アドヴェントも4週目を迎えました。ルース・ソーヤー、アリソン・アトリー、ルース・エインズワースらによる短編集『クリスマスのりんご~クリスマスをめぐる九つのお話』で、今年のアドヴェントを結びたいと思います。この本には読み聞かせに向いた児童書ですが、大人が読んでも充分に読み応えがあります。ご紹介するのは、表題作「クリスマスのりんご」という一篇です。
* * *
昔、ドイツのある町にヘルマン・ジョセフという年取った時計作りがいました。家には沢山の時計と時計作りの道具がある他は持ち物も少なく、極めて質素に暮らしていました。
その町に住む人達はずっと昔から、クリスマスになると大聖堂の聖母マリアと幼子イエスに贈り物を捧げるのが習わしになっていました。人々の間では、他の贈り物よりも幼子イエスを喜ばせるものがあると、イエスはマリア様の腕の中から身を乗り出してその贈り物をお取りになるという言い伝えが、まことしやかに語り継がれていました。けれど、その様子を見た者は今まで誰もいませんでした。
クリスマスイヴに捧げるものを持たずに大聖堂へ行き、他の人達の贈り物を見たり、クリスマスキャロルを聴いたりしていた一人だったヘルマンでしたが、実は心の中で素晴らしい案を温めていました。ヘルマンは何年もかけて、馬小屋で生まれたイエス様の様子をかたどった仕掛け時計をこしらえてきていたのです。ある年の冬、時計は完成しました。ヘルマンは通行人に見えるように小さな窓の棚にその時計を飾りました。
クリスマスイヴの日、ヘルマンは1ペニヒだけ残して、戸口に来た物乞いに持ち金をすべてやってしまいました。それから最後の1ペニヒでクリスマスのりんごを一つ買いました。
りんごを仕舞っているところに、隣に住む子どもトルーデが泣きながらやって来ました。トルーデは、お父さんが怪我をしてツリーやお菓子やおもちゃを買うお金が無くなってしまったと言いました。
ヘルマンはトルーデのために残っている時計の中から一番出来のいいのを持って町に売りに行きました。しかし買ってくれる人はいませんでした。それで思い切って、伯爵の家を訪ねて行って懇願しました。伯爵は「いいだろう、時計を買ってやろう」と答えましたが、今持っている時計でなく ヘルマンの家の窓のところに置いてあった仕掛け時計に千ギルダー払おう、と条件をつけました。顔面蒼白になって断るヘルマンに「あの時計か、さもなければなにも買わぬか、じゃ。家へかえれ。半時間したら、時計をとりにいかせる」と伯爵はピシャリと言いました。
(あれだけはだめだ…!)呟きながら帰って行ったヘルマンでしたが、隣の家でともしたキャンドルを手に歌を歌っているトールデの影が見えました。伯爵の召使いがやって来ると、ヘルマンはイエス様への贈り物の時計を五百ギルダーで手放しました。
「今年もまた、手ぶらでいくしかないのだ」とイヴ礼拝への身支度をしかけて、ヘルマンの目に戸棚のりんごが目に留まりました。その二日分の夕飯を手にヘルマンは大聖堂へ向かいました。
ヘルマンを見た人々にざわめきが広がりました。「恥しらず!じいさんは、けちなもんで、あの時計をもってこられなかったのだ。守銭奴が金にしがみつくように、時計にしがみついているんだ。あの手にもっているものを見ろ!恥しらずが!」人々の言葉はヘルマンの耳にも届きました。ヘルマンは深くうなだれて歩き、祭壇の前に進みました。階段でよろめいてりんごを差し出すと、ヘルマンを取り巻いていた呟きがどよめきに変わりました。「奇跡だ!奇跡がおこったのだ!」
ヘルマンがかすむ目で見上げると、幼子イエスがマリア様んぼ腕から身を乗り出し、時計作りのりんごを取ろうとして手を伸ばしているのが見えました。
* * *
今年のアドヴェントを締めくくるクリスマスアルバムとして、この11月に発売された大橋トリオの『MAGIC』を取り上げます。いやぁ、沁みるアルバムですよ。胸の中でアイディアを何年か温めて、大事に練り上げられた音楽たちという気がしますね。(え?大橋トリオ、信仰あるの?)なんていう疑問もちょっと浮かびそうなほど、深いものがあります。でも、さり気なくて。その辺が、『クリスマスのりんご』とも釣り合うように思います。
今年のアドヴェント・シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますよう、お祈りしています。
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昔、ドイツのある町にヘルマン・ジョセフという年取った時計作りがいました。家には沢山の時計と時計作りの道具がある他は持ち物も少なく、極めて質素に暮らしていました。
