だがヨシュア以外十人の偵察はアナク人を恐れ民の心を挫いた。後にヨシュア14章で、以前アナクの偉人名で呼ばれたヘブロンがカレブに与えられると戦争はやんだ。彼は平時にも優れた統治者だった

◆6月18日
士師記7章。ミディアン人との戦に当たり、主は怖気づいている者を去らせた。4節で、民はまだ多いとし、水際に行かせ、戦いに連れて行く者を選別する、と主は仰った。但しその手法について神は予め教えず、ただ現場へ皆で行くよう促す。主に従う中でこういうことはままある

◆6月25日
ローマ8:20「被造物は虚無に服しています」 は過剰な表現に感じていたが、NIV〈the creation was subjected to frustration〉で納得。このフラストレーションを「人に神を求めさせるため」(使徒17:27)と思える幸い

◆6月30日
新改訳ローマ13:14「肉の欲のために心を用いてはいけません」職場に話の合う年下の子がいて楽しいが、その情報量を消化するために労力がかかっている。毎朝の黙想にも影響が。主の前で取り繕いたくないが、「私は肉に心を用いているのでは」と不安になることもしばしば
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Don't Disturb!

2017年06月29日 16時47分19秒 | 風景にあわせて
熟睡を断つ着信にもうろうと受け応えして覚めてくるオフ
(とど)

2012年7月27日 作歌、2017年5月初旬 改作。
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ルピシア福袋2017夏☆ノンカフェイン・ローカフェイン♬

2017年06月19日 10時39分23秒 | 聞茶・聞豆
やって来ました!福袋の夏!!今年も頼みました、ルピシアの福袋☆彡
リーフティーの5400円(竹)の《ノンカフェイン・ローカフェイン・ハーブ》です!!


内訳は、昨年夏とかなり似通っていました。

◆デカフェ・スペシャル
◆デカフェ・白桃
◆デカフェ・マスカット
◆デカフェ・アップルティー
◆デカフェ・グレープフルーツ
◎ラビアンローズ
◎ピッコロ
◎ピーチメルバ
◎ジンジャー&レモンマートル
◎オーガニック ルイボス ナチュラル
◎ルイボス アールグレイ
◎ルイボス レモン
★キケリキー!
★スウィートドリームス!
★セ パフェ!

の15種類。◎は、ルイボス系のお茶です。
この中で昨年と違ったのは、デカフェ・グレープフルーツ(この前はデカフェ・サクランボ)とピーチメルバ(この前はヤミー)の二点です。何気に今回のセレクションの方が嬉しい❤︎♡

おまけのティーバッグセット(15種類)については、省略します。
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一首鑑賞(45):木俣修「はつかなる慈善とげきて」

2017年06月07日 14時20分38秒 | 一首鑑賞
はつかなる慈善とげきて自嘲ともつかぬわびしさぞ師走の街に
木俣修『呼べば谺』


 師走に慈善活動をしてきたというのは、おそらく炊き出しのことに違いない。今の時代も近くでは甲府などで教会関連団体が主催の炊き出しが行われていると聞く。「はつかなる」とは「僅かな」という意味である。その言葉は決して謙遜ではなく、活動を行う方々の実感が籠っている気がする。
 以前FEBCラジオの特別番組で、東八幡キリスト教会の奥田知志牧師がホームレス支援の現場についてのお話をなさっていた。炊き出しで路上を回るのは大体、夜の8時から深夜の1時前まで。帰ってきてベッドに潜り込んで、自分は何をやっているのか、という思いに囚われるそうだ。先ほどまで親身に「相談に乗りますよ」などと言いつつ、ちゃっかり自分は家に帰って逃げ場を作っているという現実は免れようもない。だから、床の中で「神様、(ホームレスの)彼らと一緒にいてください。ごめんなさい」と祈るしかできないと言う。慈善行為も「所詮、罪人の運動」という認識を失くしたら、非常に厭らしい活動になるし、いいことをやっているんだという自己欺瞞に陥るのだと語られていた。
 木俣が慈善を為してきて自責の念を抱いたというのは、そういう意味では救いである。ヨハネによる福音書6章にイエスが5000人に食べ物を分け与える奇跡が記されている。9節に「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と弟子のアンデレが言ったとある。私達に献げられるのはまさにそうした気持ちばかりのものに過ぎず、それを祝して用いてくださるのは、ただ神なのである。——「誇る者は主を誇れ」(コリントの信徒への手紙一 1章31節)——この御言葉をいつも肝に銘じておきたい。
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はらりと。

2017年06月04日 14時52分08秒 | 風景にあわせて
枝道のソメイヨシノを撮りおおせ開けた扉にひとひらの降る
(とど)

2013年4月9日 作歌、2017年3月中旬 改作。
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