水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

Amazon等で購入できます。 また、HonyaClub で注文すれば、ご指定の書店で受け取ることもできます。
また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

一首鑑賞(102):岸原さや「小さな脳に刻もうとする」

2024年07月17日 13時51分42秒 | 一首鑑賞
なぜだろういつか忘れていくことを小さな脳に刻もうとする
岸原さや『声、あるいは音のような』

 岸原は読書家である。そして映画もよく観ている。私がTwitterをしていた頃、岸原の視野の広さ・行動力には圧倒されていた。しかし、岸原の歌集には知識をひけらかすようなところは微塵もない。ただ清冽で美しい読後感の残る歌集である。
 岸原はカトリックの信徒である。歌集には、神父に受洗の動機を告げる一首なども収められている。だから、「小さな脳に刻もうとする」「いつか忘れていくこと」というのは、社会や文化の知識なども勿論指しているのであろうが、聖書の御言葉や聖人らによる黙想の言葉などもおそらく含まれているのでは、と私は推察する。
 申命記8章2〜3節に次の御言葉がある。
あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

 私自身はキャパシティ(人間としての容量)がごく小さいため、読書は殆ど聖書一辺倒であることを認めざるを得ない。聖書をベースにしつつ、それを補う程度に他の本を読んでいるに過ぎない。書籍に頼って自分の信仰の根を広げるには、あまりに遅読な私である。それゆえ、FEBCというキリスト教放送局を日々愛聴しており、気に入った番組の音源(FEBCライブラリー)は購入もしている。まぁそうは言っても、与えられている時間はみな等しく一日24時間なのであるし、買ったは良いけれど全部を聴き直すことができず、“拾い聴き”をしている場合も多い。

  悲の器 愛の器 無の器 うつわでしかなかったわたくし /岸原さや『声、あるいは音のような』

 誠実な省察の歌である。どれほどの知識や教養を蓄えようとも、自分は「うつわでしかなかった」と岸原は詠う。「言葉」を宿さねば生きていけない、という切実さに溢れていると言えよう。

 『信徒の友』2024年5月号[読者文芸]にこういう短歌があった。
  パンのみで生きてはいない僕がいた鬱に言葉を奪われし時 /岩瀬順治(『信徒の友』2024年5月号[読者文芸:短歌]より)

 鬱というのは、言葉さえも奪われる病なのだな、と、その辛さを推し量ることは非常に難しい。けれど岩瀬は「パンのみで生きてはいない僕がいた」と詠い切った。岩瀬は信仰者であろうから、きっと先に引用した申命記8章の御言葉を踏まえている筈である。そしておそらくは、ヨハネによる福音書1章の御言葉も胸中にあったのでは、と思われる。少し引用する。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネによる福音書1章4節)
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネによる福音書1章14節)

 主のご臨在は、聖霊の働きに顕れる。でも如何せん、聖霊は目に見えない存在であり、記憶に留められない。神様は、見えないものを信じられぬ人間の弱さをよくご存知だったから、イエスを地上に人間として送ってくださった。イエスは、神の意志を持ちつつ人間としてこの世を生きられた。イエスの語った言葉、そして行なった事柄の一つ一つ——主の生き様——が、人を生かす「言葉」として、聖書として残されている恵みを、つくづくと感じながら私は生きている。
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一首鑑賞(101):遠山光栄「針金を荷札にとほす手仕事を繰り返しゐる」

2024年04月06日 13時36分42秒 | 一首鑑賞
針金を荷札にとほす手仕事を繰り返しゐる老人(おいびと)よりて
遠山光栄『褐色の実』

 遠山光栄は1910年生まれの歌人で、『褐色の実』は、1956年に刊行された第三歌集である。遠山の略歴を見、また歌集中の歌を読むと、遠山自身は割合恵まれた境遇にいたようで、この掲出歌は障がい者施設を訪れた際に深く印象に残った景を詠んだ一連「養育院」に置かれている。そうなると、この情景はもう七十年近く昔のことであり、今の障がい者施設等の様相と簡単に結びつけて考えることは不適切には違いない。しかし障がい者を取り巻く状況が劇的に改善された、と一括して話を済ませることも短絡的に思われる。
 2015年発行の堀田季何の歌集『惑亂』に、次の歌がある。

    障碍者作業所訪問
  竹の山づみに竹かごふんだんにあれどもなぜか吾も編まさる

 堀田は身体的な疾患を複数抱えながらも、今や詩歌のジャンルを越境して活躍する文芸家である。堀田が作業所を訪問したのはそれなりに前のことになるのであろうし、自身の就労支援体験のためではなかったと推察される。けれど、作業所職員は堀田に竹かごを編ませている。私の働いている作業所でも、ボランティアでお越しになった方に直接収益には繋がらない作業を手伝っていただいている場面を何度か見かけたことがある。
 世間から取りこぼされてしまった人達に、視える「具体的な仕事」を与えるのが作業所である。勿論、通所して規則正しい生活リズムを作ることや、「作業療法」としての手仕事は、それなりに障がい者の生活の質を高めることに寄与している面もあろう。だが、私の作業所でも通所者の半数以上が一般企業などで働いて収入を得ていた社会経験をお持ちの方である。それが、(これ何の意味あるの?)という作業を、ただ手を動かすのが目的のために働かされて、何の虚しさも抱かずやり過ごせるかと言ったら、甚だ疑問である。
 厚生労働省が策定した、安定した職業生活のための職業準備性のモデルとして「職業準備制ピラミッド」というものがある。ピラミッドの下の階層から、①健康管理・病気の管理・体調管理、②生活のリズム・日常管理、③対人技能、④基本的労働習慣、⑤職業適性、の五段階に序列がつけられている。各段階の具体的な項目などを見ると、参考になる部分もあるのだが、一律的に考えることには私は懐疑的である。例えば、起床や身だしなみ等の②[生活のリズム・日常管理]に該当することができている方でも、自分の障害・症状の理解[①健康管理・病気の管理・体調管理]ができていない人も結構いるし、作業意欲や持続力などの④[基本的労働習慣]がしっかりしている人でも、非言語的コミュニケーションや意思表示などの③[対人技能]が不得手な人も見受けられる。このピラミッドの順番に拘り過ぎると、一人一人で異なる良さを潰す形式主義に陥ることも十分考えられる。

 コリントの信徒への手紙 一 12章 14〜25節に、こういう聖句がある。
体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。

