水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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アドヴェント2015:「天のかなたから」

2015年11月29日 04時00分00秒 | クリスマスに寄せて
 街ではちらほらクリスマスソングを耳にする頃となってきた。これらの歌が世俗的で商業主義的な面を持っていることは否めないけれども、教会でも年末にかけては歌に満たされる時季である。それはどうしてだろうか?
 聖書の降誕物語には、既に「歌」が登場してくる。マリアが天使から受胎告知を受けるシーンでは、[マリアの賛歌](マグニフィカト)と呼ばれる賛美を神に奉げている。少し引用しよう。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」(ルカによる福音書1:46~55) また、イエスの誕生の夜に野原で羊の番をしていた羊飼いを訪れた天使の大軍が、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書2:14)と賛美の歌を歌っている。これは後に[グロリア]という讃美歌に発展していった。
 『讃美歌21』246番「天のかなたから」は、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター夫妻が1535年のクリスマスに五人の子供達のために歌って聴かせた自作の讃美歌である。
 天のかなたからやって来て、神の御子イエス様の誕生を告げる天使とそれに答える子供達…。ルターと妻ケーテが亡くなってかなり経ってから、のこされた子供達は「うちの親父は財産は何も遺していかなかった。しかし親父とお袋は、僕らの動きたがらぬ唇に、創造の世界を賛美する歌を遺し、暗い心に明るい信仰の灯を点していってくれた。このような親を持ち得たことを僕らは誇りに思う」と語ったそうだ。
 いずれ十字架にかかるためにこの世にお生まれになったイエス様に、ふさわしい贈り物を私達は何も持ち合わせていない。私達はただ御名をたたえるだけの者であるが、恐れ多くもまさにそのことを神様が喜んで下さることを、御言葉が示している。

 後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」( 詩編102編19節)

*参考文献:嶺重淑・波部雄一郎 編『よくわかるクリスマス』(教文館)、小塩節著『光の祝祭~ヨーロッパのクリスマス』(日本基督教団出版局)


今回は、ルター作曲の「天のかなたから」(Vom Himmel hoch, da komm ich her)のインストを三つご紹介しておきます。
(1) Thomas Battenstein(G)
(2) Jonas Khalil(G)
(3) Andreas Obieglo(Pf)
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厳密に言えば違うのかな…?

2015年11月26日 16時44分31秒 | 風景にあわせて
小春日を 羽に透かして ひるがえり
高度を下げる 蜻蛉三つ四つ
(とど)

2011年10月27日 作歌。
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一首鑑賞(20):川藤青理沙「悲しみの果てに眠れる弟子を描く」

2015年11月23日 11時06分08秒 | 一首鑑賞
悲しみの果てに眠れる弟子を描く医師なるルカのまなざしやさし
川藤青理沙『ヨルダンの岸辺』


 ルカは福音書の執筆者で、医師であった。四福音書の中でもルカによる福音書は、貧しい人や病気の人、社会的弱者に温かいまなざしを向けている書として知られている。そのことを川藤は、ハンセン病患者の精神医学調査を行った神谷美恵子や、長島愛生園の嘱託医を務めつつハンセン病患者の収容のために奔走した小川正子らと姿を重ね合わせて、「ルカのまなざし」という一連にまとめている。しかし一連の内、いや歌集全体を通しても出色なのは掲出歌であろう。
 ルカによる福音書22章39節以下には、この歌の下敷きとなった場面が描かれている。イエスは祭司長らに捕らえられる前にオリーブ山へ行き、一人祈る。44~45節には「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた」とある。同じ箇所をマタイによる福音書では「再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである」(26章43節)と記す。一方マルコによる福音書では、マタイと同じ文面に続け「彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった」の一文を加えて一節と成している(14章40節)。それにしても、眠りこけていた弟子達を<悲しみの果てに>と捉えるルカの優しさが光る。
 ルカが温情をもって見つめたのは、社会的弱者ばかりではなかったようだ。イエスと親しかった姉妹にマルタとマリアがいる。もてなしのため立ち働く自分を手伝うよう妹を説き伏せてほしいとイエスにお願いするマルタが逆に諌められたのを読んで、私達はどうかすると主がマリアを贔屓にしているかのように早合点しかねない。しかし、イエスは「マルタ、マルタ」と愛情を込めて二度呼びかけているのだ(ルカによる福音書10章41節)。同じようにシモン・ペトロも、イエスが十字架に架かる前の晩「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカによる福音書22章31~32節)と呼びかけられている。これらは共にルカによる福音書にしか記載が無い。
 マリアより気働きができるものの人を裁きがちなマルタ。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と勇ましく答えつつも主を裏切ってしまうことになるペトロ。気丈に見えながら弱さを内に抱えた二人に対して温かなお心をもって接せられたイエスを、ルカは注意深い筆致で書き留める。御言葉にイエスを辿る時、その場に居合わせたかのように私達は自身の姿も見出す。そこにルカの筆が一役買っているのは疑いもない。
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眼つきの悪さは認めます…

