シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

憲法・ことば・短歌

2017年06月01日 | 日記

第9回クロストーク短歌

―「憲法・ことば・短歌」―

 

 今回はゲストに「未来」「かばん」所属の歌人であり、憲法学者でもある中沢直人さんと、

『キリンの子』で現代歌人協会賞を受賞したばかりの鳥居さんをお迎えします。

 憲法について、今もっと知りたいと思っている方は多いと思います。

 また、短歌と「表現の自由」の関わりについて、考えたい方も多いのではないでしょうか。

 質疑応答のコーナーも設けますので、ぜひ御参加ください。

 

 

日 時  7月8日(土) 午後1時45分~4時45分 (受付 1時20分~)

 

プログラム

      講演「憲法のことば、短歌のことば-権力を縛る、権力にあらがう-」

        中沢 直人 


     鼎談「憲法・ことば・短歌」

        中沢 直人 + 鳥居 + 吉川 宏志

 

場 所  難波市民学習センター 講堂(tel 06-6643-7010)

      大阪市浪速区湊町1丁目4番1号 OCATビル4階

      【地下鉄】御堂筋線・四つ橋線・千日前線「なんば」駅下車
      【JR】「JR難波」駅上 【近鉄・阪神】「大阪難波」駅下車

      申込が多数の場合は、机を配置することができません。椅子のみになります。

      前もって御了承ください。

 

会 費  2,000円 (学生1,500円)

 

申込方法 crosstalknokai●gmail.com  までメールでお申し込みください。

      ●は@に置き換えてください。

  件名「クロストーク短歌の申込」

  本文に①お名前 ②連絡できる電話番号 を記入ください。 

  折り返し、仮受付のメールでと振込口座をお知らせします。ご入金を確認後本受付となります。

  一度お預かりした会費は、会の中止の場合を除いて返金はできません。

  代理受講は可能ですので、その場合は代理の方のお名前をお知らせください。

 

プロフィール

中沢直人

「未来」「かばん」所属。2002年より「未来」編集委員。

 成蹊大学法学部教授(専門は英米法、憲法)。

 2003年に作品「極圏の光」で第14回歌壇賞、2009年の第1歌集『極圏の光』で第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞。

 

鳥居

 2016年の第1歌集『キリンの子』で、第61回現代歌人協会賞を受賞。

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篠弘『東京人』の連作「声明をあぐ」

2017年05月22日 | 日記

2009年に、短歌新聞に書いた短い時評。8年も前になるのか。

この年に出た篠弘の歌集『東京人』について書いている。

こういった短歌作品が残っているために、現在が照射されるわけで、やはり貴重なことだと思う。


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 篠弘の最新歌集『東京人』の「声明をあぐ」という連作は、重要な問題作であろう。平成十八年、日本ペンクラブは「共謀罪」に反対する声明を出した。篠は、その声明文をまとめる仕事に関わっていたらしい(「共謀罪」は現在、廃案になっている)。


・テロ防ぐためと覚しき共謀罪発端からを目つむりて聞く


 「共謀罪」は犯罪計画に加わるだけで処罰されるというもの。条文に曖昧さがあり、運用によっては、かつての治安維持法のような危険をはらむと言われている。ただ、地下鉄サリン事件のようなテロが現実に起きている以上、必要性を認める意見もある。

 団体の中にもさまざまな考え方の人がいるため、皆が納得するような声明文をつくるのは非常に難しい。多様な意見を反映することで、最初の純粋さは少しずつ変質していくわけである。


・提案に補足がありてみづみづしかる截り口は見えなくなりつ

・代案を諮らむとするひとときを頻脈ながくそよぎてをりぬ

・方針が出されしのちに蒸しかへす若きひとりを遮らずゐる


 こうした歌には、政治について論議する難しさや緊迫感がくっきりとあらわれていて、印象的であった。一首目の「みづみづしかる截り口」は象徴的な表現だが、ストレートな主張が失われていく無念さがよくあらわれている。二首目は、「頻脈」という身体表現が、会議中のはりつめた空気をリアルに伝えている。