その町に住む人達はずっと昔から、クリスマスになると大聖堂の聖母マリアと幼子イエスに贈り物を捧げるのが習わしになっていました。人々の間では、他の贈り物よりも幼子イエスを喜ばせるものがあると、イエスはマリア様の腕の中から身を乗り出してその贈り物をお取りになるという言い伝えが、まことしやかに語り継がれていました。けれど、その様子を見た者は今まで誰もいませんでした。
クリスマスイヴに捧げるものを持たずに大聖堂へ行き、他の人達の贈り物を見たり、クリスマスキャロルを聴いたりしていた一人だったヘルマンでしたが、実は心の中で素晴らしい案を温めていました。ヘルマンは何年もかけて、馬小屋で生まれたイエス様の様子をかたどった仕掛け時計をこしらえてきていたのです。ある年の冬、時計は完成しました。ヘルマンは通行人に見えるように小さな窓の棚にその時計を飾りました。
クリスマスイヴの日、ヘルマンは1ペニヒだけ残して、戸口に来た物乞いに持ち金をすべてやってしまいました。それから最後の1ペニヒでクリスマスのりんごを一つ買いました。
りんごを仕舞っているところに、隣に住む子どもトルーデが泣きながらやって来ました。トルーデは、お父さんが怪我をしてツリーやお菓子やおもちゃを買うお金が無くなってしまったと言いました。
ヘルマンはトルーデのために残っている時計の中から一番出来のいいのを持って町に売りに行きました。しかし買ってくれる人はいませんでした。それで思い切って、伯爵の家を訪ねて行って懇願しました。伯爵は「いいだろう、時計を買ってやろう」と答えましたが、今持っている時計でなく ヘルマンの家の窓のところに置いてあった仕掛け時計に千ギルダー払おう、と条件をつけました。顔面蒼白になって断るヘルマンに「あの時計か、さもなければなにも買わぬか、じゃ。家へかえれ。半時間したら、時計をとりにいかせる」と伯爵はピシャリと言いました。
(あれだけはだめだ…!)呟きながら帰って行ったヘルマンでしたが、隣の家でともしたキャンドルを手に歌を歌っているトールデの影が見えました。伯爵の召使いがやって来ると、ヘルマンはイエス様への贈り物の時計を五百ギルダーで手放しました。
「今年もまた、手ぶらでいくしかないのだ」とイヴ礼拝への身支度をしかけて、ヘルマンの目に戸棚のりんごが目に留まりました。その二日分の夕飯を手にヘルマンは大聖堂へ向かいました。
ヘルマンを見た人々にざわめきが広がりました。「恥しらず!じいさんは、けちなもんで、あの時計をもってこられなかったのだ。守銭奴が金にしがみつくように、時計にしがみついているんだ。あの手にもっているものを見ろ!恥しらずが!」人々の言葉はヘルマンの耳にも届きました。ヘルマンは深くうなだれて歩き、祭壇の前に進みました。階段でよろめいてりんごを差し出すと、ヘルマンを取り巻いていた呟きがどよめきに変わりました。「奇跡だ!奇跡がおこったのだ!」
ヘルマンがかすむ目で見上げると、幼子イエスがマリア様んぼ腕から身を乗り出し、時計作りのりんごを取ろうとして手を伸ばしているのが見えました。
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今年のアドヴェントを締めくくるクリスマスアルバムとして、この11月に発売された大橋トリオの『MAGIC』を取り上げます。いやぁ、沁みるアルバムですよ。胸の中でアイディアを何年か温めて、大事に練り上げられた音楽たちという気がしますね。(え?大橋トリオ、信仰あるの?)なんていう疑問もちょっと浮かびそうなほど、深いものがあります。でも、さり気なくて。その辺が、『クリスマスのりんご』とも釣り合うように思います。
今年のアドヴェント・シリーズ、いかがでしたか?皆様が良いクリスマスを迎えられますよう、お祈りしています。
アドヴェントも3週目になりました。今週は、パール・バックの『わが心のクリスマス』をご紹介します。彼女の両親は海外宣教師の任に当たっており、パールは多感な頃までを中国で過ごしたそうです。この本には、実生活から生まれた物語と共に、創作も収録されています。そんな中から今日ピックアップするのは、「新しいクリスマス」という一篇です。
* * *
