水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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初音

2006年02月26日 23時28分01秒 | 言葉に寄せて
このところ雨がちだし、平地にある我が家の周りではおいそれと耳にするわけではないが、山間ではそろそろ「初音(はつね)」が聴かれる頃ではないだろうか。
普通「初音」と言えば、今年初めて聴くうぐいすの鳴き声のことである。お抹茶をいただいた後にお道具を拝見して、亭主の口から「初音」の銘が告げられるのはちょうど今時分だろう。
ただ季節の景色を写し取った銘ならば、お茶を含んで満足した気分にほのぼのとした情緒を添えるくらいだが、「初音」という言葉は発せられた瞬間、しんとしていた茶室に凛とした韻律を生じさせる。使い尽くされ至極ありふれた銘のようでありながら、手垢にまみれてしまうことなく、毎年茶室に新鮮な風を送り込んでくれる不思議な力を内に秘めている。
だがこの銘の本当の面白さは、茶花や他の道具の銘との取り合わせで異なる季節感を演出できることではないか。
「梅に鶯」の花札の例を待つまでもなく、今は蝋梅を茶花として活けたり、「窓の梅」を茶杓の銘に選んだりして、うぐいすの鳴き声の余韻に耳を澄まそうとする時季である。しかし、藤や卯の花が茶室や道具を彩るようになると、季節は初夏、声の主はほととぎすである。
取り合わせの妙を楽しみながら季節を感じ取る趣向は、繊細な日本文化ならではかもしれないが、同時に極めて音楽的なセンスだと私は思う。
その好例として真っ先に頭に浮かぶのは、荒井由実の「生まれた街で」である。

   いつものあいさつなら どうぞしないで
   言葉にしたくないよ 今朝の天気は

   街角に立ち止まり
   風を見送ったとき
   季節が わかったよ

歌詞の中には、天候も季節も限定する言葉は見受けられない。けれど、曲のそこかしこから、爽やかな空気が満ち満ちている様が、匂い立つばかりに伝わってくる。
おそらく季節の変わり目だろう。しかし、冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬、どの季節をとってもしっくりくるから驚きである。
聴く人が、その日見た風景、肌に受けた風、陽射しの色合いによって、歌われている情景が幾重にも様変わりする。
これがライヴ演奏なら尚更、楽器編成、アレンジ、ソロ・パートのフレージング等によって、聴くたびに全く違う臨場感をもって、多様な季節の表情を見せてくれるのだろう。
人生においてそのような名曲に一つでも多く出逢えたとしたら、こんな嬉しいことはない。
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2月を感じる曲

2006年02月16日 19時48分06秒 | 季節にあわせて
2月に入ってからは、身を切るような冷たい風が吹いたり、打って変わって暖かな陽気に恵まれたり。
昨日から今日にかけては久方ぶりに長雨が降り続いています。確かに暦の上でも、雪が雨となり、雪や氷が解けて水となるという“雨水”も、三日後の19日と迫っていますものね。こうして一歩進んでは後ずさりしながら、少しずつ春に向っていくんでしょうね。
寒さの中にもちらほらと春の兆しが感じられ始めるこの時季には、リッキー・リー・ジョーンズの『The Evening of My Best Day』など、いかがでしょうか?
ジャズやフォーク、ブルースのフィーリングがそこはかとなく漂うゆるいグルーヴに、粘りあるヴォーカルが軽やかに踊っています。甘やかさと渋みが綯い交ぜとなったその表情は、冬の景色に春の気配が交錯する今の季節に聴くのにちょうどいい感じです。
地面の下で冬眠中の動物達が、薄ら目で「う~~~ん」と伸びをしている様子もちょっぴり思い浮かびます。全くの私見ですが(笑)。
コメント (2)
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移動時間の楽しみ

