水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

Amazon等で購入できます。 また、HonyaClub で注文すれば、ご指定の書店で受け取ることもできます。
また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

#通読+α 2023年4月分まとめ[追記あり]

2023年04月30日 17時21分51秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆4月7日
通読で民数記を読んでるが、最近は忙しくてパーッと読み流してしまってる。でもふと(教会で喧々囂々の討議してるのって、ほぼこういう施行細則の部分ばかりよね……)と思った(その割に教会員の多くは民数記なんて読んでなさげ)。まぁそれはともかく、何によって生かされるか、という重要なことをもっと話し合うべきなのに、そういうことは牧師などを崇め奉って(偶像崇拝して)、「先生が仰ったことだから……!」で思考停止してる感あり。
   ↓  ↓  ↓
この「牧師などを」に躓いた方がいたかもしれないが、これは「牧師なんぞを」の意味でなく、実は「牧師とか私とかを…」の含みで書いたのだ(本当に偶像崇拝されてる感あるんだ……)。

◆4月13日
今度の日曜は教会総会である。出席できた場合は、長老候補から外してもらうために、一同の前でのガチの障害者アピールの出番だが……気を抜いてるわけではないけど、神の国と神の義を第一にしてれば、弁明の言は与えられるという信仰が芽生えてきてる(マタイ6章33節)。これは私には大きな進歩。
でもそうは言っても、毎回緊張はするんだけどさ……けれど、健康そうに見える中年・壮年層には、是が非でも役員を押し付けようとする今の教会員の風潮が変わらなければ、正直言って教会に友達を連れてきたいとは思えない(精神の方は、断るのが本当に苦手な人が多いから)。

◆4月17日
昨日の総会では、長老の被選挙人名簿に私の名前は無し。2年間の礼拝出席日数が5割切ってるとそうなるのだ。2021年度が特に欠席多かったからな。だから昨日は結局「障害者アピール」せずに済んだ。(土)に長老候補辞退の弁を全く考えぬわけでもなかった。【今でも相当の時間を教会のために割いている。もし長老になったら作業所も辞めないととても務めをこなせない。そうなると、社会との接点は病院と教会しかなくなる。それは避けたい】というのが大要。杞憂で済んで良かったが、他の方が長老辞退の弁をしてもなお選任されてしまったの見ると「他の責任あるから」では逃れられぬのかとつくづく。私の弁明のもっと不穏な案として「選ばれたら入院します」とか、もっと情緒不安定になってたら「殺す気か?」とか口走っちゃうんではと危惧してた。少し前に通読で読んでた民数記で実は何気に励まされていた。
   *  *  *
<新改訳第三版 民数記11章14〜17節>
私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」主はモーセに仰せられた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたがよく知っている民の長老で、そのつかさである者七十人をわたしのために集め、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。わたしは降りて行って、その所であなたと語り、あなたの上にある霊のいくらかを取って彼らの上に置こう。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたはただひとりで負うことがないようになろう。
   ↓  ↓  ↓
まぁ、教会員に対して「殺す気か?」はよっぽどのことが無きゃ言っちゃ駄目だと思うけど、神様に対してはここまで率直に自分の気持ちを述べていいんだな、と。そして、神様はそのひん曲がった訴えの底の真意を見抜いて、良きお取り計らいをしてくださるんだな、と思った。

◆4月20日(4月17日の黙想の延長)
矢野顕子さんのThe Girl of Integrityが聴きたくて(日)か(月)にクローゼットから『峠のわが家』のCDを出してきた。教会総会である方が牧師先生への謝儀を増額するよう訴えていたため。先生のご労苦に感謝を表したいのは解るが、的外れな気が。それより、先生のご負担を共に担える同労者の方が有り難いのでは?
   *  *  *
[The Girl of Integrity の歌詞]
金が欲しいわけじゃない ここまで来たのは
喜ぶ顔見たいだけ ほんとにそれだけ
でも 自由 ほんとに 自由 こんなに
(後略)

◆4月30日
午前中、昨年度の週報の仕分け・断捨離をしていた。今年度の伝道方針は、昨年度に引き続き「礼拝の喜びをもって、伝道、奉仕へ」。2022年5月1日の週報では「喜んで伝道できますように」が【今週の祈りの課題】に挙げられ、2022年10月2日の週報には「韮崎の地における伝道のために」が祈りの課題に。韮崎の教会なんだし、韮崎での伝道って当たり前やん!という感じだが、当時は私が『信徒の友』[日毎の糧]掲載教会にトラクトとFEBC番組表を送ってたのへのお礼状が教会宛てにじゃんじゃん届いてたので、この祈りの課題は(ウチでも伝道して!)という牧師先生の心の叫びが図らずも現れてたかな、と。でも思うのは、私が2020年の年度主題聖句・ホセア書10章12節「恵みの業をもたらす種を蒔け 愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて 恵みの雨を注いでくださるように」(新共同訳)に促されて、『信徒の友』掲載教会に封書を送り始めてからの経緯である。同封のポストカードは最初は一般的なのを用いてたが、宛先の教会の紹介文/祈りの課題を見て、手紙の文面を都度イチから書き起こすのは非常に骨が折れたし、買い足していったポストカードブックに、写真と聖句を合わせたカードもあったので、私もカード自作してみるか?という気になったのである。だから短期的に見れば、私は外面いいだけの人になっていたろうが、その後アドヴェント期間に韮崎教会で聖句ポストカードの販売もして、大変喜ばれた。まぁ自画自賛だが、コリントの信徒への手紙 二 9章6節の「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」(新共同訳)という御言葉通りだったと思う。ヨハネの福音書4章35〜38節にも〈イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」〉[新改訳第三版]とあるし。まぁでも少数の人が苦労し、他の教会員は消費者よろしく口開けて待ってるって構図はもう勘弁してもらいたい。ほんと死んじゃう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今に至ってはオルガンコンサートのチラシまで…!