・党員をかかへし編集部の(おさ)として事典の偏向を怖れし日あり


 こうした回想を挟んでいるのも誠実であろう。べつに共産党を否定するのではないが、その主張に引きずられると、事典の信頼性が低くなってしまう。バランスを取らなければならない立場というものはあり、一方向へどんどん突き進むより、もっと苦しいことがある。その心理が短歌に詠まれることは少ない。その確執や揺らぎがとらえられているところに、篠の歌の価値があると私は感じている。


・声明を出したるのちにこれ以上政治への参与を(いな)む人あり


 政治に対して文学はどう関わっていくべきか。篠はおそらく「参与」すべきという意見だろうが、一定の距離をもつべきだと考える人もいる。この一首で、作者は何も感想を述べていないが、意志を一つにまとめることのできない、深い孤独感が滲み出しているようである。


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小紋潤『蜜の大地』書評

2017年04月07日 | 日記

小紋潤さんの第一歌集『蜜の大地』が、前川佐美雄賞を受賞したとのこと。とても嬉しいことである。

以前、「短歌往来」に書いた書評を、再掲しておきたい。

興味をもたれた方は、ぜひ読んでみてください。

 

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 一九七〇年代までだろうか。観念を自然と結びつけ、張りつめた韻律で歌おうとする志向は、確かに存在していたように思う。私が短歌を始めた八〇年代には、都市生活の日常を、軽やかなリズムで歌う方向に、潮流が急速に変化していた。ただ、それ以前の空気も、歌壇には残っていて、小紋潤が編集していた「現代短歌 雁」には特に濃厚だった。『蜜の大地』を読むと、当時の熱さが懐かしく蘇ってくる。

 若い世代にはその雰囲気がうまく伝わらないかもしれない。たとえば冒頭二首目、


   劫初には優しき風としるべなき明日のために青きシャツ着る


など、なかなか難解である。世界の初めには優しい風が吹いていたはずだ。しかし今は世界が複雑になり、明日のことも分からない。けれども自分は、風のように青いシャツを着て生きよう。無理やり意訳すれば、こんな感じになるだろうか。

 思索的だが、風(自然)に憧れる思いが一方にある。「優しき風」の「と」は微妙な置き方なのだが、そんな助詞の響きによって、日常を超える文体を生み出そうとしていた。前衛短歌の名残りであるが、今読んでも新鮮な躍動感がある。

 初めにも書いたように、こうした歌い方をする歌人はだんだん少なくなっていく。しかし小紋潤はそれを守り続けた感が強い。生活の具体などをあまり歌にしようとせず、キリスト教につながる思想を核にかかえて歌いつづけた。


   殉教の地なるふるさとのそのかみの一族(うから)ら草木のごとき団居(まどゐ)


 小紋は長崎の出身。殉教者の末裔という意識があったのだろう。だが、激しい刑死を思うのではない。「草木」のように静かに犠牲を受け入れようとする。そんな孤独感が、彼の歌には漂っている。


   ノアのこと我は知らざりきさらぎの雨水を待ちてゐるさくらさう


 ノアのように生き残ることを望まない。むしろ、雨の地上で滅びまでの時間を過ごす。「人を憎むその前みづからを憎むかな寂しきものか一人の我は」という歌もその近くにある。争うよりも孤独を選ぶのである。


   肩車よろこぶ声は父よりも高きところに麒麟を仰ぐ


など、幼い子を詠んだ歌が、歌集の中でいきいきとした明るさをもつが、


   一人とは孤独ならねど地図の上にミシシッピーのかなしき蛇行


という寂寥感のある歌が、その背後に息づいている。ただ、ミシシッピーへの飛躍がおもしろい。一人であるからこそ、大きなものに向かっていける。孤をよろこぶ気概も、小紋の歌には確かに存在している。


   寄り添ひて流るる雲と思へるに秋の時雨の過ぎてしづけし

   ゆふぐれは今日も来たりて一本の煙草のやうな我であるのか

   雨となる気配はみなみより来たりわがふるさとは雨のみなもと


 悠然としていて、伸びやか。そしてどこかに人を恋う思いが滲んでいる。そこに、小紋の歌の美質が最も表れているように私は感じた。ベテランであり、編集者として短歌を支えてきた人の、ようやく誕生した第一歌集である。

