水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

Amazon等で購入できます。 また、HonyaClub で注文すれば、ご指定の書店で受け取ることもできます。
また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

2023年12月31日の祈り

2023年12月31日 15時44分19秒 | 「とど」の日々の祈り
① 朝の黙想で、2023年の目標の達成具合・進捗度を確認できた。感謝。

② 某全歌集より、第八歌集を読了できた。感謝。

③ トイレ掃除ができた。感謝。

④ 箪笥の上の本や書類の片づけ、プリンタの上の書類の片づけ、ネット注文の明細書の整理ができた。感謝。そうは言っても、箪笥の上などはほぼ片づいてないが……ご恵贈の本やお借りしている本などは、目に見える形で積読にしておかないと、読まないままになる危険性が大だからなぁ。。義務感を先立てるとストレスが溜まるからあまり無理はしないけど、時々一種の気分転換にするくらいの軽い気持ちで、ちょっとずつ読めますように。
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2023年12月30日の祈り

2023年12月30日 17時08分19秒 | 「とど」の日々の祈り
① 午前は、掃除機をかけ、窓拭きをした。一昨日の作業所の大掃除で掴んだコツを基に窓拭きをしてみたら、例年より綺麗にできた。感謝。

② 某全歌集より、第七歌集を読了。大部の歌集だったが、途中(この方もそんな経験を!?)と思う歌が数首あり、そこから食い入るように読んだ。感謝。

③ 明日礼拝へ行くかはまだ迷い中……気持ちの整理がつきますように。
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2023年12月29日の祈り

2023年12月29日 16時23分23秒 | 「とど」の日々の祈り
① 午前は風呂掃除と洗濯をできた。感謝。

② 超眠かったが、午後は、某全歌集より第六歌集を読了できた。感謝。

③ その後、堀田季何さんの『俳句ミーツ短歌』を読了できた。感謝。

④ 久々に少し散歩できた。また関係妄想だが、「道端の雑草の有り様などに目を凝らすようになって……」とblogに書いたのが災いしたのか、雑草が見事に根こそぎにされてたよ。。まぁ皆さんにとって雑草って恥でしかないんだろうね。写真に撮れるものもほぼ無く歩いたが、あるところにナズナが。本当に小さな花なので、私のスマホ程度ではプリントアウトに堪えるような写真は撮れないし、組み合わせたい聖句もあまり無い。。短歌では、横山未来子さんとか土屋ひろ菜さんとか、そういう繊細な景を詠んでるよね。最近あまりにも自分の歌集やら自分の教会の細々とした事柄に追われてて、視野が一層狭くなってるけど、来年はもう少し巷の短歌などを読めますように。
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2023年12月28日の祈り

2023年12月28日 16時42分56秒 | 「とど」の日々の祈り
① 今日は仕事納めの日で大掃除だった。私自身だいぶ気が回らないところもあったが、窓拭きで他の人のちょっとした工夫を真似たり、少しずつコツも掴めてきてる感じ。感謝。そして、つくづく台所周りの整理整頓とか不得手なんだなぁとも思った。

② 以前から感じてたことだが、精神の患者さんは、所謂〈健常者〉よりも言葉そのものに依拠しているんだなぁ、と今日の掃除を通じて思った。機転が利いてテキパキ動ける職員からしたら、そういうメンバー達を見ていて(背中を見て学べよ!察しろよ!揚げ足取るなよ!)と感じる部分は多いんだろうなぁ……来年は、更にお互い歩み寄ることができますように。

③ 帰宅してお昼を食べ疲れて横になってたが、14時頃ムクリと起き出して、某全歌集から第五歌集を読了できた。感謝。

④ 23日か24日かに「ブックサンタ」の取り組みを取材したニュースをテレビで観たが、ラッピング最中の様子の映像で絵本『こぎつねのとくべつなクリスマス』が出てきて嬉しかった。感謝。
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Wish You Were Here

2023年12月27日 19時50分40秒 | その他
家飲みで話す相手がいないからピンク・フロイド『炎』をかける
(とど)

2021年5月9日 作歌。

*上句はお題
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2023年12月27日の祈り

2023年12月27日 16時20分48秒 | 「とど」の日々の祈り
① 午前は精神科受診。教会学校のことに今後携わり今まで関わっていなかった人達と協働するので、お互いが見えてくるまで無理難題を言われたり(言ったり)して混乱する可能性もあるけど、初めから全部「無理!」と投げ捨ててしまうのでなく、できないことは「できない」と意思表示し、できることはするという擦り合わせをしていきたい、と伝えた。その中で、困ったことがあったらまた医師に相談すると話せた。感謝。

② 2012年度までウチの教会を牧会していた牧師夫妻からクリスマスカードが届いた。歌集をとても大切に読んでいただけたようだ。感謝。

③ 某全歌集から第四歌集を読了できた。感謝。

④ その合間を縫って、文箱を整理。積み重ねると3cm分くらいの古い葉書類を断捨離できた。感謝。
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2023年12月26日の祈り

