源氏物語をコミック化した『あさきゆめみし』(大和和紀)と言えば、私の年代の女性にはかつて夢中になった方も多いのではなかろうか。私もご多分に漏れず中学時代友達から借りてハマり、特に空蝉と玉鬘(たまかずら)を気に入っていた。
方違えの夜運命のいたずらで源氏と一夜の契りを交わした空蝉は、その後の文を頑なに拒み続け、源氏の再訪にも薄衣を脱ぎ滑らして残すことで意志を通す。
旧約聖書の創世記にも、この空蝉を連想させるシーンがある。兄弟達の策謀によりエジプトの侍従長に売られたイスラエルの息子ヨセフは、その妻に言い寄られたところを服を残して逃げおおせるが、逆にヨセフが彼女をかどわかそうとしたと言いがかりを付けられ、監獄に入れられてしまう。
時に私達は、自分に落ち度が無いのに事態が悪い方へ悪い方へと向かうことを経験する。そのように追い詰められたら、普通だったら天を恨みたくなるだろう。5年半前の発病は私にとってまさに青天の霹靂であった。訳も分からぬままに山梨の病院に入院し、退院後もしばらくは摂食障害に悩まされ、字を書こうにも手の震えが止まらなかった。「何でこんな目に遭うのか…。」頼みの綱の聖書を読むのも辛い月日が続き、塞いだ気分をようやく脱したと思った時には既に数年が経っていた。
いつ頃だっただろうか、そんな悶々とした日をやり過ごしていたある時、詩編105編が目に留まった。
主はこの地に飢饉を呼び
パンの備えをことごとく絶やされたが
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。
奴隷として売られたヨセフ。
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された
主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。
王は人を遣わして彼を解き放った。
諸国を支配する王が彼を自由の身にし
彼を王宮の頭に取り立て
財産をすべて管理させた。 (詩編105編16-21節より)
これを読んで、すぐに私のわだかまりが霧消したかと言えば、そうではない。相変わらず、日々ちょっとしたことでつまずき、神様に内心不平を並べている自分がいた。
今でも、神様がどのような計画をお持ちで私をこのような状況下に置いているのかは、私には分からない。ただ少しだけ変わったのは、時折この聖句を思い出して、神様は何か意味があって私が東京を追われるのを容認されたのだということを覚えるようになったことである。
見えない神様の計画を信じるのは、時として何とも心許なく感じられるものだ。せめてものよすがとして、ボブ・ディランの「Day of the Locusts」を聴いて自分を勇気付けることにしたい。(注:locustは蝉のこと。) この曲が入っている『New Morning』は有名盤の合間にひっそりとある一枚だけれど、のびのびとした雰囲気、私は結構好きだなぁ。
方違えの夜運命のいたずらで源氏と一夜の契りを交わした空蝉は、その後の文を頑なに拒み続け、源氏の再訪にも薄衣を脱ぎ滑らして残すことで意志を通す。
旧約聖書の創世記にも、この空蝉を連想させるシーンがある。兄弟達の策謀によりエジプトの侍従長に売られたイスラエルの息子ヨセフは、その妻に言い寄られたところを服を残して逃げおおせるが、逆にヨセフが彼女をかどわかそうとしたと言いがかりを付けられ、監獄に入れられてしまう。
時に私達は、自分に落ち度が無いのに事態が悪い方へ悪い方へと向かうことを経験する。そのように追い詰められたら、普通だったら天を恨みたくなるだろう。5年半前の発病は私にとってまさに青天の霹靂であった。訳も分からぬままに山梨の病院に入院し、退院後もしばらくは摂食障害に悩まされ、字を書こうにも手の震えが止まらなかった。「何でこんな目に遭うのか…。」頼みの綱の聖書を読むのも辛い月日が続き、塞いだ気分をようやく脱したと思った時には既に数年が経っていた。
いつ頃だっただろうか、そんな悶々とした日をやり過ごしていたある時、詩編105編が目に留まった。
主はこの地に飢饉を呼び
パンの備えをことごとく絶やされたが
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。
奴隷として売られたヨセフ。
主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ
首に鉄の枷をはめることを許された
主の仰せが彼を火で練り清め
御言葉が実現するときまで。
王は人を遣わして彼を解き放った。
諸国を支配する王が彼を自由の身にし
彼を王宮の頭に取り立て
財産をすべて管理させた。 (詩編105編16-21節より)