 

 

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講演会のお知らせ

2017年04月06日 | 日記

下記のような講演会があります。関心のある方はおいでください。

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講演「平和と戦争のはざまで歌う」


戦後71年を経たいま、平和と戦争とのはざまと言われる危機の時代、私たち歌人・短歌愛好者は何を詠い、また何ができるのでしょうか。

2017年の新日本歌人協会関西近県集会は、吉川宏志さん(塔短歌会主宰)に記念講演をお願いしました。

短歌愛好者はどなたでもご参加いただけます。皆さんのご来聴をお待ちしています。

 

日時 2017年5月14日(日)10:00~12:00
会場 ピアザ淡海(滋賀県立県民交流センター)
参加費 1000円


参加希望者はメールで下記へ申し込んで下さい。

yoshibue2017@gmail.com

募集人員は80人、定員になり次第締め切ります。

 

吉川宏志 プロフィール
1 969年宮崎県生まれ。歌集に『青蝉』、『鳥の見しもの』など7歌集。

評論集に『読みと他者』、『時代の危機と向き合う短歌』など。
現代歌人協会賞、若山牧水賞など多数。京都新聞短歌欄選者。

【「中日新聞」2 0 1 5 年9 月11日夕刊より転載】
・・・・私は今、時間があればデモに参加するようにしている。

一人一人は弱小な存在だが、デモに行くと、決して無力でないことに気づかされる。

肉声を出すことによって政治の力に押し流されているだけでない自分を確かめることができるのだ。
短歌を作ることもそれと同じではないか。
一首一首はささやかだけれど、自分の言葉を発することが大切なのである。自分の視点を持ち続けたい。

【「平和万葉集」巻四より】
耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花

はじめから沖縄は沖縄のものなるを順わせ従わせ殉わせ来ぬ

吉川宏志

主催 新日本歌人協会関西近県集会実行委員会

吉川宏志

■鉄道をご利用の場合
○JR膳所駅から徒歩12分
○京阪電車石場駅から徒歩5分
■JR大津駅からはタクシーで数分
○バスは8:55と9:35発です
■車をご利用の場合
○名神大津インターから7分
●ピアザ淡海地下駐車場またはびわ湖ホール駐車場をご利用下さい
※駐車場は有料となります。

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「歌を読むという行為」―橋本喜典『行きて帰る』について―

2017年03月30日 | 日記

橋本喜典さんの歌集『行きて帰る』(短歌研究社)が、斎藤茂吉賞と迢空賞をダブル受賞したとのことで、とても嬉しい。

以下は、「新月」1月号に寄稿した文章。去年の11月に書いたもの。

再録しておきたい。

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歌を読むという行為


 短歌を読むことは、他の本を読む行為とは大きく異なっている。歌集一冊は約四〇〇首として、原稿用紙三十枚程度の文字数にすぎない。新聞などだったら、斜め読みであっという間に読み終わってしまう分量だ。しかし、歌集を一冊読むのは結構大変で、身体も疲れる感じがする。当たり前に行っているので、あまり疑問に思わないが、とても不思議なことではないか。

 

   地に落ちて真紅の椿(おも)伏すと天向くとあり面伏す多し

 

 橋本喜典『行きて帰る』を最近読み、とても良かったので、この文章ではすべてそこから引用する。これは何でもない情景を読んだ歌。しかし、「ちにおちて、しんくのつばき/おもふすと、てんむくとあり/おもふすおおし」と区切りながら読んでいると、椿の赤がまざまざと目に浮かんでくる。短歌の読者は、一行に書かれている文字に、リズムを与えながら読む。あるいは心の中で声にしながら読んでゆく。つまり、記号でしかなかった文字を、自分の身体の中で生命のあるものに蘇らせるわけである。

 新聞の速読のときは、目だけで読み、この身体化を行わない。だから、さらさらと〈意味〉だけを読むことができる。

 短歌の場合は、この新聞的な〈意味〉を読むわけではない。身体に響いてくる、リズム化された感情を読むのである。このとき読者は、作者の身体と感応し合っている。だから、赤い椿を見たときの作者の思いが、なまなまと伝わってくるのである。