 私自身のことを言えば、就労能力の自覚(作業適性)や指示理解などの[⑤職業適性]はあるほうだと思うが、協調性や感情のコントロール[③対人技能]ではやや欠けがあると自覚している。しかし、作業所の仕事や掃除などの様々な場面において他のメンバーや職員とのやり取りを通じて、自分には盲点だったこと、さらに自分の元々の作業手順よりも楽で効率の良いコツなど、色々な事柄に気づかせてもらえている。援助の要請(SOS発信)などは①[健康管理・病気の管理・体調管理]に含まれているのだが、この点は私の苦手とするところで、人の勤労意欲を削がないSOSの発信の仕方は、他のメンバーを見ていて、この一,二年でやっと習得したことである。
 私は作業所に来た当初、一刻も早く一般就労に戻りたかった。ある程度の稼ぎがある仕事をしていないと〈人間じゃない〉—— というような世間の風当たりを感じていたからである。今は、「就労」だけが道ではない、と思う。目には付かないかもしれないが、障がい者だって社会の歯車として働いている。部品等の請負作業の単価が安いからこそ、末端の消費者が購入可能な価格で企業も商品を販売できている面もあろう。そう考えれば、工賃を闇雲にupもできないだろう。私は職員に、金銭の多寡だけでメンバーを判断してほしくない、と思う。「もっと働け!そうすれば、もっと工賃を上げるから」と言う以上に、地道にこなしている日々の作業がこうして社会を回す一つの力になっているんだよ、と目を開かせてもらえたら、と心底願う。
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一首鑑賞(100):林あまり「クリスマス劇はいつでも新しく」

2023年12月23日 10時29分28秒 | 一首鑑賞
クリスマス劇はいつでも新しく
   たとえばことし初めての雪
林あまり『最後から二番目のキッス』

 林あまりは『信徒の友』読者文芸短歌欄の選者を務めている歌人で、教会員にはその名前を見知っている方も多いに違いない。林の所属教会でクリスマスページェント(イエス様の降誕劇)の案が持ち上がった四十年ほど前、演劇部で活動していた林は教会員からお呼びがかかり、以来、台本作りや演出に深く携わることになったらしい。そしてページェントがクリスマスの恒例行事となっていくうちに、神様に喜んでいただける舞台を、また、信徒でない観客がクリスマス本来の意味を理解できる舞台を目指すようになったという(『信徒の友』2022年12月号「継承されるページェント」より)。

 ヨセフとマリヤ ステレオタイプの「夫婦」には
    したくはなくて 脚本書きつぐ

 掲出歌および上の歌は、林あまりの歌集『最後から二番目のキッス』にある連作「それでもクリスマス」から引いた。《ステレオタイプの「夫婦」にしたくはなくて》の一首からは、林がどれだけページェントに真剣に向かい合ってきたのかが伝わってくる。イエス様のご両親なら清い温かい方々だったんでしょう……と観客には他人事としてしか感じられないような「良い夫婦の見本」みたいな描き方にしたくなかったのだろう。不自然にならぬように、でも台詞の隅に人間味を漂わせる。その年々でディテールも変えて、という拘りようが結句の「脚本書きつぐ」に現れている。
 林の教会でも、コロナ禍の2020年と2021年はページェントを実施できなかったという。2022年にやっと、ダイナミックな演出は控えたミニ版ページェントの実施が叶ったようである。
 ところでこう書くと驚かれるかもしれないが、私は「降誕劇」というものは何となく知っていたが、「ページェント」という言葉を初めて聞いたのはN教会に来てからである。そして生で観たのは、2019年の【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】で、こども園の園児・卒園児の親御さんによるページェントが初めてだった。今年「こどもクリスマス会」が開催されるに当たって、ページェントは会の運営の委員会が中心になって行おうという話になり、私もいきなりだが目立つ役どころを演じた。
 こどもクリスマス会の翌日が委員会の日で、会の振り返りをした。特に、委員会外の方に役をお願いしたら小道具まで作っていただけて子ども達にも受けが良かったことや、また、台本通りに行かなかったところに配役の方の咄嗟の機転で和みの笑いが生じた場面など、とても温かい気持ちで共有できた。さらに、役は演じなかった委員が傍らに座っていて(僕の役は台詞が無い……)と嘆いた子どもに対し「立っているだけで意味がある」と励ましたり、博士役の王冠を子どもがページェント前にいじってしまって形が崩れたのを直しに来ていたり、と心安らぐ一コマがあった。台本を書き、台詞を練習し演技をするのは、ある意味、人間のわざである。でも、そうした筋書きを離れたところに、余白にこそ主の恵みが現れるんだな、ということを実感する会になったのではないだろうか。

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(コリントの信徒への手紙 一 3章6〜7節)

 林の連作「それでもクリスマス」には、下の歌も含まれている。

 何人のマリヤをわたしは見送って
    冬が来るたび 年をとるたび

 園児たちは成長しいずれ卒園していってしまう。林はページェントに毎年携わり、何人ものマリア、ヨセフ、天使たち、羊飼い達、東方の博士たちを送り出していったのだろう。それは少し淋しいことかもしれない。だが、子ども達の心に蒔かれた「種」が芽を出すのがいつかは分からない。それは神様のタイミングである。私達にできるのは、見通しの立たないことに気落ちせず、いつもイエス様を見て、「植える」こと、「水を注ぐ」ことである。Aさんに働きかけたつもりが、それを見ていたBさんに神様のことが伝わって、Bさんが救われる——主の恵みとは、いつもそういう思いがけない形で実を結ぶのではないだろうか。私達が救いの計画を支配しているのではない。だから、誇れないし、誇るまい。
 新しいマリア、おいで!新しいみんな、おいで!!
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一首鑑賞(99):市原克敏「ホサナホサナ神の造りし日常に」

