赦す人 | |
大崎善生 | |
新潮社 |
大崎善生『赦す人』を読む。
大SM作家団鬼六の評伝ノンフィクションである。大崎さん独特の情緒的な、対象にどっぷりと肩入れした文体が好きな人にはたまらない。『聖の青春』も『将棋の子』もそうだったが、大崎さんのノンフィクションは面白すぎて他のことがまったく手につかなくなってしまうという、こまったところがある。
この本もそうだ。おかげで、昨日から極地探検における天測の例を調べようと思っていたのに、机の上に山積みになった資料が全然動かなかった。タイトルは『赦す人』のくせに、全然赦してくれないのだ。
相場、エロ、酒、小説、将棋と生涯を遊びつくし、稼いでは散財した変態作家・鬼六の奔放な人間像に引き込まれるのはもちろんだが、脇役陣もたまらない。たこ八郎に真剣師小池重明、黒沢明の敏腕プロデューサーとして活躍し、最後は自宅アパート野垂れ死にに近い形で発見された本木荘二郎など、破滅していった人間に、著者の深い愛情が注がれている。
昭和一桁世代に対する哀惜も本書の基調を成している。前半に「一期は夢よ、ただ狂え」という言葉が時折出てくるが、本当に狂うことができた昭和一桁世代に対する、それは共感の言葉である。狂うことができた人間こそ人間なのだという思いが根底にある。
こんな風に人間を書けるのは、大崎さんに人間の弱さをつつみこむ優しさがあるからだ。この本の中で書いているが、若い頃に作家を目指して将棋にのめり込み、人生を持ち崩しかけた経験が本人にあるためだろう。
赦す人というのはもちろん団鬼六のことだが、大崎善生本人が赦す人になっている。そんな本である。