水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(14):木俣修「箴言を額に刻みてけふも」

2015年08月20日 08時33分55秒 | 一首鑑賞
箴言を額(ぬか)に刻みてけふも生くひしひしとこの受刑のおもひ
木俣修『冬暦(とうれき)』


箴言は神様を礎にした格言集である。その言葉は短く印象に残り易く、私達の心に突き刺さってくる。私にとって特に痛い言葉は、怠け者を諭す箇所と口から出る言葉を制御するよう戒める箇所である。それぞれ引いてみよう。

怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。
しばらく眠り、しばらくまどろみしばらく手をこまぬいて、また横になる。
貧乏は盗賊のように欠乏は盾を持つ者のように襲う。
(箴言6章9~11節)

愚か者の口は破滅を 唇は罠を自分の魂にもたらす。(箴言18章7節)

容赦のない言葉だ。これらの警句が胸にこたえたとしても、簡単に心の奥や振る舞いを改められるほど強くないのが、私達の実情ではないだろうか。
しかし私達には救いがある。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と仰ったイエスは、十字架刑にかかる前にこのような祈りをしている。 「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネによる福音書17章3節)。他ならぬイエスを知ることが、神様の目に適う道そのものであるというのだ。後にイエスの弟子となったパウロは、ローマの信徒への手紙8章33節でこう書いている。「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」

木俣はこのイエスによる希望を知らぬまま逝ってしまったのかどうか。だが彼は、こんな歌も遺している。

内なる光(インナーライト)をもたぬ民よとあはれみしかのメッセーヂをいまも胸にす

この歌からは、ペトロの手紙一2章10節が想起される。「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている。」――内なる光をもたぬ民を<あわれみし>というところに、木俣がイエスにほのかに望みを託している様が現れているように私には思える。
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一首鑑賞(13):前川佐美雄「声もこそせねわれをささふる」

2015年08月18日 10時52分48秒 | 一首鑑賞
いくたりか身近にひとら死にゆきて声もこそせねわれをささふる
前川佐美雄『天平雲』


 前川は特にキリスト教の信仰を持っていたわけではないようだが、『捜神』という歌集も出しており、広い意味では「求道者」のうちに数えられるであろう。故郷の自然の風物の背後にあるものを感じ取りながら、多くの歌を編み出していった。首掲の歌もそうした系譜に連なるものと言えよう。
 今年度から私の教会では、召天者を憶えて祈祷を捧げるようになった。私は初めこれをどう受け止めたら良いか分からず、その戸惑いをFEBCラジオの聖書通信講座のメールの中で触れた。すると係の方は、「私たちがこの地上でささげている礼拝は、やがて天でささげる礼拝の先取りです。礼拝の中で召天者を憶えて祈るということは、単にご遺族への慰めというだけではなく、いえそれ以上に、やがて復活の日にささげる礼拝、その時にはすでに召された方々も復活して共に主イエスを礼拝することを憶える意味があるのではないでしょうか」とお返事くださり、私はその時ようやくストンと腑に落ちたのだった。
 前川のこの歌に似た心情を、故・高岡伸作牧師も「掌詩」として記している。二編ほど引いておく。

    先に逝った者と
    過ごすことが
    多くなった
    急がなくていい
    温もりのひと刻(とき)

    一人でいると
    ふと傍に
    来てくれている
    彼ら逝きし者の
    穏やかな友情

 最近は私自身も人生の折り返し地点といった年齢になり、以前より自分の先々の見通しが利くようになってきたと感じる。そのこともあるからだろう、いずれ自分も天に召されれば、母教会の時の友達と会えるのだろうかとか、N教会に転入会して間もなくの頃は親しい交わりがありながら後に少し距離ができたまま先に逝かれたNさんと、また話せるのだろうかとか、時折つらつらと考える。そればかりでなく、今まで直接話したことのない信徒や、時代の異なる信仰の先達にも天で顔を合わせ、主を共に礼拝する恵みが与えられていると思うことは、この地上の生活においても大きな慰めである。
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#sarutanka(じわじわ追加中)