 また、短歌を読むときは、書かれていないものを感じ取る力がとても重要になる。

 

   ニッケル貨拾ひてくれて手の内に拭ひてわれの手の平に載す

 

 この歌では、ニッケル貨(五十円玉らしい)を拾ってくれた誰かのことはまったく描かれていない。ただ、なんとなく見ず知らずの人のような気がする。そんな他人が、わざわざ手の内で拭ってくれたから、深い感銘を受けて歌に詠んだのではないか。

 おそらく、もう若くはなく、人生経験を重ねてきた人のように思われる。歌からは省略されているけれど、非常に丁寧なその人の姿が髣髴としてくる。男性か女性か。それは読者の想像に任されている――私は女性ではないかと感じるけれども。

 このように、短歌の解釈は、すべて明確にできるのではなく、どちらでも読める部分は残ってゆく。

 

   蒼波のわだつみの声に杭を打つ「だまれ」はかつての軍人言葉

 

 三枝昻之が評価し、有名になった歌である。下の句は分かりやすいが、上の句を解釈しようとすると、意外に難しい。すぐに連想するのは、太平洋戦争で戦死した学徒兵の遺書を集めた『きけ わだつみのこえ』である。戦死者の思いに「杭を打つ」、つまり二度と戦争を起こしてほしくないという思いを叩き潰すような、最近の政治の動きを暗示していると読むことができる。「だまれ」という軍人の威嚇する声が、いま再び蘇ろうとしているのではないか。そんな作者の危機意識も感じられるだろう。

 「杭を打つ」からは、辺野古の基地を造るために埋め立てられる海のイメージも浮かぶように思う。この一首は重層的であり、さまざまに読むことができる。軍国主義批判という大きな方向性は明らかだが、そこから先は、読みの答えが一つに決まらない。

 しかし、それでいいのである。答えが決まる、とは、逆に言えばそこで終わってしまうということだ。答えが出ないからこそ、歌の余韻はいつまでも続くのである。

 

   わが持てる聖書の文字の小さくてイエスのこゑのおぼろなりけ

 

 これも心に沁みる一首である。年老いて視力が弱くなり、聖書の小さな文字が読みにくくなったのだろう。だが「イエスのこゑのおぼろなりけり」という表現には、それ以上の味わいがある。若いころ読んだときには、情熱もあって、強く響いていたイエスの言葉が、今はぼんやりとしてしまった。そんなふうに読める。あるいは、年を重ねても、ついにイエスの教えに到達できない悲しみを歌っていると読むこともできよう。一つの答えがないから、私たちはいつまでもこの歌について考え続けることができる。

 

   大夕焼ひろがりひろがりかの辺りいづこの海に映りてゐるか

 

 この歌には、はっとさせられた。夕焼けの海を私は何度も見たことがあるはずだが、遠くの海に夕焼けが映っている様子を想像したことは無かった。しかし、この歌を読んだことにより、次に夕焼けを見たときには、それが映っている海を思うことになるだろう。リズムがとても伸びやかで、美しい一首である。

 このように、短歌を読んでいると、自分が持っていなかった他者の発想や感性に出遭うことがある。それを〈他者性〉と呼ぶことにするが、その短歌を知ることにより、〈他者性〉は自分の中に入り込んでくる。つまり、次に海の夕焼けを見たときは、この歌を想起することになるだろう。そのような形で、他者の言葉は、自分のものになっていくのである。

 短歌を読む、という行為はすなわち、他者を自分と融合させることだと分かってくる。他者のリズムを自分の身体の中で響かせる。省略された他者の言葉を自分で補う。それも、原理的には同じことなのである。他者と自分をつなぐことによって、そのあわいに新しいものを創出する。それが読むことの本質なのだ。

 

   三時間で妻の読みたる一冊をよぼよぼと十日を経て読み了へぬ

 

 思わず笑ってしまうが、読むという行為の根源に触れている一首であろう。読むとは、他者の時間に入っていって、ともに時間を過ごすことだと言い換えることができる。妻の三時間と、自分の十時間。別々の時間であるけれど、同じ時間を生きたともいえる。他者と自己は、このように言葉を通じて時間を共有するのである。

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