これを読んで、すぐに私のわだかまりが霧消したかと言えば、そうではない。相変わらず、日々ちょっとしたことでつまずき、神様に内心不平を並べている自分がいた。
今でも、神様がどのような計画をお持ちで私をこのような状況下に置いているのかは、私には分からない。ただ少しだけ変わったのは、時折この聖句を思い出して、神様は何か意味があって私が東京を追われるのを容認されたのだということを覚えるようになったことである。
見えない神様の計画を信じるのは、時として何とも心許なく感じられるものだ。せめてものよすがとして、ボブ・ディランの「Day of the Locusts」を聴いて自分を勇気付けることにしたい。(注:locustは蝉のこと。) この曲が入っている『New Morning』は有名盤の合間にひっそりとある一枚だけれど、のびのびとした雰囲気、私は結構好きだなぁ。
香りを言葉で表現するのは本当に難しいです。
e船団ホームページにある月刊【e船団】の“ことばを探る”のページでは、今年の初めから香料会社に長年お勤めだった中原幸子さんが「香りと言葉」をテーマにエッセイを執筆し始めましたが、彼女とても香りを言葉に表すには相当苦心されているのが窺えます。
中原さんによれば、香りの質を表す用語には、①物の名前を利用した表現、②感覚用語を利用した表現、③情感を表す言葉を利用した表現、の3種類があるそうです。(詳しくはこちらをご参照ください。)
具体的に言うと、①は、フローラル(花のような)、フルーティー(果実様の)、アースィー(土のような)、タバック(タバコのような)、ウッディ(木の香りのような)、グリーン(青臭い)、スパイシー(香辛料のような)…など、「○○のような」と形容するもの。
②は、ライト(明るい、軽い)、ダーク(暗い)、スイート(甘い)、ホット(辛い)、ビター(苦い)、ノート(調子)、ハーモニー(調和)、ヘビー(重い)、ソフト(柔らかい)、ウォーム(暖かい)、アロマティック(香ばしい)…など。
③は、エレガント、デリケート、スポーティー、フレッシュ、マイルド、パワフル、フェミニン、パウダリー、リッチ…など。
前回エントリーした丸山珈琲の豆がもうすぐ切れるという頃、次は何を聞茶しよう…?と考え、ふとした思いつきで駅前のショッピングセンター内にある【お茶の春木屋】へ。時々母のお遣いで買う緑茶以外に利用したことはなかったのですが、改めてじろじろと棚を物色し、結局、試飲させてもらった“丹波黒豆茶”と、“ゴーヤ茶”を購入しました。
黒豆茶は煎った黒大豆の香ばしい香りがし、その他にもハトムギ、烏龍茶、焙じ茶、どくだみ、柿葉が調合され、おおむね予想通りの味。
ゴーヤ茶は「苦いのかしら??」とドキドキしながら開封すると、ふわ~~~んとしたどこか懐かしい香りが鼻を突きました。「花粉の匂いだ…。」小学校の花の観察ではおなじみのチュ-リップのおしべが頭に浮かびました。
お湯を注いで飲むと、味もふわ~~~んとしています。苦さは全くなく、むしろ甘いと言う方が近い感じ。独特なクセがあるけれど臭みというのとも違います。花粉っぽい風味は、聞茶(1)のエントリーで取り上げた、マリーゴールドとベニバナ入りの『KILAUEA』ともちょっと似ています。
箱裏の成分を確認すると、何と100%ゴーヤ。ティーバックから透けて、茶色に混じって黄色い粒が見えるのは種なのかしら…?花粉のような味の原因はこれかもしれません。
このゴーヤ茶、初めこそ独特すぎて面食らったものの、続けて飲むにつれ、日に日に馴染んで「美味しい!」と思えるようになりました。
さて今回ご紹介する音楽は、ニール・ヤングの『Harvest』。ゴーヤのふわ~~~んとした風味を体現しているかのようなヴォーカルを聴かせてくれる一枚です(苦笑)。
文章が舌足らずで味や香りを上手く伝えられなくても、「こんな感じ!」と音楽を試聴してもらえれば、よりイメージがはっきりしてくるんだから、ネットってホント便利ですね(笑)。
e船団ホームページにある月刊【e船団】の“ことばを探る”のページでは、今年の初めから香料会社に長年お勤めだった中原幸子さんが「香りと言葉」をテーマにエッセイを執筆し始めましたが、彼女とても香りを言葉に表すには相当苦心されているのが窺えます。
中原さんによれば、香りの質を表す用語には、①物の名前を利用した表現、②感覚用語を利用した表現、③情感を表す言葉を利用した表現、の3種類があるそうです。(詳しくはこちらをご参照ください。)
具体的に言うと、①は、フローラル(花のような)、フルーティー(果実様の)、アースィー(土のような)、タバック(タバコのような)、ウッディ(木の香りのような)、グリーン(青臭い)、スパイシー(香辛料のような)…など、「○○のような」と形容するもの。
