水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2017年3月分まとめ

2017年03月31日 06時28分09秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆3月5日
出エジプト32:1〜4。山からずっと下りて来ぬモーセに焦れ「我々に先立って進む神々を造ってください」と懇願した民へのアロンの応答に驚愕。彼自身が金の耳輪を集めることを決め、鑿を取り、牛の鋳造を造り「これこそ神だ」と宣言。民の不安にここまでずれてしまうとは

◆3月7日
出エジプト35:21「心動かされ、進んで心からする者は皆…主への献納物を携えて来た」。教会だけでなく献金を求められることがある。FEBC、日本聖書協会、出身大学、福祉団体など。限られた収入の中、全てにいい顔はできない。祈りを以ってできることをしようと思う

◆3月9日
ルカ5:2〜。網を洗って片付け中だったのに舟に乗り込んだ主。「網を降ろし、漁をしなさい」と言われてシモンらは面倒だったろう。それが思わぬ大漁に「わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」とシモン。内心イエスを厄介者に感じていたのを恥じての告白か

◆3月10日
ルカ6:6〜11。安息日、律法学者やファリサイ派の人々は、会堂で右手が萎えた人を見かけたイエスが安息日を守るか注目していた。彼らの企みを見抜いた主は「手を伸ばしなさい」と手の萎えた人に仰った。主の言葉は律法の範囲に留まりつつ病を癒すものだった。ハレルヤ!

◆3月11日
出エジプト39:8〜14。アロンの祭服の胸当てに付けられた12種の宝石はイスラエルの12人の子らを表し、各宝石に彼ら一人一人の名が彫りつけられたという。これは、神様がご自分の民の一人一人を、それぞれ個性的で貴重な宝石のようにご覧になっている象徴ではないか

◆3月14日
息子を亡くした寡婦を憐れむ主。NIVルカ7:13はhis heart went out to herと表現。長血の女に触れられ“power has gone out from me”と主(同ルカ8:46)。思いを寄せるにも癒すにも自らより出て来て下さる主

◆3月22日
新改訳レビ14:6〜7。湧き水の上で屠った小鳥の血の中に、もう一羽の生きている小鳥と所定の植物を浸し、ツァラアトから浄められる者にそれを振りかけた上で、生きた小鳥を野に放す…残忍だ。でも私が生かされたのは屠られたイエスがいらしたから。その重みを想起させる

◆3月23日
ルカ15章。貰った財産を使い尽くして帰宅した息子のために宴を催した父に、真面目な兄は食ってかかり、弟のことを「あなたのあの息子」呼ばわりする(30節)。そんな兄に父は「お前のあの弟は…」と説く。父なる神は、私達が切り捨てた関係の間に入って仲立ちして下さる

◆3月24日
ルカ16:9「不正にまみれた富で友達を作りなさい」は長いこと違和感があったが、New Living Translation〈Use your worldly resources to benefit others and make friends〉で納得

◆3月30日
新改訳レビ24:16「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない」。旧約の時代はこうだったのだ。けれどイエスは「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません」と(マタイ12:31)。どれ程赦されて生きていることか!
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根掘り葉掘り。

2017年03月29日 17時08分03秒 | 人[その作品]に寄せて
「どんな本?」「齢は?」「男か?」「全盲か?」四囲が興味を持つプライバシー
(とど)

2016年2月17日 作歌。
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朦朧としながら。

2017年03月28日 17時05分10秒 | 持病に寄せて
幻聴の顕ちては消える速さもて検索かける午睡のiPhone
(とど)

2015年6月30日 作歌。
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一首鑑賞(42):松村由利子「もはや発芽させることなき硬き土」

2017年03月26日 16時29分38秒 | 一首鑑賞
もはや発芽させることなき硬き土おやすみおやすみ私のからだ
松村由利子『耳ふたひら』


 「卵」や「種子」が歌集を通じて散見されるモチーフである。ある時は、東京から移り住んだ石垣島の豊かな自然に向ける眼差しによって、またある時は、歳と共に生命を宿すことから遠ざかっていく自らの身体に対する感傷をもって、それは様々な角度から描かれる。詠み口より、自身の身体の変調の具体的描出が思慮深く避けられていることが見て取れるので、ここでも究明に奔走するのは控えたい。ただ「エストロゲン」の語(卵胞ホルモン)が現れる歌にドキリとし、女性特有の病が匂わされていることを感じ取ったのを記すだけに留めておく。
 私が乳がんの告知をされたのは2011年12月で、年が明ければ40歳という人生の折り返し点だった。一週間前の検査の結果を聞きに行った病院の待合で、予定時間よりかなり待たされた。診察室に入ると、癌を告げる前だったか後だったか記憶が定かではないが、医師は私に結婚しているかどうか、子供がいるかどうか訊いたように思う。検査結果についてはやはりショックではあったが、何とか平静を保とうと努めた。受診後に会計を待っていたところ、その医師が暗い面持ちで通りかかった。私は会釈したが、医師には見えていなかったか素通りだった。手術は1月末に行われ、さらに詳しい病理検査の結果、抗癌剤と放射線治療と五年のホルモン療法と、その後の治療計画が組まれた。
 先頃、術後五年目の検査を無事パスし、晴れて「放免」となるのかと思いきや、抗ホルモン剤だけあと五年は飲みましょう、三ヶ月に一回受診して下さい、と言われた時、私はがっくりと膝の力が抜けるのを感じた。お腹への注射と薬でストップさせていた生理を、抗エストロゲン剤で閉じ込めたまま閉経へと持っていく算段なのだと、言われずとも理解できた。

  重い蓋がふっと外れることがある三つくらいの子ども見るとき
  もっともっと産みたかったよ一年中花咲く島をずんずん歩く


 松村はある本のあとがきで「短歌をつくりはじめたきっかけは、息子の誕生だった。日に日に変わってゆく赤ん坊の姿をとどめておきたくて、スナップ写真を撮るように歌にした」と述べている。そのような松村にしてみれば、ある時点で子どもを産む希望を絶たれたことは身を切られるような痛みを伴うものだったのかもしれない。それでも気持ちに折り合いをつけ、穏やかに暮れていこうとする心を波立たせる人の存在に遣る瀬ない思いを抱く。
 マタイによる福音書19章12節に「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」というイエスの御言葉がある。子どもを授かることに頓着せずのうのうと独身生活を送ってきた私には、乳がん罹患は耐えられないほどの災厄とは言えない。こうしてわりと大らかに受け止めているのも、傍から見るとある種の強さを感じさせずにはいられないようだ。そこから主を証しできるのであれば、これもまた「天の配剤」と私は思う。
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五十余の。

2017年03月06日 19時58分22秒 | 人[その作品]に寄せて
投稿の絵葉書すべて取り置くと師の一筆を思うに苦(くる)し
(とど)

2013年12月29日 作歌、2016年12月下旬 改作。
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麗姿。

2017年03月05日 15時28分01秒 | 人[その作品]に寄せて
勇みひらく羽生結弦の両腕に立ちのぼる雪風巻(ゆきしまき)のまぼろし
(とど)

2015年12月18日 作歌。
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肌で視る、ということなのか?

2017年03月02日 09時49分07秒 | 人[その作品]に寄せて
初日の出拝む掌から冷えて富士の紅さの視えたと君は
(とど)

2015年1月3日 作歌。
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弱視の方のための。

2017年03月01日 18時37分16秒 | 人[その作品]に寄せて
再びの拝受に気づく視えづらい人いるゆえの太いゴシック
(とど)

2014年10月14日 作歌。
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