2015年08月14日 09時21分35秒 | 言葉に寄せて
今年の折り返し地点まであと一ヶ月ほどになりました。ぼちぼち来年の干支がらみの短歌を作らなければと思いつつ、なかなか…です。
そこで、サル(猿、去る、申…etc.)に因んだ短歌作りに発破をかけるため、Twitterで二年以上かけてメモってきた#sarutankaを、備忘録として公開エントリーにします。


猿轡されたる熊が炎天下ぽつんぽつんと街道にをり/本多稜
限界の村の山畑守りつつ今日も確かに生きて猿追ふ/望月ふみ江
猿橋のたもとを染めるもみじ葉のひとひらふたひら欄干に落つ/飯島早苗
猿の害を網にて囲ふ里の畑白菜大根あをあを育つ/篠原俊子
穭田(ひつじだ)に座り込みたる猿の群れ穂を抜き食みて腹を充たせり/篠原俊子
腹すかし猫やら鵯やら来る庭に今日は一日離れ猿ゐる/河野裕子
玄関の林檎箱より林檎ひとつ持ちゆきし猿今朝はまだ来ず/河野裕子
離れ猿空を見上げて瞬(しばた)けり隠れなき老い赤き横顔/河野裕子
群れを率てをりし日のことこの猿は時どき思ふか屋根に芋食ふ/河野裕子
界隈の屋根から屋根を渡りゆく猿の腕(かひな)の意外に長し/河野裕子
どこでどう死んでゆくのか横向けば眼窩の窪みふかき猿はも/河野裕子
隣り家のさるすべりの紅(こう)散りこみて蔽ひゆきつつ吾が蝉塚を/苑翠子
人よりも山猿どものおほくすむ十津川郷へ尾のある人と/小黒世茂
風に吹かれそよげる猿に乞わむかも白毛が身をおおう安らぎ/佐伯裕子
ひとりではないのに独りひとりきり声あげて泣くこころの猿(ましら)/佐伯裕子
ケースには猿の脳みそ蜂の蠟かく存らえて人の生命(いのち)は/佐伯裕子
失せしものかぎりも知らず抽き出しに森閑と反るサルノコシカケ/佐伯裕子
ものを食む秋の哀しさ萌え出でしサルノコシカケにくち光らせて/佐伯裕子
猿沢の池のほとりで横座る遠い瞳(め)をした鹿に会ひにき/山科真白
捕はれて檻に戻れるボス猿は素知らぬふりに夕陽を仰ぐ/長田貞子
霧はれて乗合バスはぱふぱふと猿羽根峠を越えゆきにけり/田上起一郎
「苦が去る」と古布にてつくる猿ぼぼの細き梅の枝に九匹のせる/米山桂子
猿も子を殺すことあり恐ろしと言ひつつ殺すところを見しむ/竹山広
何をなし終りてそこに置かれたる電話の横のモンキースパナ/竹山広
ベートーベンに聴き入る猿を見せられしゆふべ出でて食ふ激辛カレー/竹山広
右の歯と左の歯にて均等に嚙むこと大事とは知り申す/竹山広
聖書など要り申さずと断れば音する傘をひらきて去れり/竹山広
力のみが支配する猿の世界にも見目よき男をみなごあらむ/竹山広
電灯の紐を仰臥の胸近くおろせば今日はすたすたと去る/竹山広
あな欲しと思ふすべてを置きて去るとき近づけり眠つてよいか/竹山広
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る/大伴旅人
手長猿飼ふ兵あるをわが見しが時すぎぬればあやしともせず/田中克己
猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり/斎藤茂吉
月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾(ひれ)など欲(ほ)りしてをらむ/斎藤茂吉
あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にてし居れば灯があたりたり/斎藤茂吉
猿の面(おも)いと赤くして殺されにけり両国ばしを渡り来て見つ/斎藤茂吉