②は、ライト(明るい、軽い)、ダーク(暗い)、スイート(甘い)、ホット(辛い)、ビター(苦い)、ノート(調子)、ハーモニー(調和)、ヘビー(重い)、ソフト(柔らかい)、ウォーム(暖かい)、アロマティック(香ばしい)…など。
③は、エレガント、デリケート、スポーティー、フレッシュ、マイルド、パワフル、フェミニン、パウダリー、リッチ…など。
前回エントリーした丸山珈琲の豆がもうすぐ切れるという頃、次は何を聞茶しよう…?と考え、ふとした思いつきで駅前のショッピングセンター内にある【お茶の春木屋】へ。時々母のお遣いで買う緑茶以外に利用したことはなかったのですが、改めてじろじろと棚を物色し、結局、試飲させてもらった“丹波黒豆茶”と、“ゴーヤ茶”を購入しました。
黒豆茶は煎った黒大豆の香ばしい香りがし、その他にもハトムギ、烏龍茶、焙じ茶、どくだみ、柿葉が調合され、おおむね予想通りの味。
ゴーヤ茶は「苦いのかしら??」とドキドキしながら開封すると、ふわ~~~んとしたどこか懐かしい香りが鼻を突きました。「花粉の匂いだ…。」小学校の花の観察ではおなじみのチュ-リップのおしべが頭に浮かびました。
お湯を注いで飲むと、味もふわ~~~んとしています。苦さは全くなく、むしろ甘いと言う方が近い感じ。独特なクセがあるけれど臭みというのとも違います。花粉っぽい風味は、聞茶(1)のエントリーで取り上げた、マリーゴールドとベニバナ入りの『KILAUEA』ともちょっと似ています。
箱裏の成分を確認すると、何と100%ゴーヤ。ティーバックから透けて、茶色に混じって黄色い粒が見えるのは種なのかしら…?花粉のような味の原因はこれかもしれません。
このゴーヤ茶、初めこそ独特すぎて面食らったものの、続けて飲むにつれ、日に日に馴染んで「美味しい!」と思えるようになりました。
さて今回ご紹介する音楽は、ニール・ヤングの『Harvest』。ゴーヤのふわ~~~んとした風味を体現しているかのようなヴォーカルを聴かせてくれる一枚です(苦笑)。
文章が舌足らずで味や香りを上手く伝えられなくても、「こんな感じ!」と音楽を試聴してもらえれば、よりイメージがはっきりしてくるんだから、ネットってホント便利ですね(笑)。
今日ブックオフで買った本を家に帰って開いたら、トランペットのキュートな栞が入っていました。
絵の下の方に【MEISHODO】とあります。書店オリジナルの栞なのでしょうね。ネットで調べてみると…、ありました!ありました!【明正堂】、確かにラッパの栞、出ていますね。何気ないけれど、粋なサービスだなぁ、と感心しました。
同じようにブックカバーも洒落たものがあると、読書が楽しくなります。今日ご紹介するのは、提案型プレゼントショップ【プレゼント曜日】の中のブックカバー無料配布サイト【本の洋服屋】。
私は本を読むのが非常に遅く、電車の待ち時間や帰りの電車でちょびちょび読んで、一冊終えるのに2~3週間はかかります。文庫本などだと、鞄に入れて本を持ち歩いているうちに表紙の端っこがへたってきてしまうのが悩みでした。
約半年前、このサイトを見つけた時は狂喜したものです。以来、季節や気分に合わせてブックカバーをダウンロード。かなり重宝しています。
皆さんも是非ご利用なさってみてくださいね。
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皆さんも是非ご利用なさってみてくださいね。
2歳半離れている弟の誕生日が近づいてきた。弟は長野のとある村の森林組合に勤めて、もう10年ほどになる。
うちの家族は昔から本当に仲が悪かった。父・母・兄・私は揃って我が強く、互いに牽制し合ってきた。そんな家族の間を執り成していたのが、他ならぬ弟だった。泣き虫だった彼は皆のいがみ合いを見てべそをかきつつも、懸命に仲を取り持とうとしてきた。
弟はまた、スローライフだのエコだのと声高に叫ばれるようになる以前から、環境に対して敏感な視線を向けていた。口幅ったいが、私の影響も多少あるかもしれない。小学校2年のある日、学校で合成着色料の危険性を教わってきた私は、帰宅するなり覚えたての知識を年端も行かない弟に吹き込んだ。純粋な弟は、おびえながらも熱心に話を聞き、以来、添加物の多い食品は努めて避けるようになり、だいぶ後々までその食習慣を守っていたようである。
その後彼は、C.W.ニコル指導による実習が受けられるという歌い文句を聞きつけて、環境保全のコースを持つ専門学校に進学。屋久島などでのフィールドワークを体験し、迷うことなく今の仕事に就いた。