2023年04月26日 16時13分24秒 | 風景にあわせて
導入に異議を唱えたオルガンの奉献に祈り当番を為す
(とど)

2014年8月7日 作歌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教会で長老に選任されぬために。

2023年04月23日 04時02分55秒 | 持病に寄せて
あと何回繰り返したらこんな事 総会ごとの障害者アピール
(とど)

2023年4月16日 作歌。

*上句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジで響き過ぎちゃうんだよなぁ…

2023年04月19日 13時33分16秒 | 言葉に寄せて
「聖句のみ」で来た代償の影響力 やり直せない所まで来た
(とど)

※ ヘブライ人への手紙4章12節

2023年4月10日 作歌。
*下句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一首鑑賞(95):コロナ禍、ウィズコロナの教会バザー

2023年04月15日 09時06分59秒 | 一首鑑賞
コロナ禍の教会バザー開店の祈りうるわし助っ人も入り
中村笄子『信徒の友』2021年2月号


 コロナ禍に入ってから、世間の様々な社会活動・経済活動と同じように教会の活動も大きく制限された。礼拝でさえ、讃美歌や使徒信条・主の祈りは黙唱、交読詩編は式次第からも省かれ、礼拝時間も大幅に短縮という状況であったのだから、当然イベントや食事会は長らく中止であった。N教会では今年のイースターも愛餐会・祝会は見合わされたが、岡山の知人の教会では久しぶりに愛餐会が持たれるということでその方はケーキを焼くのに張り切っていらした。
 そのように致し方なく中止されてきた活動の一つが、教会バザーである。『信徒の友』読者文芸 短歌欄を追っていると、コロナ禍のバザーの悲喜交々が描かれた歌が登場し興味をそそられる。

  押し入れにあみくま十五もたまってるコロナ禍にバザーいつ開けるやら /森純江『信徒の友』2020年12月号
  私はステイあみくまは北の教会へ飛んでゆくなりバザーが待ってる /森純江『信徒の友』2021年3月号

 寝耳に水のようなコロナウイルス感染症の拡大で、コツコツとバザーのために編んできたあみくまが押し入れに溜まっている侘しさ。しかし、その歌が『信徒の友』に掲載されたからなのか、北日本の教会から「ぜひバザーに寄贈してほしい」とお声がかかったのだろう、神奈川の作者が喜び勇んであみくまを送り出す様子が三ヶ月後の『信徒の友』に掲載されている。
 バザーの開催などはその土地の人口の多寡やコロナの感染状況によって判断される側面があるから、かたやまだ開催できていない教会があり、他の場所では少しずつ始めたという教会が出てくるのも自然なことである。

  純益は日本の教会へ献金すやっと再開クラフト・セール /バーガー久子(アメリカ)『信徒の友』2022年12月号

  礼拝の後にときどき開かれる「桜教会いつでもバザー」 /冨樫由美子「ミニバザー」(「短歌人」2023年3月号)
  大規模なバザーのできぬ時世にて会員のみの小さきバザー
  散歩するときに便利なポシェットを三百円にて入手したりき
  たくさんの本ならべられ小春日のバザーに心浮きたつてゐる

 わがN教会でも、2022年は秋に有志によるケーキ販売があり、アドヴェント期間には礼拝前後のミニバザーなどを行なった。

  会堂前「今年もバザーありますか? 楽しみなの」と立ち止まる人 /森純江『信徒の友』2023年2月号

 先のあみくまの森氏の教会も、色々な難局を乗り越えて2022年度にはバザーが開催されたようである。教会員も待ち兼ねていたバザーを、地域の方々も楽しみにしていたというのは、何と嬉しいことであろうか。N教会でも、2023年3月の臨時長老会で、バザーや愛餐会・食事会などについては、コロナ等の状況を見ながら適宜行うという方針が立てられた。
 ルカによる福音書5章37〜39節に「また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」 というイエスの御言葉がある。新しい酒は、これからさらに発酵していくものである。バザーは、団欒や収益だけが目的ではないだろう。教会員と地域の方々の交流の場であり、また献げる場でもあるのだ。従来通りのやり方でできぬなら開催しないという、0か1かの発想でなく、祈りつつ御心を問うて進むことが今必要なのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に虚しかったんだ…

2023年04月14日 19時03分01秒 | 思い出に寄せて
口惜しややがて遺らぬものばかり 高校の新聞部時代の嘆き
(とど)

2023年4月2日 作歌。

*上句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(収入無いっちゅーに!)(※当時は)

2023年04月08日 15時05分16秒 | 風景にあわせて
唐突に「お願いします」と渡された「いのちの電話」への寄付願い
(とど)

2023年2月12日 作歌。

(*現在の所属教会へ転入会をしたクリスマス礼拝後の祝会の席で)

※ 上句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこが一番時間かかるところで、かつ対価の払われぬところ。

2023年04月07日 05時45分55秒 | その他
表から見えないものがきっとあるデザインしらみ潰しに見るとか
(とど)

2023年1月22日 作歌。

*上句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新暦ならその頃か…?

2023年04月03日 16時50分47秒 | 人[その作品]に寄せて
西行が教授を呼んだかもしれず桜の花の散りゆく頃に
(とど)

R.I.P. 坂本龍一さん

2023年4月3日 作歌。
*下句はお題
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠火事。

2023年04月01日 15時07分10秒 | 気分・体調にあわせて
遠火事や好いと表裏の僻みさえ
(とど)

2022年3月9日 作句。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする