水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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土日でそんな動きゃしないと思いつつ…

2016年01月31日 18時02分29秒 | 時間帯にあわせて
月曜の あかときの夢に うなされる
既に募集は 締め切ったとの
(とど)

2013年2月25日 作歌、2016年1月上旬 改訂。
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一首鑑賞(24):和気智子「すくい上げたよダンボールから」

2016年01月28日 13時46分14秒 | 一首鑑賞
掌にすっぽり収まるいのち見てすくい上げたよダンボールから
和気智子(『NHK短歌2016年2月号』より)


 「いのち」という題に投稿された佳作の一首である。
 子猫か子犬かがダンボールに捨てられているところを、見て見ぬ振りができず連れ帰ったという情景に不明瞭さは全くない。赤ん坊の動物を「掌にすっぽり収まるいのち」と捉え、「すくい上げた」という。文字通りダンボールから拾い上げたという意味と、置き去りにされたまま死にゆく運命から救い出したという二重の意味が込められた語句の選びが効いている。
 紛争や災害、貧困などの脅威にさらされている人びとに対して支援活動を行うNGO【ピースウィンズ・ジャパン】の大西が、動物愛護センターから殺処分直前の子犬を貰い受けたのも、まさに「すくい上げた」と言うにふさわしいだろう。この「夢之丞(ゆめのすけ)」が、訓練を重ねて災害救助犬に成長し、2014年に広島を襲った土砂災害で大活躍した経緯は、『命を救われた捨て犬 夢之丞:災害救助 泥まみれの一歩』(今西乃子・著)に詳しい。
 聖書の中にも、このように「すくい上げられた」人物がいる。モーセである。エジプトでヘブライ人が奴隷になっていた頃、ヘブライ人の赤ん坊は皆殺しするようファラオに命じられていた。しかしモーセが生まれて三ヶ月いよいよ人目から隠し切れなくなると、母親はパピルスの籠にその子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。そこにファラオの王女が水浴びをしようとやって来て、救われる。モーセとは王女が付けた名前である。曰く「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」。
 これらのエピソードは、遠い話だろうか。エゼキエル書16章6節に「しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」という聖句がある。これは端的にはエルサレムについて述べた言葉だが、私達もそのようにもがき苦しんでいたことがなかったか。だれにも目をかけられず嫌われていた<私>を、和気のように、大西のように、ファラオの王女のように、神様が引き上げてくださった――。
 和気の歌を読んでいると、彼ら一人一人の温かい眼差しが、そして神様の慈しみの御目と優しい御腕が、次々と眼裏に浮かんでくるようで、しばし胸が熱くなった。
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一首鑑賞(23):横山未来子「ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを」

2016年01月18日 10時32分26秒 | 一首鑑賞
ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを聴きをり小さき部屋に
横山未来子『午後の蝶:短歌日記2014』


 『午後の蝶:短歌日記2014』は【ふらんす堂】のホームページに2014年の一年間に掲載された、一日一首の横山の短歌とそれに添えた一言二言の文をまとめた日記型の歌集である。掲出歌は10月9日付けの歌で、次の小文が付されている。

  昨日は「三浦綾子読書会短歌部門」の日だった。参加者は私も含めて七人。テキストは、小説『ひつじが丘』。約二十年ぶりに読んだが、ストーリー展開がドラマチックで引き込まれた。

 読書会には、クリスチャンが多く参加していただろう。会の初めに、今回欠席したメンバーのためとりなしの祈りをしたのではと思われる。あるいは、義の道に餓え乾き三浦綾子の本に手が伸びた、名前も顔も知らぬ誰かのためにも祈ったのかもしれない。私達が信仰へと導かれ、また守られていく陰には、実はそうした祈りの支えがある。
 『ひつじが丘』では、牧師夫妻の娘である主人公が親の反対を押し切って、身持ちのあまり良くない画家の男の許へと駆け付け、その後どうなっていくかの顛末が綴られる。家出以来実家に何の音沙汰もなかった彼女がいつか帰ってくることもあろうと、両親は夜中も施錠せず娘の帰りを待ちわびた。その間おそらく毎夜、夫婦は娘のため、そして娘の夫となった男性のために祈り続けた筈だが、小説中に直接は描写されていない。
 二年四ヶ月後、娘はあるきっかけで二人住まいを抜け出し、夜中に実家へ帰り着く。日頃の憔悴から泥のように眠った主人公が明くる日の昼近くに目覚めると、教会を忌避していた夫が彼女を追って家に来ていた。不摂生がたたって血を吐いた彼は、牧師夫妻のお世話を受けるようになる。そうして居候しながらも彼は一度も教会堂に足を踏み入れることはなかった。けれど、牧師夫婦の温かさに触れて暮らすうちに、アルコールも断ち、いつしか心の毒気も清められていく。クリスマスイヴの夜、以前の女性関係を清算するために出かけた彼は、帰り道に凍死という形で息絶える。イヴに主人公に贈ろうと彼がコツコツ制作していた絵は、十字架上のイエスと主を見上げる彼自身を描いたものだった――。

 横山らが読書会の席で実際に祈ったことを私は先に想像した。だがこうして『ひつじが丘』の筋を辿ると、牧師夫婦が主人公の家出以降、またその夫君と思いがけず共に暮らすようになってからも、続けて彼のために祈ってきた声を、会の小部屋にありありと「聴いた」のだと取ることも可能だろう。
 とりなしの祈りをしながら、私達は雲を摑むような思いに捕われることがある。そんな時でも「主は、従う人に目を注ぎ助けを求める叫びに耳を傾けてくださる」(詩編34編16節)という主の約束を覚えつつ歩んで行けたらと願う。
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肩を押してもらったかも…

2016年01月13日 04時50分50秒 | 風景にあわせて
新しい 出会いが待っていますという
占いの載る 同窓会報
(とど)

2014年7月10日 作歌。
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ビィィンと。

2016年01月08日 05時52分30秒 | 風景にあわせて
爪切りの 残響音や 冬深し
(とど)

2015年1月10日 句作。
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あけましておめでとうございます

2016年01月01日 05時13分57秒 | 季節にあわせて
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