2023年11月20日 13時57分15秒 | 一首鑑賞
ホサナホサナ神の造りし日常に汲めども尽きぬ源泉がある
市原克敏『無限』

 「ホサナ」とは、ヘブライ語で「救いたまえ」の意味で、イエス様のエルサレム入りの際に民衆が挙げた叫びとして知られている。とうとう救い主がお現れになったと感極まって、群衆が上げた喜びの声であったのだろう。
 市原克敏が「神の造りし日常」という言葉を選んだ意図を私は考える。なぜ「世界」などの語でなく「日常」なのか。そこに強い拘りを感じる。
 市原は生前に歌集を一冊も残さなかった。『無限』は、市原の死後にお連れ合いの賤香氏によって編まれた遺歌集である。晩年に骨髄の病気を発症された市原の歌には、通院や入院に纏わる歌も多い。市原の「日常」が決して生易しいものでなかったことは、巻末に付された賤香氏による「抛(ほう)られたる一ヶは〜市原克敏病床の記録」からも歴然としている。市原は決して苦しみを声高に語ったりはしないが、死の影が付き纏う日常が氏を広大な思索へと導いたと知ると、深い感慨に襲われる。市原の「日常」にあった「汲めども尽きぬ源泉」を探って、市原の思考の径路を辿る論考も既に発表されているし、さらに何か付言するのは私には難しい。ここでは私達の「日常」に潜む「尽きぬ源泉」とはどんなものか私なりに綴ってみたい。
 私は普段から体調が良いことは極めて稀である。以前は不調時はすぐ医者へ行ったが、対症療法的に処方を受けるだけで根本的な解決には至らなかった。それで、病因の究明も見据えつつも、次第に「いかに体調を整えて生活するか」に腐心するようになっていった。日々の天気にもいちいち体調が左右される私であるし、服選びは体感に合わせて、素材やインナーの種類、首周りや靴下などのパーツにもきめ細かく気を配っている。また、何をどういう順番で食べたり飲んだりすれば体調が回復するかにも神経を遣っている。これらの事柄は、ある意味煩わしい現実かもしれない。けれどある時から、こういう工夫をすることを何だか楽しめるようになってきた。
 体力をつけるために作業所の職員に勧められて始めた散歩も最近は少しサボり気味なのだが、散歩を単なる鍛錬と捉えるのでなく、時間帯によって刻々と変わる雲や空の様子、道端の草花の有り様などに目を凝らすようになって、季節の移ろいを感じつつ暮らすことの豊かさを噛み締めている。そうした努力をしても、体調が思うに任せないことも間々ある。しかしそういう時は、不如意な身体の具合に悩まされている方々のことがふと浮かび、臥しつつ執り成しの祈りをするなどしている。
 また以前は、自分の作業所の仕事に不遇を託つようなところもあったのだが、今はどういう手順にすれば効率よく作業が回るかを考えたり、メンバーや職員など一人一人重視しているものの異なる相手に合わせて掛ける言葉を替えたりして意思疎通を図るなど、微細なところに目を行き届かせることを心掛けている。そうした工夫を重ねていると、たとえ段取りやコミュニケーションが少し上手くいかなかった場合でも、それはそれで次に生かせるという気がするし、むしろ自分がパーフェクトに立ち回れないことで周りがそれを補う行動に出てくれるきっかけになったりしていて、思いがけない恵みを感じられている。
 最後に、掲出歌の元になった聖句を引いておく。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。 (マタイによる福音書21章5節〜8節)
 仔ろばに乗ってエルサレムに入城した主を見て、当座多くの者は歓喜の声を上げた。でも、(え?ろば?)と内心クスッと笑った人もいたかもしれない。けれど、私はイエス様がそんな方で良かったなと心から思う。主は決して格好つけない。不遜極まりない私達に、ツッコミを入れさせてくださる優しい方なのである。
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一首鑑賞(98):西巻真「獣類はみな檻に寝てゐる」

2023年07月17日 15時02分16秒 | 一首鑑賞
奉職のなほ叶はざるわれのごとし獣類はみな檻に寝てゐる
西巻真『ダスビダーニャ』


 西巻氏は歌集でも精神の病のことを公言しているので、今回のこの稿でも少し立ち入ったことを書く。氏は、体調を崩されて入院などもあった中、就労支援での農作業や民間企業の警備員など、様々な職業遍歴を重ねてこられたようである。私は不思議なご縁で西巻氏と密にやり取りする機会を得たが、そのことを通じて氏がいかに真面目な方かすぐ判った。特に、他の方であれば明言を避けるような事柄も、具体に落とし込んで語り、仰ったことに責任を取ろうとする誠実な方である。
 ここ何年かの私の実感として、世の中には具体的に語った人に責任をおっ被せる風潮があるのではないかという感触を抱いている。掲出歌は、動物園で物憂く寝転んでいる動物達を眺め、自分のようだと重ね合わせている。西巻氏は、色々なことが視え過ぎるところがある気がする。そして、ある事柄の問題点などが見えた時、正直にそれを指摘できるがゆえに、浮薄な方々は「それっ!」とばかりに乗っかってしまうのだろう。結果として西巻氏は、提案者としてだけでなくその実行者としても責任を追求され、首が回らなくなって寝込む羽目になっていることが多いように、僭越ながら思う。

  安定して通ふは難(かた)しけふもまた電話をかけて欠勤を告ぐ

 私自身もあまり身体の強いほうではないので、この歌の心情は痛いほど解る。私の場合、朝の不調だけで心がぐらついてしまい、出勤できるかどうかという点においてすら自分を信用できない。色々手を打ってみても体調が持ち直さない時、作業所に電話して何と言い開くべきかと考えて、上司の反応を想像するだけで打ちのめされてくる。
 また精神科に通院している方は、睡眠導入剤や鎮静剤などの安定剤を処方してもらっている人が殆どだと思うが、夜に眠れずに追加した安定剤が効きすぎて翌日の午前いっぱい眠気や懈さ・ふらつき等が残るのはごく日常のことである。そんな中で一時的にでも発破をかけるためにカフェインを摂り、また夜に眠れなくなるという悪循環に陥る患者がいるということもよく耳にする。

  労働といふ鋳型に体(たい)を注ぐこと難しくわれの輪郭あはし

 マルコによる福音書2章には、イエスが中風の人を癒す場面が描かれている。〈四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。〉[2章3〜12節]
 中風とは、意識はあるが突然半身不随になるような病気で、現在では脳血管障害(脳卒中)の後遺症と原因が分かってきているようである。しかし、イエスが世の中に生きていらした頃はまだそういうことも解明されておらず、中風の人は自身の罪のゆえと咎められることもあったのだろう。反駁できずただ横たわっているしかできない中風の人の苦しみを見てイエスは憐れみ、「あなたの罪は赦される」と仰せられた。その場にいた律法学者が(越権行為だ!)とばかりに目を剥いていた情景が浮かぶ。イエスは罪悪感まみれの人を裁くように行動に追い立てたりはなさらなかった。
 掲出歌に戻ろう。「獣類はみな檻に寝てゐる」のである。ただ怠惰だと言うのではない。抜け出せないところに居て打ち伏しているのだ。イエスは、精神の病の患者さんが力なく横たわっているのを見て、どんな気持ちで、何を語ろうとされているだろうか。
 ルカによる福音書22章31〜32節に、イエスが十字架にかかる前の晩に弟子のペトロに呼びかけた言葉が記されている。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 私も日々の通所はそれだけで闘いである。作業所に一報を入れるのも骨が折れる。これさえやっていればOKというものも無い。けれど、そんなジタバタでさえ誰かの励ましになるのであれば、惜しみなく分かち合いたいと思う。
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一首鑑賞(97):馬場実「難聴の君へ旅する言の葉は」

2023年06月06日 13時02分40秒 | 一首鑑賞
難聴の君へ旅する言の葉は一駅ごとに停まるが如く
馬場実(NHK短歌2019年8月放送:題「旅」入選歌)


 私の母は、ここ数年でだいぶ難聴が進んだ。殆ど聞き取れない母に向かって最初の頃は、大きな声で滑舌良く喋ったり言葉を言い換えたりして意思疎通を試みていたが、私の苛つきが伝わるのか逆に母の怒りを買うだけだということに気づいた。