2023年12月26日 17時33分11秒 | 「とど」の日々の祈り
① アドヴェントのミニバザーの聖句ポストカード売上利益 2000円(50円×46枚=2300円に、気前の良い教会員が余分に150円出してくださったのを足した2450円から、ポストカード用紙代450円[9.8円×46枚=450.8円]を差し引いた額。インク代は自腹)を、12月24日の礼拝で特別指定献金(他教会の会堂建築献金)として献げられた。感謝。

② 今朝聴いた(今日の)FEBCの番組はどれも励まされるものだったな……特に「ふらっとトーク」の内容が、先週土曜に私が書き上げた一首鑑賞での歌の読みをバックアップしてくれてるかのようで、嬉しかった。感謝。

③ 12月24日に教会で写した写真(牧師夫妻の手作りのクリスマスツリーの壁掛け)を、今日職員にお見せしたら、ご自宅のクリスマスコーナーの素敵な飾りの写真を見せていただけた。感謝。
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2023年12月25日の祈り

2023年12月25日 16時08分38秒 | 「とど」の日々の祈り
① 某全歌集から、第一歌集の残りと第三歌集を読了できた(第二歌集は以前ある全集で読んでいた)。感謝。

② 昼食後ドラッグストアに行けた。感謝。

③ クリスマスカードが二通届いた。感謝。

④ 昨日『信徒の友』12月号を譲っていただいたのだが、バプテスマのヨハネの特集にめっちゃ刺激を受けそうな予感。私の狂い始めは、エリサベトの霊に憑依されるごとき感覚があったのだけど、あの体験もただの幻覚妄想だけではないのかな……?(主よ、明らかにしてください)。エリサベトについては、死ぬまでに何とかして書きたいテーマである。そのことと多少関連するが、Twitter辞めた関係で美好ゆかさんとのパイプが切れたことが何とも残念。。歌集を出されたら、すぐに買いたい歌人さんである。
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Season’s Greetings !

2023年12月25日 11時51分38秒 | クリスマスに寄せて
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祈り。⑵

2023年12月25日 03時04分49秒 | 人[その作品]に寄せて
蝋燭の火が燃え尽きるそのときは爪に火ともす暮らしよ終われ
(とど)

2023年1月29日 作歌。

*上句はお題
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2023年12月24日の祈り

2023年12月24日 16時09分59秒 | 「とど」の日々の祈り
① クリスマス礼拝に出席できた。感謝。説教は「光」について牧師先生が丁寧に深めて、お話しくださっていた。感謝。

② 11月中旬には個人的に全く信仰の無かった教会学校(←今後、名称変更するかも)の事柄にだんだん信仰が与えられ始め、自分なりの参与ならできるかな……?と考えつつ礼拝へ行ったら、長老のお一人から来年度の教会学校についての第一回打ち合わせの議事録を渡され「できれば参加してほしい」と要請された。御手が働いていることを感じたので「ありがとうございます」と受け取った。感謝。

③ 久しぶりに礼拝出席されていた方が沢山いた。内のお一人(以前FEBC番組表の余りを譲っていただいた方)と話せた。お暮らしぶりが分かり、祈ろうと思えた。感謝。

④ 帰宅してお昼を食べた後しばらくグッタリしてたが、QPコーワゴールド・林檎・キムチ等を摂って少しして気が向いて、県立図書館で借りた全歌集を少しだけ読み始めたが、ゾクゾク来るわ……Twitterである方のツイート見て、これは読まなあかんな、と思って借りたのだが、信じて正解のお言葉だったな。感謝。
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2023年12月23日の祈り

2023年12月23日 16時19分12秒 | 「とど」の日々の祈り
① 一首鑑賞100本目を擱筆した。10年かけて辿り着いた。折々に力を与え、導いてくださった神様に感謝。

② 西巻さんが今とても大変である。お苦しみが和らぎますように。

③ 明日はクリスマス礼拝に出席できますように。

④ 県立図書館で借りてきた全歌集を、年末年始休みに読めますように。

⑤ 来週は読書の合間に、掃除と書類の整理に励めますように。
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一首鑑賞(100):林あまり「クリスマス劇はいつでも新しく」

2023年12月23日 10時29分28秒 | 一首鑑賞
クリスマス劇はいつでも新しく
   たとえばことし初めての雪
林あまり『最後から二番目のキッス』

 林あまりは『信徒の友』読者文芸短歌欄の選者を務めている歌人で、教会員にはその名前を見知っている方も多いに違いない。林の所属教会でクリスマスページェント(イエス様の降誕劇)の案が持ち上がった四十年ほど前、演劇部で活動していた林は教会員からお呼びがかかり、以来、台本作りや演出に深く携わることになったらしい。そしてページェントがクリスマスの恒例行事となっていくうちに、神様に喜んでいただける舞台を、また、信徒でない観客がクリスマス本来の意味を理解できる舞台を目指すようになったという(『信徒の友』2022年12月号「継承されるページェント」より)。