メアリー・バーナットには5人の子供がいました。会社の景気が芳しくない夫のアダムに「今年のクリスマスは節約してくれよ」と言われ思い悩んでいたある日、買い物の後に置きっぱなしにした財布をめぐって子供達にちょっとした諍いが起こります。長子のルースが財布を見つけた人にチェリータルトをあげると約束すると、弟のジミーがもごもごと白状しました。釣り銭がきちんとあることを確認したルースに、「タルトは僕のだね」とジミーが嬉しそうな声を上げました。しかし兄のブルックや次女のペニーが現金なジミーをたしなめます。けれど約束は約束だと、ルースはジミーにタルトをあげました。決りの悪くなったジミーは、みんなに一口ずつタルトを分けました。
口を出さずに成り行きを見守っていたバーナット夫人は子供達の成長ぶりに目を細め、一件落着したところでその場へ入り、今年は家計が苦しいことを伝えて、新しいクリスマスを考えてみないかと提案しました。子供達は最初、「サンタクロース」「光り輝くクリスマスツリー」「七面鳥やプラムプディング」「新しいオーバー」…口々に欲しいものを挙げました。メアリーは微笑みながらも間をおいて、何をもらえるかではなく自分のできることで何をしてあげられるか考えてみて、と促します。ブルックはトムソンさんのおばあさんの所の雪掻きを、ルースは母の代わりにアイロン掛けを、ジミーは靴など隠しものをするのを止めると約束し、ペニーはジャクソンさん家の赤ちゃんのお守りを、ジャックは犬の餌やりや水あげを申し出ました。
帰宅したアダムはこの新しいクリスマスの約束についてメアリーから聞き、とても喜びました。そして、子供達を尊重して信じると話すメアリーに「それが君からの贈り物だね」と言いました。
* * *
今週は、スウェーデンで活躍するザ・リアル・グループの『Real Christmas』を選びました。風塵の中にきらきら光る結晶のようなストーリーによく合う、澄み切ったコーラスが身上です。
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メアリー・バーナットには5人の子供がいました。会社の景気が芳しくない夫のアダムに「今年のクリスマスは節約してくれよ」と言われ思い悩んでいたある日、買い物の後に置きっぱなしにした財布をめぐって子供達にちょっとした諍いが起こります。長子のルースが財布を見つけた人にチェリータルトをあげると約束すると、弟のジミーがもごもごと白状しました。釣り銭がきちんとあることを確認したルースに、「タルトは僕のだね」とジミーが嬉しそうな声を上げました。しかし兄のブルックや次女のペニーが現金なジミーをたしなめます。けれど約束は約束だと、ルースはジミーにタルトをあげました。決りの悪くなったジミーは、みんなに一口ずつタルトを分けました。
口を出さずに成り行きを見守っていたバーナット夫人は子供達の成長ぶりに目を細め、一件落着したところでその場へ入り、今年は家計が苦しいことを伝えて、新しいクリスマスを考えてみないかと提案しました。子供達は最初、「サンタクロース」「光り輝くクリスマスツリー」「七面鳥やプラムプディング」「新しいオーバー」…口々に欲しいものを挙げました。メアリーは微笑みながらも間をおいて、何をもらえるかではなく自分のできることで何をしてあげられるか考えてみて、と促します。ブルックはトムソンさんのおばあさんの所の雪掻きを、ルースは母の代わりにアイロン掛けを、ジミーは靴など隠しものをするのを止めると約束し、ペニーはジャクソンさん家の赤ちゃんのお守りを、ジャックは犬の餌やりや水あげを申し出ました。
帰宅したアダムはこの新しいクリスマスの約束についてメアリーから聞き、とても喜びました。そして、子供達を尊重して信じると話すメアリーに「それが君からの贈り物だね」と言いました。
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今週は、スウェーデンで活躍するザ・リアル・グループの『Real Christmas』を選びました。風塵の中にきらきら光る結晶のようなストーリーによく合う、澄み切ったコーラスが身上です。
スキーより帰った弟が目を逸らす家にて帽子着けている吾に
(とど)
2012年3月16日 作歌、2019年秋〜2020年7月の間に改訂。
(とど)
2012年3月16日 作歌、2019年秋〜2020年7月の間に改訂。
12月7日に韮崎教会で開かれたクリスマスコンサートにご出演くださった ヴァイオリンの遠藤記代子さんから、彼女の主宰する管弦楽団の定期演奏会のご案内のメールをいただきました。
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すっかり寒い季節になりました。
お元気でお過ごしですか?