  耳遠きゆゑと何度も呑み込みぬすれ違ひたる母との会話 /角田正雄(NHK短歌2018年6月号テキストより:題「会話」佳作)
  名詞のみの会話となりて幾星霜単語の数も片手にて済む /児玉正敏(NHK短歌2020年2月号テキストより:題「話」佳作)

 それで、まず一語ぽんと置いて、それに対して返ってきた母の何らかの反応を見て、言葉を補う形で少しずつ喋るスタイルで行くと、少し時間はかかるが穏やかに会話を成立させられるということが分かってきた。
 もう長らく礼拝にはお越しになれていないご年配の会員がまだ教会にいらっしゃれていた頃、ある日の礼拝で会堂の最後列に座っていた私のところにその方がおいでになり「説教が聴こえない。音量を上げて」と耳打ちしてきたことがあった。私は自分の席のすぐ後ろにあるアンプをいじり、礼拝堂内の音量を少し上げた。席に戻られていたその方は私に向かってグーサインを出してきたが、礼拝後「でも聴こえないところもあった」と私に洩らした。私は内心困りつつ「先生もある程度動きながら話しますからマイクが声を拾いにくいこともあるでしょうし、それに声の抑揚もありますから全部が同じように聴こえるということはないと思いますよ」と申し上げた。

 ヨハネによる福音書4章3節から29節に、イエスがサマリアの女性と井戸の傍らで会話するシーンが、またヨハネによる福音書5章に、エルサレムのベトザタの池の近くで38年間臥せっていた病人とイエスの対話がある。サマリアの女も、38年間病気で寝込んでいた人も、会話の初めにはイエスに心を閉ざしているが、イエスとやり取りするうちに心が開かれていく。私はこの二つのエピソードを長いことあまり理解できていなかったように思う。何というか、言葉と言葉の間の飛躍が多い。想像力に乏しく尚且つ人から隔絶して暮らしてきた私には、どうしてイエスのその言葉で、信じられるようになったのかと測りかねていたのだ。でも作業所への通所などにおいて色々な方と接する経験を経てみると、断片的な言葉に纏わりつく雰囲気、言葉以外のコミュニケーションなどの上に、言葉による会話は成り立っているんだなということが今更ながらに解ってきた。

  大声は要らないらしい難聴の友の目を見てゆっくり話す /徳永久子(NHK短歌2018年3月放送:題「大」特選一席)

 現在は情報過多な世の中である。散弾銃のように情報を浴びていては疲弊することもあろう。これは私の勝手な憶測でしかないのだが、聴こえづらくなるというのは毒々しいナマの情報の荒波にあって身を守るために、自然と身についた心の防御フィルターなのかもしれない。
   *  *  *
 コロナ禍で感染予防の観点より礼拝中に換気扇を回して礼拝を守るようになってから、わがN教会でも礼拝説教が聞き取りにくいという声がたくさん上がっている。勿論その要望は蔑ろにはせず、対策は講じるべきである。しかし同時に私は思う。「説教が聴こえづらい」と仰る方が聞き取りたいのは、実際には語られていない説教の行間——イエスの息遣い——ではないだろうか?
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一首鑑賞(96):桜木由香「溶けなんとして白きオスチア」

2023年05月06日 10時48分18秒 | 一首鑑賞
会堂へ漂着したるうつし身へ溶けなんとして白きオスチア
桜木由香『連禱』


 年齢を重ねなければ分からないことがある。例えば、足元や首周りといった身体の冷えなどがそうだ。「寒い、寒い」を連発する母などを見ていて、私は随分長いこと冷やかかに見ていたものだな、と今は少し恥ずかしくなる。
 私は10年前に車を持つまでは、片道25分ほど歩いて教会へ通っていた。もちろん当時としてもやや億劫な気持ちが無いわけでもなかったが、今考えればそれなりに健康だったのだなと判る。桜木由香の『連禱』は、これまで幾度となく開いてきた歌集だが、改めて掲出歌を見て「会堂へ漂着したるうつし身」という表現に釘付けになった。ミサ(礼拝)に行きたいと願いつつも、身体がなかなか思うように動いてくれない、ミサへ行くことさえも祈りに祈って……ようやくの思いで教会に辿り着けた実感が如実に現れていると思う。
 「オスチア」とはミサで信徒に与える聖体であり「ホスチア」とも言う。イースト菌が入っていない円形の薄い煎餅様のパンで、コロナウイルスの感染予防の観点から聖餐式が行えなくなったプロテスタント教会の中には、聖餐式の再開に当たっての試行錯誤でホスチアを採り入れたところもあったと聞く。噛まずとも溶けてしまうパンのようで、御ミサに与りに行った身には呆気ないほど淡い食感であったのかとも推察する。
 ルカによる福音書24章13節からは、主イエスが復活なされた噂を訝しみながらエマオ途上にあった二人の弟子に、いつの間にやらイエスご自身が共に歩き、二人の会話に加わるという場面が描かれている。道々イエスが説き明かした聖書の言葉が生き生きとしていたのだろう、日も暮れ方になったのに先へ行こうとするイエスに、弟子二人が一緒にお泊まりくださいと願う。30〜32節には〈一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った〉と書いてある。桜木の一首には、主に触れたその瞬間にイエスが消えてしまって呆然とする二人の弟子の姿が見えてくるかのようである。
 ヨハネによる福音書13章からは、最後の晩餐におけるイエスや弟子の言動が実に5章に亘って詳述されている。ヨハネによる福音書16章では、イエスが去っていく代わりに聖霊が送られることが語られている。どうも主は私達のもとを去るらしい……と悟り悲しみに満たされている弟子達に、イエスは「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(7節)と語り、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(13節)とも仰られた。
 オスチア、あるいは聖餐のパンは、儚く溶けてしまうようなものかもしれない。私自身も、聖餐式に与りながら(これが主の御身体なんだ……!)と自らを振起させつつも、何だか以前と変わらぬ罪深い私のままで、パンやぶどう液があっという間に喉を通過していってしまうことを何度も経験してきた。けれども、イエスは図らずも「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」(ヨハネによる福音書16章12節)と仰せになった。
 毎週の礼拝で聴く解き明かしで、また日々の聖書の黙想で、わかったような解らないような……という気分になるのは日常であり、それが私達である。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネによる福音書14章26節)と主は述べられた。 その御言葉を信じ、イエスに連なる者であり続けたい。
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一首鑑賞(95):コロナ禍、ウィズコロナの教会バザー

2023年04月15日 09時06分59秒 | 一首鑑賞
コロナ禍の教会バザー開店の祈りうるわし助っ人も入り
中村笄子『信徒の友』2021年2月号


 コロナ禍に入ってから、世間の様々な社会活動・経済活動と同じように教会の活動も大きく制限された。礼拝でさえ、讃美歌や使徒信条・主の祈りは黙唱、交読詩編は式次第からも省かれ、礼拝時間も大幅に短縮という状況であったのだから、当然イベントや食事会は長らく中止であった。N教会では今年のイースターも愛餐会・祝会は見合わされたが、岡山の知人の教会では久しぶりに愛餐会が持たれるということでその方はケーキを焼くのに張り切っていらした。
 そのように致し方なく中止されてきた活動の一つが、教会バザーである。『信徒の友』読者文芸 短歌欄を追っていると、コロナ禍のバザーの悲喜交々が描かれた歌が登場し興味をそそられる。