大学卒業後、私は思うように仕事が長続きせず、2年で失意のうちに実家に戻った。ほどなく、当時まだ専門学校生だった弟の部屋に、ジャン・ジオノの『木を植えた男』があるのに気付いた。いい就職のためにはいい大学に、と信じて中学・高校生活を勉強に費やしてきた私だった。だが、それが盲信に過ぎなかったという現実を突きつけられて、自分の信じた道を真っ直ぐに歩んでいる弟がこの時ほど羨ましく思えたことはなかった。
この夏、弟の職場に近い温泉郷に一泊する。弟がどんな環境の中で生活しているのか、私としては初めて見てくるわけである。都会の雑踏がいまだ時々恋しくなってしまう私だが、この日だけは弟と同じ空気を思いっきり吸い込んで、彼が日々感じていることを肌で感じてこれたらと思っている。
そんな弟のことを考えつつ今日は、リチャード・ボナの『Reverence』の中の「Te Misea(A Scream to Save the Planet)」を聴いていた。大自然のスケール感を感じられるボナらしい一曲だ。
うちの家族は昔から本当に仲が悪かった。父・母・兄・私は揃って我が強く、互いに牽制し合ってきた。そんな家族の間を執り成していたのが、他ならぬ弟だった。泣き虫だった彼は皆のいがみ合いを見てべそをかきつつも、懸命に仲を取り持とうとしてきた。
弟はまた、スローライフだのエコだのと声高に叫ばれるようになる以前から、環境に対して敏感な視線を向けていた。口幅ったいが、私の影響も多少あるかもしれない。小学校2年のある日、学校で合成着色料の危険性を教わってきた私は、帰宅するなり覚えたての知識を年端も行かない弟に吹き込んだ。純粋な弟は、おびえながらも熱心に話を聞き、以来、添加物の多い食品は努めて避けるようになり、だいぶ後々までその食習慣を守っていたようである。
その後彼は、C.W.ニコル指導による実習が受けられるという歌い文句を聞きつけて、環境保全のコースを持つ専門学校に進学。屋久島などでのフィールドワークを体験し、迷うことなく今の仕事に就いた。
大学卒業後、私は思うように仕事が長続きせず、2年で失意のうちに実家に戻った。ほどなく、当時まだ専門学校生だった弟の部屋に、ジャン・ジオノの『木を植えた男』があるのに気付いた。いい就職のためにはいい大学に、と信じて中学・高校生活を勉強に費やしてきた私だった。だが、それが盲信に過ぎなかったという現実を突きつけられて、自分の信じた道を真っ直ぐに歩んでいる弟がこの時ほど羨ましく思えたことはなかった。
この夏、弟の職場に近い温泉郷に一泊する。弟がどんな環境の中で生活しているのか、私としては初めて見てくるわけである。都会の雑踏がいまだ時々恋しくなってしまう私だが、この日だけは弟と同じ空気を思いっきり吸い込んで、彼が日々感じていることを肌で感じてこれたらと思っている。
そんな弟のことを考えつつ今日は、リチャード・ボナの『Reverence』の中の「Te Misea(A Scream to Save the Planet)」を聴いていた。大自然のスケール感を感じられるボナらしい一曲だ。
昨日は朝からじりじりと陽射しが肌に焼け付くようでしたが、甲府では37.7℃を観測したとか。納得。
この2週間位は帰宅するなりクーラーで部屋を冷やしているため、夜中も寝苦しさからは免れています。それでも、ブラスものやブルージーなロック、熱いソウルもの等は体がほてってきそうで、さすがに寝る前に聴く気にはなれません。
ここはやっぱり、BGMにも暑さをクールダウンしてくれるような音楽をかけて、寛ぎたいところです。というわけで、ここ2、3日寝床に就いてからヘッドフォンで聴いているのが、アントニオ・カルロス・ジョビンの名盤『Wave』。夏らしいボサの曲の数々が涼しげなストリングスやフルートに装われて、ひんやりとした涼風を送ってくれます。熱帯夜をしのぐのにぴったりの一枚です。
この2週間位は帰宅するなりクーラーで部屋を冷やしているため、夜中も寝苦しさからは免れています。それでも、ブラスものやブルージーなロック、熱いソウルもの等は体がほてってきそうで、さすがに寝る前に聴く気にはなれません。
ここはやっぱり、BGMにも暑さをクールダウンしてくれるような音楽をかけて、寛ぎたいところです。というわけで、ここ2、3日寝床に就いてからヘッドフォンで聴いているのが、アントニオ・カルロス・ジョビンの名盤『Wave』。夏らしいボサの曲の数々が涼しげなストリングスやフルートに装われて、ひんやりとした涼風を送ってくれます。熱帯夜をしのぐのにぴったりの一枚です。
祥さんのところの掲示板でバトンされている現場を目撃、「私にも回して!」と祥さんに頼みこんでリレーしてもらったバトン。ルールはと言うと…。
【超個人的声質ランキングバトンのルール】
☆歌声の好きなボーカリストを5人ないし、10人選出!