猿の肉ひさげる家に灯がつきてわが寂しさは極まりにけり/斎藤茂吉
空ひろく晴れたる下(もと)の猿ヶ辻きみに日照雨を教えしあたり/永田紅
天使魚の瑠璃のしかばねさるにても彼奴(きやつ)より先に死んでたまるか/塚本邦雄
袴さばきのたとへばわれをしのぎつつあはれ猿芝居の次郎冠者/塚本邦雄
さるすべり一花ひらきて梅雨いまだ明けぬあしたを初蝉の声/香月昭子
猿も出る裏山道をおどおどと上りて合歓の真盛りに逢ふ/狩野花江
病室の窓より見ゆるゴンドラがお猿のお籠のように揺れおり/飯沼鮎子
高き檻の内外にゐて面白きカバ、テナガザル、恋ビト、コドモ/石川美南
猿の手を河童のミイラとして祀るさまざまな拉致ありし世の悲に/米川千嘉子
住むことを選んだ町に白い実と寒風、小猿、風船と汽車/東直子
ひとつ去りふたつ去りして苦の去るとましらここのつ細枝に遊ぶ/渡辺忠子
日盛りに職方ひとり登りいる工事場の屋根 白さるすべり/上野久雄
「猿だけは撃たれる時に目をつむる」駆除する人は深き眼に/岡本留音紗
この野郎! 揺れいる猿がしたたかに見上げていたりわれも淫らか/永田和宏
波勝崎その雌猿の石遊び時経てつひに〈文化〉となりぬ/古谷智子
口つけて谷の泉の水呑めば一寸猿似の私がうつる/喜多功
積乱雲に呼ばれたやうな感覚を残して夏の曲馬団去る/山田航
没りつ陽の黒きにみればロダン作る 考へる人、ましらのごとし/葛原妙子
薔薇色の西瓜の断片にちかづきてよはよはしかも蚊は鳴きて去る/葛原妙子
夏終るしらびそ樹林のさるをがせ緑おぼろに雨に震ひつ/河野愛子
子を連れた野猿が屋根に今朝も来て三輪車見る憧れの目で/若山巌
大和屋にあこがれ続け二十年猿曳き観しが最後となれり/伊東澄子
「死ぬからなあ」二度申さるる土屋先生とゐる時のはさまなり/河野愛子
つゆぞらをひたすら踏んで去る土足はなあぢさゐの夢さめやすし/永井陽子
花かげが冷えつく故郷等身のやさしいひつぎ天に置き去る/永井陽子
つゑつきて石の舗道をいづかたへ父は去るとも満天のほし/永井陽子
さるすべりのたわわな花枝のむかうには鉛の雲を抱く空が見ゆ/永井陽子
花をたづねて人来る頃ぞ亀石も笑ふ猿石も笑ふ明日香早春/永井陽子
旅に出たきことその季節を過ぎしこと冬の雨夜のさるすべりあり/永井陽子
猿どもはまばゆき初夏の陽を浴みてゐるぞひねもす仕事などせず/永井陽子
ぎゆんぎゆんと吹き溜められてゆく雲を見てゐる冬のおほさるすべり/永井陽子
来し方も行く末もなし老猿が目を閉ぢてゐる冬の日だまり/永井陽子
病棟を出づる時日日見上げてはなぐさめらるる大さるすべり/永井陽子
みのむしが秋のさくらに垂れさがりなうなうなうともの申すなり/永井陽子
今は動かぬ赤穂城内置時計申と酉との間指してゐる/永井陽子
こはいかに人参色のゆふぐれはひとがみなみな見ゆるぞ猿に/永井陽子
自転車のネヂひとつ締め紺碧の空へ投げやるモンキースパナ/永井陽子
桐の花咲く下におもへるとほつ国 いきいきと伝説の猿(ましら)棲む国/永井陽子
夢の中でマンバウと議論してゐたりむかしむかしの猿について/永井陽子
金色の毛髪の猿 あの夏の……もういちど孫悟空に逢ひたし/永井陽子
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ/高野公彦
前を向きするどく立てる鹿の耳我が去るまでを動かずに立つ/風間博夫
血脈のように流れる夕闇の川に少年石投げて去る/里見佳保
ふるふると五徳の回る音のして遠野物語の幽霊や去る/有沢螢
歳月を何の力にせよと言うやかの人の言葉忘れさるべし/さいとうなおこ
花終るまでを堪へたる桔梗(きちかう)に晩涼の水きずつきて去る/塚本邦雄