  押し入れにあみくま十五もたまってるコロナ禍にバザーいつ開けるやら /森純江『信徒の友』2020年12月号
  私はステイあみくまは北の教会へ飛んでゆくなりバザーが待ってる /森純江『信徒の友』2021年3月号

 寝耳に水のようなコロナウイルス感染症の拡大で、コツコツとバザーのために編んできたあみくまが押し入れに溜まっている侘しさ。しかし、その歌が『信徒の友』に掲載されたからなのか、北日本の教会から「ぜひバザーに寄贈してほしい」とお声がかかったのだろう、神奈川の作者が喜び勇んであみくまを送り出す様子が三ヶ月後の『信徒の友』に掲載されている。
 バザーの開催などはその土地の人口の多寡やコロナの感染状況によって判断される側面があるから、かたやまだ開催できていない教会があり、他の場所では少しずつ始めたという教会が出てくるのも自然なことである。

  純益は日本の教会へ献金すやっと再開クラフト・セール /バーガー久子(アメリカ)『信徒の友』2022年12月号

  礼拝の後にときどき開かれる「桜教会いつでもバザー」 /冨樫由美子「ミニバザー」(「短歌人」2023年3月号)
  大規模なバザーのできぬ時世にて会員のみの小さきバザー
  散歩するときに便利なポシェットを三百円にて入手したりき
  たくさんの本ならべられ小春日のバザーに心浮きたつてゐる

 わがN教会でも、2022年は秋に有志によるケーキ販売があり、アドヴェント期間には礼拝前後のミニバザーなどを行なった。

  会堂前「今年もバザーありますか? 楽しみなの」と立ち止まる人 /森純江『信徒の友』2023年2月号

 先のあみくまの森氏の教会も、色々な難局を乗り越えて2022年度にはバザーが開催されたようである。教会員も待ち兼ねていたバザーを、地域の方々も楽しみにしていたというのは、何と嬉しいことであろうか。N教会でも、2023年3月の臨時長老会で、バザーや愛餐会・食事会などについては、コロナ等の状況を見ながら適宜行うという方針が立てられた。
 ルカによる福音書5章37〜39節に「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」 というイエスの御言葉がある。新しい酒は、これからさらに発酵していくものである。バザーは、団欒や収益だけが目的ではないだろう。教会員と地域の方々の交流の場であり、また献げる場でもあるのだ。従来通りのやり方でできぬなら開催しないという、0か1かの発想でなく、祈りつつ御心を問うて進むことが今必要なのではないだろうか。
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一首鑑賞(94):永田淳「祈りは常に形をなさず」

2023年03月18日 09時48分23秒 | 一首鑑賞
春の夜を震えて咲(ひら)くマグノリア 祈りは常に形をなさず
永田淳『光の鱗』


 クリスチャンでも「祈りが得意」という人はあまりいないだろう。苦手だから人前では絶対に祈りたくない、と頑なに拒む方もいる。それは、纏まらず怯えている内面が全能の神の前に晒け出された様が他者に注意深く聞かれているという状況に遭遇し、身の縮む思いをしたからかもしれない。けれど、為すすべなく打ちひしがれている時に、また他者が壮絶な苦しみの中にあるのを傍目に見守っているしかできない時に、あるいは音信の絶えそのご健康などが気にかかる方を思う時に、ただ神の前に縋るように佇むしかできないことは多くの方が経験されていることに違いない。
 マグノリアはモクレン科の総称であり、具体的には紫木蓮、白木蓮、辛夷、泰山木、ホオノキなどを指す。寒さが緩み始める時分、祈りとも願いとも呻吟ともつかぬ思いが、誰の見ているわけでもない夜に、大きなマグノリアの花弁のように確かな存在感をもって震える——非常に美しい描写であると同時に、ある痛々しさも湛えている歌である。木蓮や辛夷が花ひらく頃に詠まれた歌であれば、もしかしたら東日本大震災の犠牲者のことを悼んで、つと永田の胸に降りてきた一首かとも考えられる。
 長崎で被爆したクリスチャン歌人・竹山広にこういう歌がある。

  一分の黙禱はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ

 この歌が収められているのは、『射禱』という題の歌集である。射祷(しゃとう)とは、カトリック信徒の間に根付いているごく短い祈りのことで、矢を射るように繰り返し祈る作法だということだ。竹山の歌集を追っていくと、第二次大戦後、竹山が長年に亘って反戦集会に参列していたことが分かる。この一首を詠んだ頃には老いも深まって集会参加はできなかったようだが、長崎への原爆投下の時刻に合わせて起きて座したことを詠んだ歌も同じ連作中には含まれていた。人の目に見える黙禱はただの一分であっても、その前には長い個人的な思索と水面下の祈りがある——。忙しさに取り紛れて何となく日々を過ごしがちな私達に、深く問いかけてくる歌である。

 重い二首を引いてきたが、祈りへの敷居を高くすることが本稿の狙いではない。一つ助けになると思われる本をご紹介する。女子パウロ会発行の、来住英俊『目からウロコ〜とりなしの祈り』というごく薄い本で、この中に「イメージで祈る」という項がある。そこでは、執り成しの祈りをする際に、ある人の病状の回復や、震災・戦禍などの中にある人々の平安や具体的な助けなどを、言葉にして祈ることが毎日できるに越したことはないが、ずっと言葉で祈り続けるのは難しい場合も多いことに言及されている。その上で、祈ってあげたい人を思い浮かべ、その人と共にイエス様がいてくださること、守りの御手が添えられているのをイメージすることを通じて、執り成しの祈りが形式化したり頓挫してしまったりするのを防ぐことになると説かれている。
 祈りは言葉であって、言葉でない——。前段と逆のことを述べるようであるが、バビロンの王宮に仕えた旧約聖書のダニエルという預言者について触れたい。ダニエル書9章は、祖国エルサレムの荒廃が終わるまでに七十年の歳月がかかると文書によって悟ったダニエルが、取り乱して神に訴え続ける祈りの言葉で章の半分以上が占められていることに私は注目する。動揺のままにワーッと神に語りかける言葉が続き、冷静さからはおよそ遠い祈りである。
 心の奥でふと他者に思いを馳せる祈り、感情的な祈りの言葉の奔出、神はどちらにも心を留めておいでになる。神様は、きちんと整った祈りだけをお聞きになるような狭量な方ではない。皆さんの日々に、主がいつも共にいてくださいますように。
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一首鑑賞(93):吉田晃啓「講壇の花に季節を教えられ」