2015年11月16日 13時49分57秒 | 人[その作品]に寄せて
そそくさと席を譲って君は言う「〈どけ、犬〉という目つきだった」と
(とど)

2011年7月31日 作歌、2015年8月中旬 改訂。
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一首鑑賞(19):高尾文子「いのち見に来よ来よとさそふ降誕月を」

2015年11月05日 13時43分25秒 | 一首鑑賞
永遠の真日(まひ)のやうなるいのち見に来よ来よとさそふ降誕月を
高尾文子『約束の地まで』


この歌集の歌が作り溜められた間に、高尾には孫が誕生している。桜の咲く季節に生まれた赤子を見に行こうと高尾の心は踊る。その心持ちを表したのが掲出歌である。折しも時は十二月――。彼女は赤子の生命を「永遠の真日のやうなるいのち」と詠い、その命を見に「来よ来よ」と繰り返す。高尾がカトリックの信徒であることを考え合わせると、このリフレインは讃美歌「神の御子は今宵しも」 (Adeste Fideles/O Come All Ye Faithful。『讃美歌21』では259番「いそぎ来たれ、主にある民」) を踏まえているのだろう。『讃美歌21』より一節の歌詞を引く。

   いそぎ来たれ、主にある民、
   み子の生まれし ベツレヘム。
   うたえ、祝え、天使らと共ともに。
   来たりて拝(おが)め、来たりて拝め、
   来たりて拝め、いざ、共に。


高尾は赤子を心底いとおしみ、このようにも詠う。

  天からのよき贈りもの すこやかにきつちりと生え揃ひし乳歯
  ちさき夢そだてよ佳き児に糧となる本えらびをり聖夜近づく


一方、齢を重ねる高尾には心痛む別れもあったようだ。歌人の小高賢への挽歌の最後尾に次の歌が置かれている。

  ノエル、ノエル、ノエル、こよひの歌声に忘れえぬ死者みな帰りこよ

「忘れえぬ死者みな帰りこよ」の<みな>に注目したい。高尾には惜別の思いに見送った幾人もの人があったのだ。あるいは実際には会わずに既に眠りに就いている先達も、その中に含まれるのかもしれない。「ノエル…」のリフレインは、やはりクリスマスの讃美歌である「まきびとひつじを」(The First Noel)に登場する。逝く人もあれば、入れ違いに生を受ける者もいる。クリスマスの讃美歌を歌う頃、高尾はイエスの降誕の恵みを噛みしめ、同時にこの世を先に旅立った方々に思いを馳せる。
「まきびとひつじを」の最終節にはこうある。(『讃美歌21』258番)

   われらもこよいは 歌声合わせて
   平和をもたらす 主イエスをたたえよう。
   ノエル、ノエル、ノエル、ノエル、
   主イエスは生まれた。


(主イエスは私達のためにお生まれになったんです。ご一緒にお祝いしようじゃありませんか…!)そう心の内で叫ぶ高尾の声が聞こえてくるかのような一首である。
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来た来た…!と。

2015年11月02日 10時29分18秒 | 風景にあわせて
耳慣れた エンジン音を
響かせて 来る郵便配達人(ポストマン)に
窓辺へと寄る
(とど)

2012年9月14日 作歌。
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