2014年、年明け早々以下の通り演奏会があります。
私がベルリンでそうしてきたように、日本にもコンツェルトを勉強させてくれるオケがあったらいいのに、、、
という思いで、2013年春に小さな室内管弦楽団を、大学時代からの信頼できる仲間と作りました。
指揮者は、ベルリンでお世話になったオーケストラからお呼びしました。
オペラ指揮者ですから、合わせものは別格。私の仲間からの評価も高くて安心しました。
2013年は音楽祭、指揮講習会を開催しました。来年1月、記念すべき第一回定期公演を迎えます。
ソリストは凄く頑張っている中学生。
後半は大人歌手を迎え、演奏会形式でオペラを上演します。
是非是非ご来場下さい。
***
バウムクーヘン室内管弦楽団第1回定期公演
2014年、1月15日(水)保谷こもれびホール小ホール(西東京市)
開演19:00 開場18:30 全席自由:3000 円
プログラム
オール・モーツァルトプログラム
1、ヴァオリン協奏曲第3番
2、ヴァオリン協奏曲第4番
3、歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」~演奏会形式・原語上演・語り付き
ソリスト
井手葉月(ヴァイオリン)
西村映海(ヴァイオリン)
吉田真澄(バスティエンヌ/ソプラノ)
坂口寿一(バスティアン/テノール)
川上敦(コラ/バリトン)
沓名環希(語り手/女優)
指揮:宮嶋秀郎
コンサートミストレス:遠藤記代子
管弦楽:バウムクーヘン室内管弦楽団
主催:バウムクーヘン室内管弦楽団
kpb_tokyo★yahoo.co.jp
*メール送信時には、★を@に換えてください。
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すっかり寒い季節になりました。
お元気でお過ごしですか?
2014年、年明け早々以下の通り演奏会があります。
私がベルリンでそうしてきたように、日本にもコンツェルトを勉強させてくれるオケがあったらいいのに、、、
という思いで、2013年春に小さな室内管弦楽団を、大学時代からの信頼できる仲間と作りました。
指揮者は、ベルリンでお世話になったオーケストラからお呼びしました。
オペラ指揮者ですから、合わせものは別格。私の仲間からの評価も高くて安心しました。
2013年は音楽祭、指揮講習会を開催しました。来年1月、記念すべき第一回定期公演を迎えます。
ソリストは凄く頑張っている中学生。
後半は大人歌手を迎え、演奏会形式でオペラを上演します。
是非是非ご来場下さい。
***
バウムクーヘン室内管弦楽団第1回定期公演
2014年、1月15日(水)保谷こもれびホール小ホール(西東京市)
開演19:00 開場18:30 全席自由:3000 円
プログラム
オール・モーツァルトプログラム
1、ヴァオリン協奏曲第3番
2、ヴァオリン協奏曲第4番
3、歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」~演奏会形式・原語上演・語り付き
ソリスト
井手葉月(ヴァイオリン)
西村映海(ヴァイオリン)
吉田真澄(バスティエンヌ/ソプラノ)
坂口寿一(バスティアン/テノール)
川上敦(コラ/バリトン)
沓名環希(語り手/女優)
指揮:宮嶋秀郎
コンサートミストレス:遠藤記代子
管弦楽:バウムクーヘン室内管弦楽団
主催:バウムクーヘン室内管弦楽団
kpb_tokyo★yahoo.co.jp
*メール送信時には、★を@に換えてください。
昨日は、韮崎教会で ヴァイオリンとリコーダー(およびヴィオラ・ダ・ガンバ)の奏者をお招きしての クリスマスコンサートがありました。
今回お呼びしたヴァイオリニストの遠藤記代子さんは私が大学生の頃に知り合った方。当時は気安く接していましたが、その後 留学などもされて、今は海外での演奏活動などにも出掛けられて大活躍中です。韮崎教会では、過去に3回のチャペルコンサートを行ってきましたが、そのアンケートのたびに「ヴァイオリンの演奏が聴きたい」というご希望を沢山いただいていました。それで、彼女に連絡を取ってみたわけです。私が山梨に移り住んできたこともあって、記代子さんとは長らく音信不通になっていたのですが、昨今のSNSのネットワークの力は凄まじいですね!メッセージを送ってものの一時間と経たないうちに彼女から返信が来て、お互いの携帯のメールアドレスを交換しました。彼女から、長年デュオを組んでいるリコーダーの星典子さんにお声をかけていただいて、今回のコンサートが実現しました。