 ヨセフとマリヤ ステレオタイプの「夫婦」には
    したくはなくて 脚本書きつぐ

 掲出歌および上の歌は、林あまりの歌集『最後から二番目のキッス』にある連作「それでもクリスマス」から引いた。《ステレオタイプの「夫婦」にしたくはなくて》の一首からは、林がどれだけページェントに真剣に向かい合ってきたのかが伝わってくる。イエス様のご両親なら清い温かい方々だったんでしょう……と観客には他人事としてしか感じられないような「良い夫婦の見本」みたいな描き方にしたくなかったのだろう。不自然にならぬように、でも台詞の隅に人間味を漂わせる。その年々でディテールも変えて、という拘りようが結句の「脚本書きつぐ」に現れている。
 林の教会でも、コロナ禍の2020年と2021年はページェントを実施できなかったという。2022年にやっと、ダイナミックな演出は控えたミニ版ページェントの実施が叶ったようである。
 ところでこう書くと驚かれるかもしれないが、私は「降誕劇」というものは何となく知っていたが、「ページェント」という言葉を初めて聞いたのはN教会に来てからである。そして生で観たのは、2019年の【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】で、こども園の園児・卒園児の親御さんによるページェントが初めてだった。今年「こどもクリスマス会」が開催されるに当たって、ページェントは会の運営の委員会が中心になって行おうという話になり、私もいきなりだが目立つ役どころを演じた。
 こどもクリスマス会の翌日が委員会の日で、会の振り返りをした。特に、委員会外の方に役をお願いしたら小道具まで作っていただけて子ども達にも受けが良かったことや、また、台本通りに行かなかったところに配役の方の咄嗟の機転で和みの笑いが生じた場面など、とても温かい気持ちで共有できた。さらに、役は演じなかった委員が傍らに座っていて(僕の役は台詞が無い……)と嘆いた子どもに対し「立っているだけで意味がある」と励ましたり、博士役の王冠を子どもがページェント前にいじってしまって形が崩れたのを直しに来ていたり、と心安らぐ一コマがあった。台本を書き、台詞を練習し演技をするのは、ある意味、人間のわざである。でも、そうした筋書きを離れたところに、余白にこそ主の恵みが現れるんだな、ということを実感する会になったのではないだろうか。

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(コリントの信徒への手紙 一 3章6〜7節)

 林の連作「それでもクリスマス」には、下の歌も含まれている。

 何人のマリヤをわたしは見送って
    冬が来るたび 年をとるたび

 園児たちは成長しいずれ卒園していってしまう。林はページェントに毎年携わり、何人ものマリア、ヨセフ、天使たち、羊飼い達、東方の博士たちを送り出していったのだろう。それは少し淋しいことかもしれない。だが、子ども達の心に蒔かれた「種」が芽を出すのがいつかは分からない。それは神様のタイミングである。私達にできるのは、見通しの立たないことに気落ちせず、いつもイエス様を見て、「植える」こと、「水を注ぐ」ことである。Aさんに働きかけたつもりが、それを見ていたBさんに神様のことが伝わって、Bさんが救われる——主の恵みとは、いつもそういう思いがけない形で実を結ぶのではないだろうか。私達が救いの計画を支配しているのではない。だから、誇れないし、誇るまい。
 新しいマリア、おいで!新しいみんな、おいで!!
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2023年12月22日の祈り

2023年12月22日 18時32分25秒 | 「とど」の日々の祈り
① 今朝は珍しく体調が良く、早めに家を出て、往き路で給油してから通所できた。感謝。

② 昼休みに、絵本と鳥が大好きなUさんに、図書館で借りた絵本『ながい ながい よる』をお見せした。ちょうど冬至だし、小鳥が活躍する絵本だし、(手前味噌だが)いいクリスマスプレゼントになったと思う。感謝。

③ クリスマス礼拝・イヴ礼拝の説教準備に主の導きがありますように。牧師先生は、数年前から患っているご病気の関係で寒いのが相当堪えるらしいが、主が共にいてくださいますように。
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聖書黙想 2023年12月22日

2023年12月22日 17時22分15秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
現牧師夫人がかねてから力説していることで、どうも私には腑に落ちない点がある。曰く「子どもが教会に通うにはまず親の心を掴まないと」と。確かにこの地域では物理的に教会に来るためには親による送迎が必要な距離に住んでる子ども達が多いのは事実である。でもそれって、何か信仰的な発想には思えない。子ども自身が教会に魅力を感じてたら、親を巻き込んで来るんじゃないのかな?と私は思うけど。(私の考え方は甘いのかな?)
   ↓  ↓  ↓
<新共同訳 ルカによる福音書 1章39〜45節>
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
   *  *  *
以前、分級が賛美体操みたいなこと(賛美ダンス?)をやってた時は結構盛り上がってたよね、教会学校も。
(作業所の職員で男の子のお母さんは傍から見てると、子どもの野球のためにそこまでする?という感じだったし。)
逆に、親に言われたからということで教会に通う子どもが、その後自発的に周りの子達を教会に誘うか、と言ったら違う気がするけどなぁ。どうなんだろう……?
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