2023年02月11日 09時26分36秒 | 一首鑑賞
講壇の花に季節を教えられ撮って送りぬ施設の友に
吉田晃啓(『信徒の友』2022年12月号「読者文芸」欄より)


 私は2009年からTwitterをしている。初めは音楽のこととかパソコンのトラブル等を呟いていた。後に気に入った短歌を引いたり、さらにもう少し後にはキリスト教放送局FEBCのアカウント宛てに限定して聖書通読の感想を呟き始めたりしたが、私のフォロワーさんに宗教が大嫌いな方もいらしたので、教会のことや聖書のことを大っぴらにツイートするのに長らく尻込みしていた。
 今でこそスマホでかなり写真を撮るようになった私だが、明らかに撮影の機会が増えたのは散歩を始めてからである。主な被写体は空と道端の草花で、花と空が好きなTwitterの相互フォローのある方の影響が大きいと思う。また別の相互フォローの方はクリスチャンの方で、礼拝に出席された時に「今日の礼拝堂の窓辺」として花瓶のお花の写真をツイートされていてとっても自然体でいいなぁと感じたので、私もそのうちN教会の旧講壇の上に置かれた花瓶や鉢植えの花の写真を、#TLを花でいっぱいにしよう とハッシュタグを付けてTwitterに流すようになった。そうこうするうちに、その花のハッシュタグを通じて私をご存知になった方が数人、私をフォローしてくださるようになった。
 私自身はあまり甲斐甲斐しさや手先の器用さが無いほうなので花の手入れなどは全くできず、ただ見て楽しむだけである。けれど、それでも良いのかな?と最近は思っている。掲出歌の吉田自身も、歌から推察するにそう花に詳しいわけではなさそうだが、礼拝堂の講壇の花にいたく感じ入って写真を撮り、施設にいる方にメールかLINEで送ったのだろう。もしかしたらその文面はごく短いものであったかもしれない。だが、俯きがちな気持ちを上げてくれる花の写真に、送られた方はきっと慰められたに違いない。言葉を贈る時はどうしても慎重になりやすいが、写真なら気負わずに分かち合える——。そんなことを気づかせてくれる素敵な一首である。
 ゼカリヤ書4章10節にこういう御言葉がある。「誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て 喜び祝うべきである。」 私の花の写真のツイートは、何てことのないささやかなものだった。でも、#TLを花でいっぱいにしよう で教会での様子を併せて書くことで、非信徒の方にも信仰の一端を分かち合えているし、後に聖句を添えたポストカードの作成を思いつきもした。
 私たち一人一人が手に持っている物は僅かである。ヨハネによる福音書6章9節でアンデレが「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と主に答えたように、こんな程度のもの……と、まさに自嘲してしまいたくなるようなものであるかもしれない。しかしイエス様は、それを恥ずかしがらずに差し出すように仰っているのだな、そのごくささやかなものを何倍にも増して多くの方を満たすのに用いることのできるお方なんだな、と改めて思う。そして、主に用いられる恵みは他の何物にも代え難いということを噛み締めつつ日々を過ごしている。
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一首鑑賞(92):砂狐「神様は幸せですか?」

2022年12月29日 09時31分51秒 | 一首鑑賞
神様は幸せですか?正直に『はい/(か)いいえ』で答えてください。
砂狐(さこ)(うたの日 2022年10月2日『はい/いいえ』)


 物凄く率直な歌である。世界を見渡しても身廻りを見ても、痛ましい事件・つらい事柄ばかり起こっている。コロナウイルスに感染して苦しむ方や亡くなる方が跡を絶たず、長引くコロナ禍で立場の異なる人達の啀み合いが激化していることだけ見ても、神様は私達を苦しめようとされているのではないか?そんなことして神様は幸せなの?と、主体のように問いたくなるのは無理からぬことである。
 以前の私は、そういう問いを自分に向けられたと思って、何とか答えなければならないと四苦八苦したものである。今の私が割と聖書に詳しいほうなのは、答えの簡単に見つからぬ事柄が眼前に突きつけられた時に(「聖書に答えがある」って言うなら神様、ここに出してきなさいよ!)と闇雲に聖書を捲りまくったからだ。お蔭で私自身の御言葉に対する信頼は深まったが、それで人を説得できたわけではなかった。
 旧約聖書のヨブ記は、裕福だったヨブが急転直下、子どもも財産も健康も奪われ、苦悶のうちに神に掴みかかるように対話を試みていく物語である。ヨブに襲いかかった災難を聞きつけた友人三人がヨブを見舞うが、そのあまりの悲惨さに七日間はただ黙って共に座しているだけだった。だが、ヨブが神に窮状を訴え始めると、その毒々しさに友人達はこもごもに意見を言い出すようになる。ヨブは苛つきのあまりこう言う。
  そんなことはみな、わたしもこの目で見 この耳で聞いて、よく分かっている。
  あなたたちの知っていることぐらいは わたしも知っている。あなたたちに劣ってはいない。
  わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい。
  あなたたちは皆、偽りの薬を塗る 役に立たない医者だ。
  どうか黙ってくれ 黙ることがあなたたちの知恵を示す。
  わたしの議論を聞き この唇の訴えに耳を傾けてくれ。
  神に代わったつもりで、あなたたちは不正を語り 欺いて語るのか。
  神に代わったつもりで論争するのか。そんなことで神にへつらおうというのか。

    (ヨブ記13章1節〜8節)

 クリスチャンの多くは普段は穏やかで、神様へのお祈りもきっと清らかなのではと世間には思われているフシもあると思う。でもその温和さは、独り神様と格闘して得られた結実としての立ち居なのだ。詩編79編5節には「主よ、いつまで続くのでしょう。あなたは永久に憤っておられるのでしょうか。あなたの激情は火と燃え続けるのでしょうか。」という訴えがあるし、詩編89編47〜49節には「いつまで、主よ、隠れておられるのですか。御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか。心に留めてください わたしがどれだけ続くものであるかを あなたが人の子らをすべて いかにむなしいものとして創造されたかを。命ある人間で、死を見ないものがあるでしょうか。陰府の手から魂を救い出せるものが ひとりでもあるでしょうか。」という嘆願も見出せる。
 『信徒の友』2022年9月号・読者文芸「川柳」欄に、ぴっかるという方の
  温暖化、コロナ禍、戦下、なぜですか
という句が載っていた。この方は当然クリスチャンなのだろうが、神様にこういう問いを投げかけている。このように大きく躓く時に、めいめいが神に「どうして!」と食ってかかっていってよいのである。
 ノンクリスチャンにそのような問いをぶつけられた時、答えを代弁してはならないのだと最近の私は自戒している。その人に最終的に「私を」でなく「神様を」信頼してもらえるように願うなら、尚更である。非信者であっても、神様との直の関係を築いていける。その機会を奪ってはならない。
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一首鑑賞(91):松岡正治「主日の聖句口遊みつつ」