☆あくまで声の好みを問うもので、歌唱力等の技術的な要素はできる限り加味しない。
☆番外編として歌声の嫌いなボーカリストを挙げてもかまわない。
☆エントリーのタイトルは「超個人的声質ランキングバトン」とする。
☆お約束で他のブロガーさんにも回す。
ね、面白そうでしょ?早速行ってみたいと思います。
無人島音楽のエントリーでも取り上げたアリソン・クラウスは、世界一の歌声の持ち主と個人的に思っているので、絶対に外せません。小鳥のさえずりのような涼やかな歌声とカントリー音楽の取り合わせは、癒し効果絶大。アリソン・クラウス系の声と聴くと、すぐに手が伸びてしまう私です。
彼女の系譜に連なるヴォーカリストとして大注目しているのが、2004年にデビューしたミンディ・スミス。まだアルバムは一枚しか出していないようですが、今後も追いかけていきたいアーティストです。
引き続き女性ヴォーカルを、日本人から二人。
ますは大御所・吉田美奈子。このライヴ・アルバムでは、オーガンジーのような透明感に溢れた美しい高音を聴かせてくれます。同じように透き通るまでの高音から深みのあるアルトへ、歳を重ねて鮮やかな変貌を遂げた歌い手として、ジョニ・ミッチェルの若き日の作品、『Ladies of the Canyon』も候補に入れていましたが、聴き比べの結果、美奈子さんに軍配を。でも後年の低音はと言えば、ジョニの方が好みかな。
それから、つい最近紹介したばかりのクラムボンのヴォーカル、原田郁子。矢野顕子の声から“ハラリラ~”とした感じを取り除いたと言おうか(笑)、CHARAの声をマイルドにしたと言おうか。好き嫌いの分かれるヴォーカルだと思いますが、個人的には聴いていて物凄く落ち着けます。
日本人続きで、ここは男性も一人選出。
奇しくも祥さんも挙げていた、御大・ハリー・細野氏。味のあるバリトンに、亜熱帯サウンドは合い過ぎ。艶っぽいですよね!
そんな細野さんも、ソロ第一作を出した後は、自分のヴォーカルの不出来にうな垂れていたそうです。そこへ誰かからジェイムス・テイラーを薦められて、こういうヴォーカル・スタイルなら自分もできるかも…、と模倣するようになったんだとか。確かに、二人の声質、似てますよね。私も勿論、ジェイムス大好きですよ!!
さらに深みのある男性ヴォーカルを二人、行ってみましょう。
まずはこのブログではお馴染みになりつつあるブラジルのドリ・カイミ。穏やかで包み込むような温かさのある声は、ホッと心を和ませてくれます。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブで一躍脚光を浴びた、コンパイ・セグンドも亡くなって早3年。太くて悠々とした気高さあふれるヴォーカルは、今でも時々引っ張り出して聴きたくなります。
ワールドミュージック系がきたところで、さらにもうお二方ご登場願いましょう。
ハワイ旅行を前に出会って一目惚れしたヴォーカリスト、ネイサン・アウェアウ。低音からファルセットに移る時に、マントを翻すようにフワッと声が透き通る瞬間の美しさといったら!!
最後を飾るのはこれまたファルセットが美しい、アルゼンチンのペドロ・アスナール。だけど、これ、ちょっと反則技ですね。何しろ、名前を知ったのが今日なんですから(苦笑)。でも一応、お初にお耳にかかったのは15年前で。下宿近くの図書館で借りたパット・メセニー・グループの『First Circle』で、脳天をかち割られたような衝撃を受けました。現在のミルトン・ナシメント好きに至る布石になった声だったかもしれません。
…というわけで、和洋取り混ぜて、10人を挙げてみました。
でも、今回つくづく反省したのは、バトンものを書く時はまめに保存しなきゃいけないなぁっていうこと(苦笑)。書き直しは大変ですよね…ハイ。
【バトンを回す人】
特にご指名はいたしません。バトンを率先してやりたがるなんて、好き者にして暇人な私くらいかもしれませんから(笑)。面白そうだなぁ~と思われた方は、ご自由にご参加くださいませ♪
【超個人的声質ランキングバトンのルール】
☆歌声の好きなボーカリストを5人ないし、10人選出!