記代子さんと実際に言葉を交すのは十数年ぶりです。当日は、緊張からでしょう、まだ明け方にもならないうちに目覚めて、書き物などしていました。彼女のネット上の近影などでは、学生時代に比べグッと垢抜けて見えましたから、久しぶりのご対面はドキドキものでした。開演の2時間ほど前に韮崎駅にお越しになるということでお迎えに上がりましたが、私の姿を見つけた彼女はパッと手を振ってくれました。変わらぬ親しみやすさにホッとしました。
教会に着くと、彼女達はチャペルに入ってすぐ音出しをし、オルガンの方と音合わせに。準備のために早く来ていた委員会のメンバーは、チャペルの扉を隔てて ロビーで「ヴァイオリン、いいね!」「温かい音だね」「アルトリコーダーであんなに音を綺麗に響かせるのって難しいんだよね」など口々に話していました。
本番は、「ひさしくまちにし」で厳かに幕開け。続くヴァン・エイクの讃美歌変奏曲「詩編118編」のリコーダー・ソロでは、透き通ったリコーダーの音色が会堂に伸びやかに響き渡り、会場中がうっとり。「みつかいうたいて」という讃美歌としても知られるトラディショナル「グリーンスリーヴス」は、一曲の中に躍動感と静謐さを兼ね備えた変曲が施されていました。(終演後、教会員さんで「グリーンスリーヴス」が大好きだという方が、興奮気味に褒めちぎっていたのが印象的でした。)
後半は、バッハで固めたプログラムが披露されました。バッハの〔無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ〕から「ロンド形式のガボット」が聴けたのには感無量。艶やかで華のある演奏に聴き惚れました。「主よ人の望みのよろこびを」では、教会のオルガニストのGさんも加わってくださり大団円。
その後、三曲ほどクリスマス讃美歌をみんなで一緒に歌いました。ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、オルガンという贅沢な伴奏に乗っかって歌うのは、とても心地良かったです。
讃美歌の後、案の定 アンコールを求める手拍子が始まって、その場を取りなすのにちょっと苦労しました(苦笑)。でも確かに、もっと聴きたいという皆さんのお気持ちは、私も同じでした。
* * *
<宣伝>
ヴァイオリンの遠藤記代子さんが最近、本を出版されました。
『遠藤記代子の かっこいい!ヴァイオリン ベーシックスタディ [基礎編]』という本で、彼女が音楽教室で指導している【ヴァイオリン体操】について、分かりやすいイラストをふんだんに使って解説されています。
今回お呼びしたヴァイオリニストの遠藤記代子さんは私が大学生の頃に知り合った方。当時は気安く接していましたが、その後 留学などもされて、今は海外での演奏活動などにも出掛けられて大活躍中です。韮崎教会では、過去に3回のチャペルコンサートを行ってきましたが、そのアンケートのたびに「ヴァイオリンの演奏が聴きたい」というご希望を沢山いただいていました。それで、彼女に連絡を取ってみたわけです。私が山梨に移り住んできたこともあって、記代子さんとは長らく音信不通になっていたのですが、昨今のSNSのネットワークの力は凄まじいですね!メッセージを送ってものの一時間と経たないうちに彼女から返信が来て、お互いの携帯のメールアドレスを交換しました。彼女から、長年デュオを組んでいるリコーダーの星典子さんにお声をかけていただいて、今回のコンサートが実現しました。
記代子さんと実際に言葉を交すのは十数年ぶりです。当日は、緊張からでしょう、まだ明け方にもならないうちに目覚めて、書き物などしていました。彼女のネット上の近影などでは、学生時代に比べグッと垢抜けて見えましたから、久しぶりのご対面はドキドキものでした。開演の2時間ほど前に韮崎駅にお越しになるということでお迎えに上がりましたが、私の姿を見つけた彼女はパッと手を振ってくれました。変わらぬ親しみやすさにホッとしました。
教会に着くと、彼女達はチャペルに入ってすぐ音出しをし、オルガンの方と音合わせに。準備のために早く来ていた委員会のメンバーは、チャペルの扉を隔てて ロビーで「ヴァイオリン、いいね!」「温かい音だね」「アルトリコーダーであんなに音を綺麗に響かせるのって難しいんだよね」など口々に話していました。