2022年10月15日 09時22分53秒 | 一首鑑賞
コロナ殖(ふ)え散歩のコース変えてみる主日の聖句口遊(くちずさ)みつつ
松岡正治(『信徒の友』2020年12月号「読者文芸」欄より)


 私事であるが、私は2021年7月末から散歩を始めた。きっかけは、私の通所している作業所(就労継続支援B型事業所)で半年に一度相談員さんに行なっていただいている計画相談のモニタリングで、もっと体力をつけるようにと散歩を勧められたことによる。私のこれまでの感覚では、この辺はとりたてて見るべきものもない単調な景色ばかりだし、目的場所もなく歩くのは非常に苦痛だった。歩いていると足の指や付け根が痛んでくるし、散歩は苦行でしかなかった。正直に「足が痛んでくるので……」と相談員さんに言うと、「高めのしっかりした靴を買うと違うよ」と色々教えていただけた。そう言われてみると、私は安めのスニーカーばかり買ってすぐ靴が傷んでよく買い替えていたし、だったら良い靴を買うのもアリかな?と、あまり日を置かず靴屋でウォーキングシューズを買ってきた。以降、悪天候の日や作業所で沢山働いてきた日などは別として、気張らない程度にぶらぶら近くを散歩している。

  日曜の礼拝行けぬ日が続き聖書繙(ひもと)く時間殖えたり /松岡正治(『信徒の友』2020年8月号「読者文芸」欄より)

 コロナ禍に入ってから、私の所属するN教会も礼拝やその他の活動の運営の仕方が様変わりした。勿論その多くは息苦しい制限を伴うものだったが、悪いことばかりだったわけではない。その中の一つを個人的にとても有り難いと思っている。向こう一ヶ月の礼拝説教の題・聖句・讃美歌を記した一覧表が配付されるようになったことがそれである。これにより、充分に時間をかけて礼拝の聖句を繰り返し読めるようになり、朝の黙想の時間が非常に豊かになった。特に、コロナ感染者数が増大している時には礼拝の式次第からは完全に省かれてきた「交読詩編」も普段からゆっくり味わえるようになって、詩編によって生かされる恵みを深く感じるようになった。
 散歩を始めてまもない頃だったか、Twitterで私がフォローしている方がレベッカ・ソルニット著『ウォークス〜歩くことの精神史』という本について少し触れられていたので、私は興味を持って最寄り図書館で借りた。とても分厚い本で到底貸出し期間に読み終えることはできなかったが、素晴らしく充実した本なので奮発して自分でも購入し、ゆっくり時間をかけて読んだ。これを読んで一番意外だったのは、散歩では身体の鍛錬に意識を集中しているとは限らないということだ。道端の事物や遠くに見える風景、さらには普段の生活に関する振り返り、はたまたはふと蘇った過去への追想などに浸れる、贅沢な時間を提供してくれるのが散歩なのだという貴重な気づきをもらえた。
 そうした「黙想」と「散歩」が交錯する日々において、私の中に現実味を帯びた恵みの言葉として立ち上がってきたのが、詩編90編である。少し引用する。

生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ 生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。あなたがわたしたちを苦しめられた日々と 苦難に遭わされた年月を思って わたしたちに喜びを返してください。あなたの僕らが御業を仰ぎ 子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。(詩編90編12〜17節)

 詩編90編はモーセの祈りで、旧約の詩編には他にモーセによると題されたものは一つもない。モーセは出エジプトを指揮した偉大なリーダーだったが、口下手なことに強いコンプレックスを抱く人でもあった。私はこの詩編の、特に17節「わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。」に長く思いを留めることで、私が今後ささげるお祈りは殆どこれに終始しても良いのではないだろうかという気さえしてきた。勿論、生きて働いていらっしゃる神様との関係も「生きた」ものである。だから、様々な詩編で「新しい歌を主に向かって歌え」と詠われているように、自分を鼓舞して神様の前に立つのもいい。だが、私達が教会の群れとして生きる上においては「わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください」という以上の言葉は無いようにも思うのである。
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一首鑑賞(90):杉本清子「さくらばな開くを恃む」

2022年07月30日 09時50分19秒 | 一首鑑賞
さくらばな開くを恃(たの)む身の熱くひとりの思ひ去年とことなる
杉本清子『邂逅』


 母は二年前の4月に胃がんの手術をした。入院する母を市立病院に送って行った帰りにスーパーへ寄ろうとして高校の脇の道を通った時、ちょうど桜が満開で私にはグッと込み上げるものがあった。
 数年前まで、うちの玄関のところに写真がいくつか飾ってあった。その内の一つが、両親が引退後の移住先を探すために方々を旅行した際に東北で撮ったという桜の写真だった。満開の桜を背に、母が帽子の鍔を手で押さえつつ溢れんばかりの笑みを湛えて写っていた。父母ともにその写真を気に入っていたようである。山梨に来てからしばらくは、私と母は隣の市の桜スポットを巡るドライヴにランチがてら出かけていたりしたが、ここ何年かは行っていない。私が今はあまり外食を好まなくなってしまったのもあるし、コロナのご時世のことも多少は影響していたと思う。
 少し前に母はテレビで「八十の壁」というのを見て、深く心に感じることがあったらしい。それは、八十歳を過ぎたら好きなことだけして生きるのが健康寿命を延ばす秘訣、というような趣旨の内容だったそうだ。母は以前は八十五歳くらいまで主婦の現役で頑張る腹づもりで、免許の返納の件などを私がそれとなく訊いたりすると激しく怒って「私の好きにさせないと惚けるよ!」と決まり文句のように答えていた。母も私も気性が荒っぽい方で、一昨年の秋から昨年初頭にかけて私の精神状態が激昂していた時には母と派手な衝突を繰り返したこともあって、母はゆくゆくは老人ホームへ入らないと二人して潰れてしまうと切に感じたようでその旨公言していたが、先のテレビがきっかけで「八十になったらホームを探す」と言い出し、今から少しずつ準備を始めた。

  つばらかに花をひらけるさくら木が墓域の直(すぐ)の道を覆へり

 父は2011年9月に没した。母の一存で、父の葬儀は私が通っている教会の牧師先生にお越しいただいてセレモニーホールで家族葬をし、翌日の火葬にも牧師先生にお世話になった。父は浪費癖があったので、家以外の財産はほぼ遺さず亡くなり、墓なども用意できていなかった。火葬が終わるのを待つ席で、牧師先生に「教会のお墓があるC霊苑は、春は桜がとても綺麗ですよ」と言われて、母は大変心動かされるものがあったようだ。諸々の手続きを終えてから母と私はその霊苑を訪ね、安めの墓所を購入し、墓を作って父を納骨した。その後、二回ほどは私も墓参りと称しての花見に同行した。今年は4月初め、桜雨の降る肌寒い日に弟の運転で母は墓参りに行ったが、私はついて行かなかった。二、三年前に母は「私のお墓参りには来なくてもいいよ。私はお墓に入ったら毎年桜が楽しめるんだし」とサバサバと言っていた。母の人柄からすると、これは本音なのだろうし、私が運転が不得手で墓の近辺の狭い道で立ち往生してしまうことを案じての気遣いもあっての言葉でもあったろう。