☆あくまで声の好みを問うもので、歌唱力等の技術的な要素はできる限り加味しない。
☆番外編として歌声の嫌いなボーカリストを挙げてもかまわない。
☆エントリーのタイトルは「超個人的声質ランキングバトン」とする。
☆お約束で他のブロガーさんにも回す。
ね、面白そうでしょ?早速行ってみたいと思います。
無人島音楽のエントリーでも取り上げたアリソン・クラウスは、世界一の歌声の持ち主と個人的に思っているので、絶対に外せません。小鳥のさえずりのような涼やかな歌声とカントリー音楽の取り合わせは、癒し効果絶大。アリソン・クラウス系の声と聴くと、すぐに手が伸びてしまう私です。
彼女の系譜に連なるヴォーカリストとして大注目しているのが、2004年にデビューしたミンディ・スミス。まだアルバムは一枚しか出していないようですが、今後も追いかけていきたいアーティストです。
引き続き女性ヴォーカルを、日本人から二人。
ますは大御所・吉田美奈子。このライヴ・アルバムでは、オーガンジーのような透明感に溢れた美しい高音を聴かせてくれます。同じように透き通るまでの高音から深みのあるアルトへ、歳を重ねて鮮やかな変貌を遂げた歌い手として、ジョニ・ミッチェルの若き日の作品、『Ladies of the Canyon』も候補に入れていましたが、聴き比べの結果、美奈子さんに軍配を。でも後年の低音はと言えば、ジョニの方が好みかな。
それから、つい最近紹介したばかりのクラムボンのヴォーカル、原田郁子。矢野顕子の声から“ハラリラ~”とした感じを取り除いたと言おうか(笑)、CHARAの声をマイルドにしたと言おうか。好き嫌いの分かれるヴォーカルだと思いますが、個人的には聴いていて物凄く落ち着けます。
日本人続きで、ここは男性も一人選出。
奇しくも祥さんも挙げていた、御大・ハリー・細野氏。味のあるバリトンに、亜熱帯サウンドは合い過ぎ。艶っぽいですよね!
そんな細野さんも、ソロ第一作を出した後は、自分のヴォーカルの不出来にうな垂れていたそうです。そこへ誰かからジェイムス・テイラーを薦められて、こういうヴォーカル・スタイルなら自分もできるかも…、と模倣するようになったんだとか。確かに、二人の声質、似てますよね。私も勿論、ジェイムス大好きですよ!!
さらに深みのある男性ヴォーカルを二人、行ってみましょう。
まずはこのブログではお馴染みになりつつあるブラジルのドリ・カイミ。穏やかで包み込むような温かさのある声は、ホッと心を和ませてくれます。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブで一躍脚光を浴びた、コンパイ・セグンドも亡くなって早3年。太くて悠々とした気高さあふれるヴォーカルは、今でも時々引っ張り出して聴きたくなります。
ワールドミュージック系がきたところで、さらにもうお二方ご登場願いましょう。
ハワイ旅行を前に出会って一目惚れしたヴォーカリスト、ネイサン・アウェアウ。低音からファルセットに移る時に、マントを翻すようにフワッと声が透き通る瞬間の美しさといったら!!