本番は、「ひさしくまちにし」で厳かに幕開け。続くヴァン・エイクの讃美歌変奏曲「詩編118編」のリコーダー・ソロでは、透き通ったリコーダーの音色が会堂に伸びやかに響き渡り、会場中がうっとり。「みつかいうたいて」という讃美歌としても知られるトラディショナル「グリーンスリーヴス」は、一曲の中に躍動感と静謐さを兼ね備えた変曲が施されていました。(終演後、教会員さんで「グリーンスリーヴス」が大好きだという方が、興奮気味に褒めちぎっていたのが印象的でした。)
後半は、バッハで固めたプログラムが披露されました。バッハの〔無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ〕から「ロンド形式のガボット」が聴けたのには感無量。艶やかで華のある演奏に聴き惚れました。「主よ人の望みのよろこびを」では、教会のオルガニストのGさんも加わってくださり大団円。
その後、三曲ほどクリスマス讃美歌をみんなで一緒に歌いました。ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、オルガンという贅沢な伴奏に乗っかって歌うのは、とても心地良かったです。
讃美歌の後、案の定 アンコールを求める手拍子が始まって、その場を取りなすのにちょっと苦労しました(苦笑)。でも確かに、もっと聴きたいという皆さんのお気持ちは、私も同じでした。
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ヴァイオリンの遠藤記代子さんが最近、本を出版されました。
『遠藤記代子の かっこいい!ヴァイオリン ベーシックスタディ [基礎編]』という本で、彼女が音楽教室で指導している【ヴァイオリン体操】について、分かりやすいイラストをふんだんに使って解説されています。
アドヴェントも2週目に入りました。今週は、遠藤周作や椎名麟三といった小説家や、阪田寛夫ら詩人、大学教授、牧師など20人によるクリスマス・エッセイ集『さやかに星はきらめき』を取り上げましょう。この本は、クリスマスと言うと想起されるステレオタイプの心温まる物語とはひと味違い、クリスマスにまつわる辛い思い出や、イエス様の誕生に伴って起こった悲しい出来事にも触れ、深く考えるきっかけを与えてくれる本です。今日はその中から、大学教員で詩人の森田進の書いた「子どもとクリスマス」について少しご紹介します。
* * *
森田氏は、未熟児で生まれた双子の次男と三男を一日も経たぬうちに亡くされました。生き残ってしまった親という運命をどう生きて良いか分からず煩悶し、一種の自己破壊をその後数年つづけることになったそうです。そのうち森田氏は、神の子イエスの生誕がベツレヘムの多くの嬰児の虐殺を背景に抱えていたことに思いを凝らすようになったと語っています。その上で彼は、イエスが聖書のあちこちで子どもを死から甦らせるのに熱心であったのは、自身の生誕にまつわる悲劇と無関係ではないと説きます。神の子の誕生を恐れたヘロデ王の命令で多くの幼子が犠牲になったという悲惨な事実を引きずってイエスは成長したであろうと述べ、こう記します。「いわば夥(おびただ)しい血と引き換えに生を与えられたという重苦しい負い目から、イエスは当然自由にはなれなかったはずだ」。
さらに、父ヨセフがイエスの12歳の過越祭以降 聖書に登場しないことに触れ、イエスが母子家庭で育ったのではないかと推測し、それだけでなくイエスの兄弟姉妹が必ずしもイエスを信じていなかったらしいことからも、神の子としての道を歩まざるを得なかったイエスの激しい孤独の痛みを推し量っています。
出生の重さ、家庭的な不幸、神の子としての孤独を充分噛み締めていたイエスだったからこそ、民衆が囚われている悲しみを自分のこととして引き受けられたのだと結論づけて、イエスが常に弱い立場の者の側に立っていたことを語ります。ルカによる福音書7章12節以下で、一人息子の死に嘆く寡婦に「もう泣かなくともよい」と言って、息子を生き返らせるイエスの姿に見られるように。
* * *
真摯なエッセイが連ねられたこの本と共にご紹介するクリスマスアルバムは、ブライアン・カルバートソンの『A Soulful Christmas』。心の深いところから揺り動かすようなサウンドをお楽しみください。
* * *