ぽろぽろと電光表示の行き先の少し崩れた地下鉄が去る/鯨井可菜子
来なかったひとの名前をレジ横の 〈空席待ち〉に書き足して去る/鯨井可菜子
出口なし 小さき子らの群れ左側を抜き去る全速力で/中澤系
雪にぬれ一羽は影となりながら人気なき田を低くとび去る/桜木由香
青杉の太き股にもさるをがせ垂れをり神の復讐のごと/島崎榮一
狂おしく咲くさるすべり八月のなんでもない日に会いにゆきたい/嶋田さくらこ
百日紅は色を変えずに散る花、と教えて祖母はほほえんでいる/嶋田さくらこ
なほ空に余韻をゑがく ふくらみを持たせて碗の縁を去る手は/本多稜
渡し船のエンジンかくもけたたまし汨羅(べきら)の河の風を消し去る/本多稜
鬩ぎあふちからは崩れ水つひに火にまさりたりわれを消し去る/本多稜
密々たる樹林に風の起こるなし蒸されて歩き歩いて蒸さる/本多稜
あれはたしかにサイチョウならむ光引く尾のみ目にせり山を去る日に/本多稜
氷の刃が覆ひつくせる頂標をひしと抱きしめ頂を去る/本多稜
人去るや遺産たちまち取り分けてその人と共に無きものとせり/本多稜
打ち込みて定め伸ばして押さへ去る 子の手支へて今日の書初め/本多稜
去る振りをしてまた戻る二三遍 最後はわれが折れてバザール/本多稜
さるすべり遠目にも濃くその日よりわれのうちなる百日紅の村/小中英之
いちまいの熱き鉄板はこび去る男同士の会話も灼けて/小中英之
まなうらに雪ふるものを陽の射せばうつつに白くさるすべり咲く/小中英之
風の日は風と彩(あや)なす碑のほとり去るもの影もきよらかならず/小中英之
水の辺のまんさくいまだこの町を去るも去らぬもわが意志にあり/小中英之
精(くは)しくは申さずさびし今昔の煮物に沈む大根飴色/小中英之
一見してこひねがふべし歪みたる面(めん)のごときは猿の腰かけ/小中英之
咲ききらず枯れて立つかなサルビアのめぐり風吹きサルビア鳴りつ/小中英之
空からの夢にひしめく桜花には悟空の遺影かかげてありき/小中英之
人を怒るは愚かなるかな春と共に来るを拒まず去るを拒まず/小中英之
薬にて忘れし過去も秋風に猿麻桛(さるをがせ)のごと吹かれてをらん/小中英之
噴水に寄りくる老いをもたぬ町ひとびとは水落ちぬ間に去る/石本隆一
夕映えに溺れ消え去る鳶見れば死とは光に吸われゆくこと/道浦母都子
日は低く野にけむりつつ遠ければ去るべく寄らむ浣花溪の水べ/近藤芳美
なにもなし秋がさそひに来るゆゑに都を去るといひつげてまし/尾山篤二郎
街上樹下(かいじやうじゆか)、秋はしのびてあゆみさる、枯葉、乾反葉(ひそりば)、ちる月あかり/尾山篤二郎
広場(ひろには)は雨に小暗し百日紅の濡るるはだへもはた寒げなる/吉野秀雄
山なかの暗き杉生(すぎふ)にうつしみの人なるにほひただよはし去る/前川佐美雄
百日紅あかくわが眼に灼きつけば一列(ひとつら)の蟻を踏みにじりたり/前川佐美雄
百日紅すでに梢にともしけば家めぐる垣の荒れて隙(す)きたり/前川佐美雄
ののしりてホームの床にまろび居し男をかかへ去る雨の中/近藤芳美
はればれと羽子板を買ひて店を去る女士官を見守りゐたり/木俣修
百日紅の葉がひの空の星ひとつきみが瞳(め)のごと澄むもかなしも/木俣修
やりすごす春にあらねばこきざみにいかにも耐へてゐるさるすべり/今野寿美
戦に死にし禽獣のことおもふ猿島に猪(しし)らおろかに肥えて/大野誠夫
俗化して名勝となれる爆心地訪はず又去る広島にきて/中野菊夫
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