最後を飾るのはこれまたファルセットが美しい、アルゼンチンのペドロ・アスナール。だけど、これ、ちょっと反則技ですね。何しろ、名前を知ったのが今日なんですから(苦笑)。でも一応、お初にお耳にかかったのは15年前で。下宿近くの図書館で借りたパット・メセニー・グループの『First Circle』で、脳天をかち割られたような衝撃を受けました。現在のミルトン・ナシメント好きに至る布石になった声だったかもしれません。
…というわけで、和洋取り混ぜて、10人を挙げてみました。
でも、今回つくづく反省したのは、バトンものを書く時はまめに保存しなきゃいけないなぁっていうこと(苦笑)。書き直しは大変ですよね…ハイ。
【バトンを回す人】
特にご指名はいたしません。バトンを率先してやりたがるなんて、好き者にして暇人な私くらいかもしれませんから(笑)。面白そうだなぁ~と思われた方は、ご自由にご参加くださいませ♪
今日は小淵沢のリゾナーレ内にある【BOOKS & CAFE】に行ってきました。リゾナーレの大幅なリニューアルの際にオープンして約一年、何度か足を運びましたが、そのたびについつい長居してしまうフェイヴァリット・スポットです。
お目当ては、先月頭に訪れた時に設置されていた〔雨にまつわるコーナー〕に鎮座していた『ku:nel(クウネル)』の20号だったのですが、やっぱり一ヶ月も間を置くと前回見かけなかった本も色々あり、目移りしてしまいました。
以前からweb上で見て気になっていた『休みの日には、コーヒーを淹れよう。』(狩野知代)をカフェ関係のコーナーで見つけ、「珈琲点前であそぶ」の章を早速立ち読み。<聞茶・聞豆>初心者の私でも分かりやすく、なおかつその奥深さにズブズブとハマっていけそうなdeepなオーラも発していて、かなり眩惑されましたが、もっと興味そそられた本があったため、今回はあえなく断念。その本とは……、
そう!!JMさんのところやかおりんさんのところで紹介されていた『domingo-music for sunday lovers』です。CD解説文はマニアックさと分かりやすさがいい具合に同居。何よりサイズがA5より少し小ぶりで可愛らしいのが気に入りました。即、購入決定。
それから、『西行の連作歌をよむ』(高橋庄次)なる本も発見しました。
既に西行関連の本が2冊、家に手付かずで眠っており、今年下半期には読破しようと目論んでいたのですが、うーーん、これは一冊追加かな。とりあえずお財布の事情で今日は見送り。
というわけで、今日は『ku:nel(クウネル)』と『domingo』の2冊を買い求めました。しかし、こうして次回持ち越しが芋づる式に重なって、どんどん買い続けていくのだろうな…(笑)。
ま、それは置いておいて、今回のおしきせBGMは、ティエリー・ラングの『Private Garden』を選んでみました。本を読むのに邪魔にならない、でも凛とした美しさのあるジャズ・ピアノ・トリオです。
お目当ては、先月頭に訪れた時に設置されていた〔雨にまつわるコーナー〕に鎮座していた『ku:nel(クウネル)』の20号だったのですが、やっぱり一ヶ月も間を置くと前回見かけなかった本も色々あり、目移りしてしまいました。
以前からweb上で見て気になっていた『休みの日には、コーヒーを淹れよう。』(狩野知代)をカフェ関係のコーナーで見つけ、「珈琲点前であそぶ」の章を早速立ち読み。<聞茶・聞豆>初心者の私でも分かりやすく、なおかつその奥深さにズブズブとハマっていけそうなdeepなオーラも発していて、かなり眩惑されましたが、もっと興味そそられた本があったため、今回はあえなく断念。その本とは……、
そう!!JMさんのところやかおりんさんのところで紹介されていた『domingo-music for sunday lovers』です。CD解説文はマニアックさと分かりやすさがいい具合に同居。何よりサイズがA5より少し小ぶりで可愛らしいのが気に入りました。即、購入決定。
それから、『西行の連作歌をよむ』(高橋庄次)なる本も発見しました。
既に西行関連の本が2冊、家に手付かずで眠っており、今年下半期には読破しようと目論んでいたのですが、うーーん、これは一冊追加かな。とりあえずお財布の事情で今日は見送り。
というわけで、今日は『ku:nel(クウネル)』と『domingo』の2冊を買い求めました。しかし、こうして次回持ち越しが芋づる式に重なって、どんどん買い続けていくのだろうな…(笑)。
ま、それは置いておいて、今回のおしきせBGMは、ティエリー・ラングの『Private Garden』を選んでみました。本を読むのに邪魔にならない、でも凛とした美しさのあるジャズ・ピアノ・トリオです。
もうすぐ七夕。星が美しい季節がやってきた。
約2000年前、キリストが生まれたとき天にひときわ輝く星が現れたそうで、これを目撃した羊飼いや占星術の学者達が生まれたばかりのイエスを訪れてその誕生を祝ったと聖書にある。