2006年02月09日 20時30分58秒 | 写真・背景画像
プライヴェート・タイムが限られている社会人の方の中には、移動時間を自分の好きなことを楽しむために充てている人も少なくないのではないでしょうか。
私は最近ほとんど車の運転をしなくなったので、ドライヴがてら音楽を聴く機会もめっきり減ってしまいました。またiPodやMDウォークマンは持っておらず、かろうじて持っているCDウォークマンもここ2、3年お蔵入りしていて、充電池がかなり不安な状態。結局、電車通勤中に音楽を楽しむということからも長らく縁遠くなってしまって。
というわけで、最近はもっぱら移動の間は活字に浸る時間になっています。
仕事帰りの電車の待ち時間と車中は、以前このエントリーで触れたものの四分の一位読んで頓挫していた、池澤夏樹の『ハワイイ紀行』を読み進めています。でも実は後がつかえていて、今年になって買った単行本と雑誌が、それぞれ10冊以上部屋の片隅に積まれています(苦笑)。
でも、今は何といっても、「携帯でブログ」です。こまめにチェックしたいお気に入りブログが沢山あるといえど、帰宅後の短い時間ずっとPC前に貼り付いているわけにもいかず、やむにやまれず始めた便法だったのですが、これが案外いい方策だったみたいで。
パソコンの大きな画面では、ブログが表示された瞬間にざっと全体を眺めることが可能なので、「この記事は(自分がほしい情報と)違うかな…」と感じると、ものぐさな私はもう他のサイトに飛んでしまうということをよくやるのですが、携帯ではそうはいきません。お気に入りに登録されたブログをランダムに開き、新しい記事がアップされていれば、小さい画面をスクロールして端から端まで読むという、まめまめしい操作を要求されます。このおかげで、あまりにも頻繁に更新されるブログや、自分が疎い方面についての興味深い知識が盛り込まれた圧倒的な情報量のブログも、読みっぱぐれることがなくなってきました。
さて今回は、そんな私のような携帯ヘヴィー・ユーザー様にご紹介したい携帯用フラッシュ待受のサイトです。私のイチオシは、<風景待受け【海辺】>。時間帯によって風景が切り替わり(写真)、飽きのこないスグレモノです。
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逆点前

2006年02月02日 18時28分17秒 | 季節にあわせて
今日は二月最初のお茶のお稽古日で、一年ぶりに逆点前をやりました。
厳寒の頃のお点前ということで、通常の炉とは対角線上に反対の位置に大炉が開かれます。
それだけでなく、所作のすべてが左右逆になります。実は私、この逆点前が何気なく好きだったりします。と言っても、一年のうちに一ヶ月だけの逆勝手をそらんじているはずがなく、実際は先生のこと細かな指示に手取り足取り従っているだけなのですが(苦笑)。
一尺八寸の炉縁は通常のそれより12cmほど広く、それに伴って所作のところどころでいつもより身体の伸縮を要求されます。
まず、炉の左縁外に一旦は置いた蓋置を、釜蓋を置くために縁内に取り込むのが右手で、身体を左によじります。
また、お茶碗を温めたお湯を右の壁際に置かれた建水に捨てる手が左手で、大きく身体を右によじります。さらに、飲み終わったお茶碗をすすぐために汲んだお湯を建水に捨てるのは右手で、これはたやすいのですが、その後茶筅とおしのために汲んだ水を建水に捨てるのは、また左手。
お稽古中、建水の方に向けて身体をひねったら脇腹から背中にかけてキリリと痛みが走りました。(ん?一年前よりきついかな??)
えてして趣味やスポーツなどには、体の使い方が実は左右アンバランスというものが少なくないのではないでしょうか。……ヴァイオリン、弓道、テニス等々、考え始めると色々ありそうな気がします。
私が逆点前を好きなのは、二月という寒くて身体が縮こまっている時期に、いつもと左右逆に体を使うことで、凝り固まった体をほぐすような作用があるように思えるからです。今日感じた身体からのサインをみても、今の身体の状態を量るいい機会になったようです。
しかし、お茶のテキストなどを見てもそんなことは書かれておらず、本当のところどうなのかは分かりません。ただ私が勝手に思っているだけです。
…ま、話が難しい方に迷宮入りしないうちにやめておきます(苦笑)。とりあえず、ハワイで晴れてスキューバ・デビューを、と考えている私としては、もっと身体を柔軟にしておかないとヤバイぞ、と思ったのでした(爆)。
そんな私の今のBGMは、ブライアン・イーノの『Another Green World』です。お茶だけにグリーンてなわけで…、うーーん、ちょっと苦しいか(笑)。
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