  十字架の死を言ひさして突きあぐる思ひを耐ふる桜咲く日に

 母は今年の9月で七十八歳になる。八十歳まであと二年——。そう考えると、たとえ近場でもいいから母と花見に行っておかなくては、と思う。あとあと後悔の念をもって、桜を見ることがないように。
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一首鑑賞(89):塚本邦雄「一皿のブイヤベースに改宗(ころ)びたり、われ」

2022年06月22日 08時51分39秒 | 一首鑑賞
雨に負け風に敗れて一皿のブイヤベースに改宗(ころ)びたり、われ
塚本邦雄『汨羅變』


 この一首を読んでまず思ったのは、創世記のエサウが空腹に耐えかねてレンズ豆の煮物と引き換えに弟ヤコブに長子の権利を譲り渡してしまうエピソードである。少し引用する。

二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。(創世記25章27〜34節)

 掲出歌「雨に負け風に敗れて」は当然、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を踏まえているのだろう。そうそう高潔には生きられない、生きていれば「一皿のブイヤベース」と引き換えに、これだけは譲れないと思っていた信念を曲げてしまうこともあるのではないか、とやや自虐味を交じえながら人間の悲哀を詠った一首である。
 私の母教会は、主日礼拝を重んじるため、また伝道活動に勤しむために、忙し過ぎたり日曜出勤のあったりする仕事は辞めて他の仕事に変えることを推奨している教会であった(今はどうか知らない)。振り返ってみれば自分の不器用さのためと分かるのだが、私は社会人になってから四年ほどは仕事で上手くいかず、勤務時間も長すぎると母教会の信徒にクレームされたのもあり、転職を繰り返した。私としては、皆んな会社を辞めるように言ったのに現実的には何も助けてくれないじゃん……と内心不満たらたらで、社会人三年目には二進も三進も行かなくなり母教会を一時離れた。イザヤ書47章13節「助言が多すぎて、お前は弱ってしまった」の通りの状態だったのである。今となれば、「助言」や「提案」は、「指示」や「命令」とは違ったのだなぁと分かるのだが、当時の私は具体に飛びつく奴隷根性の塊でしかなかった。
 社会人三年目に派遣会社に登録して事務の仕事をしていた時、私は(どうせ神様から離れちゃったんだし、こうなったら思いっきり好きと思えることを試してみよう)と、昼食代を大幅にケチって色々習い事をした。都内某所の個人スタジオにトラックダウン(音楽のミキシング)の方法を習いに行ったのもその一つである。そこのスタジオの持ち主は私の先々のことも心配してくれ、半ば同情心もあったのであろうが「ウチの名前を出していいよ」と職歴を捏造することを勧めてきた。それは罪だ、と私にはハッキリ判った。でも私はその唆しに乗った。もう就職活動でどん詰まっていたというのは勿論あった。けれど、スタジオ主の言ったことはその人の罪としてあるにしても、それを実行した私の罪は私自身の罪なのだ。ましてや私は、聖書を読んで罪の基準を知っていたのだから、弁解の余地はなかった。創世記3章で、神に禁じられていた園の中央の木の果実を食べた口実を「蛇がだましたので、食べてしまいました」 と答えたエバと私は全く同罪である。
 それでも神は憐れみにより、映像のポストプロダクションのバイトを、その後にはBGM制作(主に選曲)の正社員の仕事を下さった。大変ながらもやり甲斐のある仕事であったのは確かだ。しかし(今思えば)定められた時に、神様は私に精神の病を発症させた。そして定年により先に山梨に来ていた両親の元へ身を寄せることになった。「転落人生」と傍目には映るであろう。因果応報と思う方もいるかもしれない。もう山梨に来て二十年が経った。今は障害者の作業所で働き、障害年金暮らしである。でも私は、今の地位まで突き落とされたことに、逆に神の誠実さと本当の意味での憐れみを感じる。私に言えるのはここまでである。
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一首鑑賞(88):美好ゆか「進めない日は進まない」

2022年06月11日 08時31分35秒 | 一首鑑賞
進めない日は進まない ぶらんこを後ろに漕げば空が近づく
美好ゆか(2022年5月6日のTwitterより)


 いきなり私事で始める非礼を詫びつつ筆を執る。以前から私は体力に自信のある方ではなかったが、ここ三年ほどはとみに身体の衰えを実感するようになった。そんな私に、美好の一首はとても慕わしい。あぁそれで良いのだな、と安心させられるのだ。美好が真摯な信仰を抱いているのはTwitterの呟きの端々から明らかだが、掲出歌では聖書的な語句をあえて使わず、主への信頼の気持ちを現代の日常的なものに置き換えて表しており、信仰のない方にも届く射程を備えた一首になっていると思う。
 出エジプト記は、飢饉のためにエジプトに移住していたイスラエルの民がファラオの圧政から逃れるためにエジプトを脱出し、約束のカナンの地へ向かった歩みの初期の頃を綴った書である。出エジプト記40章34〜38節に、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」とある。
 私の日常は、週の半分において作業所への通所をし、残りの半分は身の回りの雑務をする他は、短歌作りや読書、執筆、ポストカード作成、手紙書きなどを行なっている。作業所へ通所しない所謂オフの日は、溜まった疲労感と共に、やらなければいけないこと及びやりたいことの数々に圧倒されて、頭の中ではぐるぐる思い巡らしてはいるものの傍目には横になっているようにしか見えないことも多いと思う。現在の母は以前ほど干渉しなくなってきたが、日々寝込んでいるだけに見える私に「情けない!」「呆れた!」を連発していて、ただでも疲れているのにそれに追い討ちで過重をかけてくるようなところがあった。
 「怠けている」という人からのジャッジに怯えて自己証明のために行動に走っても、ただそういう自分への誇りになるだけである。見下しへの抗いが動機だと内面に怒りが蓄積されるように思う。時には有言実行になれないことが出てきてもある程度致し方ない。それよりも、自分の非は非と認め、軌道修正していくことの方がより重要な気がする。
 旧約に散見される「雲の柱」に纏わる聖句は、若い頃はよく解らない感じがしていた。いつの間にか私も性急に成果を求める結果偏重なマインドセットが醸成されてきていたのかもしれない。でも最近は、人にはどう見えようと主と共に歩むことの大切さを噛み締めながら暮らしている。モーセやイスラエルの民と歩まれた主をいつも覚えて生活していけますようにと裡に祈りつつ、次の御言葉を心に留めたい。

人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。(箴言 16章9節)
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