旧約・新約を通じて聖書では占いを厳しく戒めているが、今回は敢えて禁を犯して、占星術とイエスの生誕について少々私見を述べさせていただきたい。
12月25日は実際にイエスが生まれた日でなく、古代ローマの冬至の祭りがキリスト教に引用されたものだというのは、大方のクリスチャンも認める通説である。イエスの真の誕生日については10月の頭だったとか9月15日であるとか諸説が飛び交っている。以前図書館で借りた本で、大学の先輩にあたる鏡リュウジ氏が、イエスは双子座生まれだったのではというユニークな説を披露していたのを見かけたこともある。
その真偽に関して私はどちらでも良いと思っている。むしろ私が気になるのは、12月25日がキリスト誕生の日として結び付けられ定着した背景である。
旧約時代ユダヤ教世界では、人間の罪は動物のいけにえを捧げることで清められるという律法が遵守されていた。レビ記の16章には雄山羊にイスラエル人の全ての罪責を負わせて荒れ野に追いやる儀式が規定されている。世に言う「スケープゴート」の由来となった箇所である。この儀式を踏み台に、「山羊=悪魔に魂を売り渡したもの」という図式がイスラエル人の意識に次第に刷り込まれていく。その後、羊が神に従う純真な人々(または御子イエスそのもの)、また山羊が神に背いた穢れた人々(または悪魔そのもの)のシンボルとして、聖書の中にたびたび登場するようになる。
ところで当の12月25日だが、西洋占星術では山羊座にあたる。山羊座の支配星は土星、守護神は、かのサタンなのである(ローマ神話)。クリスチャンにはこれを聞いて眉をひそめる方もいるかもしれない。
占星術で、土星は「制限」を意味する。神の子イエスが肉となって地上に生まれたということは、自体、全能の神が人間の限界の中に生きることを強いられたということに他ならない。イエスは、この世の神サタンの影響下に置かれながら、十字架上で全人類の罪を贖ういけにえとして自ら命を捧げた。汚名を着せられ人々の罪を担う姿は、全き聖なる「子羊」と呼ぶより、苦渋の中もがき生きた「山羊」の名を冠するにふさわしい。
七夕を前に、そんなイエスに思いを馳せ、音楽を選んだ。ケイト・ラズビーの『Underneath the Stars』である。アリソン・クラウスにも似た小鳥のさえずりのような歌声とアコーディオンを軸にした柔らかなカントリー・サウンドは、あくまでも耳に優しい。
約2000年前、キリストが生まれたとき天にひときわ輝く星が現れたそうで、これを目撃した羊飼いや占星術の学者達が生まれたばかりのイエスを訪れてその誕生を祝ったと聖書にある。
旧約・新約を通じて聖書では占いを厳しく戒めているが、今回は敢えて禁を犯して、占星術とイエスの生誕について少々私見を述べさせていただきたい。
12月25日は実際にイエスが生まれた日でなく、古代ローマの冬至の祭りがキリスト教に引用されたものだというのは、大方のクリスチャンも認める通説である。イエスの真の誕生日については10月の頭だったとか9月15日であるとか諸説が飛び交っている。以前図書館で借りた本で、大学の先輩にあたる鏡リュウジ氏が、イエスは双子座生まれだったのではというユニークな説を披露していたのを見かけたこともある。
その真偽に関して私はどちらでも良いと思っている。むしろ私が気になるのは、12月25日がキリスト誕生の日として結び付けられ定着した背景である。
旧約時代ユダヤ教世界では、人間の罪は動物のいけにえを捧げることで清められるという律法が遵守されていた。レビ記の16章には雄山羊にイスラエル人の全ての罪責を負わせて荒れ野に追いやる儀式が規定されている。世に言う「スケープゴート」の由来となった箇所である。この儀式を踏み台に、「山羊=悪魔に魂を売り渡したもの」という図式がイスラエル人の意識に次第に刷り込まれていく。その後、羊が神に従う純真な人々(または御子イエスそのもの)、また山羊が神に背いた穢れた人々(または悪魔そのもの)のシンボルとして、聖書の中にたびたび登場するようになる。
ところで当の12月25日だが、西洋占星術では山羊座にあたる。山羊座の支配星は土星、守護神は、かのサタンなのである(ローマ神話)。クリスチャンにはこれを聞いて眉をひそめる方もいるかもしれない。
占星術で、土星は「制限」を意味する。神の子イエスが肉となって地上に生まれたということは、自体、全能の神が人間の限界の中に生きることを強いられたということに他ならない。イエスは、この世の神サタンの影響下に置かれながら、十字架上で全人類の罪を贖ういけにえとして自ら命を捧げた。汚名を着せられ人々の罪を担う姿は、全き聖なる「子羊」と呼ぶより、苦渋の中もがき生きた「山羊」の名を冠するにふさわしい。
七夕を前に、そんなイエスに思いを馳せ、音楽を選んだ。ケイト・ラズビーの『Underneath the Stars』である。アリソン・クラウスにも似た小鳥のさえずりのような歌声とアコーディオンを軸にした柔らかなカントリー・サウンドは、あくまでも耳に優しい。