森田氏は、未熟児で生まれた双子の次男と三男を一日も経たぬうちに亡くされました。生き残ってしまった親という運命をどう生きて良いか分からず煩悶し、一種の自己破壊をその後数年つづけることになったそうです。そのうち森田氏は、神の子イエスの生誕がベツレヘムの多くの嬰児の虐殺を背景に抱えていたことに思いを凝らすようになったと語っています。その上で彼は、イエスが聖書のあちこちで子どもを死から甦らせるのに熱心であったのは、自身の生誕にまつわる悲劇と無関係ではないと説きます。神の子の誕生を恐れたヘロデ王の命令で多くの幼子が犠牲になったという悲惨な事実を引きずってイエスは成長したであろうと述べ、こう記します。「いわば夥(おびただ)しい血と引き換えに生を与えられたという重苦しい負い目から、イエスは当然自由にはなれなかったはずだ」。
さらに、父ヨセフがイエスの12歳の過越祭以降 聖書に登場しないことに触れ、イエスが母子家庭で育ったのではないかと推測し、それだけでなくイエスの兄弟姉妹が必ずしもイエスを信じていなかったらしいことからも、神の子としての道を歩まざるを得なかったイエスの激しい孤独の痛みを推し量っています。
出生の重さ、家庭的な不幸、神の子としての孤独を充分噛み締めていたイエスだったからこそ、民衆が囚われている悲しみを自分のこととして引き受けられたのだと結論づけて、イエスが常に弱い立場の者の側に立っていたことを語ります。ルカによる福音書7章12節以下で、一人息子の死に嘆く寡婦に「もう泣かなくともよい」と言って、息子を生き返らせるイエスの姿に見られるように。
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真摯なエッセイが連ねられたこの本と共にご紹介するクリスマスアルバムは、ブライアン・カルバートソンの『A Soulful Christmas』。心の深いところから揺り動かすようなサウンドをお楽しみください。
12月。イエス様の降臨を待ち望むアドヴェントの季節がやってきました。昨年と一昨年はクリスマスに絡めて絵本を取り上げてきましたが、今年は読み物主体の本をご紹介します。
今日お届けする本は、レギーネ・シントラーによる『シモンとクリスマスねこ』という児童書です。
クリスマスが待ち遠しい少年シモンのために、眠る前にお父さんが毎日紡ぎ出してくれたお話、という設定でストーリーは展開します。大学で実践神学の講師も務めるシントラーは、クリスマスを心待ちにする子供の気持ちを巧みにとらえて、暖かな世界を繰り広げてくれています。クリスマスをカウントダウンする24の話の中から、今日は一つをピックアップしてみましょう。
* * *
アドヴェントの時季に聖ニコラウスがある学校のクラスに子供達へのプレゼントのかごを届けてくれました。しかし待ちきれない子供達は、先生が教室に来る前にかごをひっくり返してしまいます。クラスに来て様子を見た先生は、悲しい顔をしながらもかごの中に入っていた聖ニコラウスからの手紙を読んでくれました。『このかごのなかにある、きみたちへのとっておきのおくりものは、なんといっても魔法のクルミだ。そのクルミは、もらった人をだれでもしあわせにする、ふしぎなクルミなのだ。それは三つのオレンジにかこまれて、いちばん上においてある。目じるしは、その下にあるハートの形の白い砂糖菓子のついた、はちみつケーキだ』。でも、後の祭りです。かごの中身はごちゃごちゃになり、はちみつケーキの上の白い砂糖菓子は粉々に砕けてしまっていました。
それでも先生は、子供達一人一人に一つずつクルミを手渡しました。子供達は自分が貰ったクルミが魔法のクルミか考えて、内心ドキドキ。すると、いつもは無口な女の子が先生の方に来て、クルミを差し出して言いました。「たぶんわたしのクルミが魔法のクルミです。だから、わたしのクルミを先生にあげたいんです。先生には、しあわせになってもらいたいから」。みんなしーんとして、次の瞬間 一斉に先生に駆け寄って我も我もとクルミを先生の机に置きました。先生はニッコリ。ある子が「でも、だれが魔法のクルミをもっていたのかなぁ?」と呟きました。先生は生徒達一人一人にクルミを返し、「あなたたちがだれかにクルミをプレゼントしたときに、だれが魔法のクルミをもっていたかがわかるでしょう」と言いました。
翌日先生は尋ねました。「だれのクルミが魔法のクルミでしたか?」子供達は「ぼく!」「わたし!」と口々に叫びました。子供達は帰宅するとすぐに自分のクルミをプレゼントし、その人を幸せにしました。そして貰った人の顔を見て、自分も幸せになったのです。先生は「聖ニコラウスは、魔法のクルミばかりもってきてくれたのかもしれませんね」と言いました。「もしそのクルミのひとつひとつが、クリスマスがくるまでに、つぎからつぎへと、手わたされていったら、クリスマスの日には、街じゅうの人がしあわせになるでしょうね」。それを聞いて、クラスのみんなは拍手しました。
* * *
今日ご紹介するクリスマスアルバムは、カントリー寄りのCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)の女性コーラスグループであるPoint of Graceの『Tennessee Christmas: A Holiday Collection』。躍動感にあふれつつもどこか素朴さを残す讃美の歌声は、やんちゃな子供達によるハートウォーミングな話にピッタリです。
今日お届けする本は、レギーネ・シントラーによる『シモンとクリスマスねこ』という児童書です。
クリスマスが待ち遠しい少年シモンのために、眠る前にお父さんが毎日紡ぎ出してくれたお話、という設定でストーリーは展開します。大学で実践神学の講師も務めるシントラーは、クリスマスを心待ちにする子供の気持ちを巧みにとらえて、暖かな世界を繰り広げてくれています。クリスマスをカウントダウンする24の話の中から、今日は一つをピックアップしてみましょう。
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アドヴェントの時季に聖ニコラウスがある学校のクラスに子供達へのプレゼントのかごを届けてくれました。しかし待ちきれない子供達は、先生が教室に来る前にかごをひっくり返してしまいます。クラスに来て様子を見た先生は、悲しい顔をしながらもかごの中に入っていた聖ニコラウスからの手紙を読んでくれました。『このかごのなかにある、きみたちへのとっておきのおくりものは、なんといっても魔法のクルミだ。そのクルミは、もらった人をだれでもしあわせにする、ふしぎなクルミなのだ。それは三つのオレンジにかこまれて、いちばん上においてある。目じるしは、その下にあるハートの形の白い砂糖菓子のついた、はちみつケーキだ』。でも、後の祭りです。かごの中身はごちゃごちゃになり、はちみつケーキの上の白い砂糖菓子は粉々に砕けてしまっていました。
それでも先生は、子供達一人一人に一つずつクルミを手渡しました。子供達は自分が貰ったクルミが魔法のクルミか考えて、内心ドキドキ。すると、いつもは無口な女の子が先生の方に来て、クルミを差し出して言いました。「たぶんわたしのクルミが魔法のクルミです。だから、わたしのクルミを先生にあげたいんです。先生には、しあわせになってもらいたいから」。みんなしーんとして、次の瞬間 一斉に先生に駆け寄って我も我もとクルミを先生の机に置きました。先生はニッコリ。ある子が「でも、だれが魔法のクルミをもっていたのかなぁ?」と呟きました。先生は生徒達一人一人にクルミを返し、「あなたたちがだれかにクルミをプレゼントしたときに、だれが魔法のクルミをもっていたかがわかるでしょう」と言いました。
翌日先生は尋ねました。「だれのクルミが魔法のクルミでしたか?」子供達は「ぼく!」「わたし!」と口々に叫びました。子供達は帰宅するとすぐに自分のクルミをプレゼントし、その人を幸せにしました。そして貰った人の顔を見て、自分も幸せになったのです。先生は「聖ニコラウスは、魔法のクルミばかりもってきてくれたのかもしれませんね」と言いました。「もしそのクルミのひとつひとつが、クリスマスがくるまでに、つぎからつぎへと、手わたされていったら、クリスマスの日には、街じゅうの人がしあわせになるでしょうね」。それを聞いて、クラスのみんなは拍手しました。
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今日ご紹介するクリスマスアルバムは、カントリー寄りのCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)の女性コーラスグループであるPoint of Graceの『Tennessee Christmas: A Holiday Collection』。躍動感にあふれつつもどこか素朴さを残す讃美の歌声は、やんちゃな子供達によるハートウォーミングな話にピッタリです。