ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

今回の旅のなが~い報告

2018年06月04日 04時27分40秒 | 探検・冒険
 シオラパルクの隣、カナックで天候不順でフライトが延期となり、毎年恒例の帰国前の足止めを食らっている。天候不順といっても他国なら全然飛べる気象なのだが、エアグリーンランドは独占企業で乗客は他に選択肢がないため、少し曇ったり風が吹いたりしただけで平気で延期する。今日は日曜。明日飛べばいいのに、なぜか水曜まで飛ばないという。ということで時間があまってしょうがないので、今回の旅の報告でもすることにする。

 ここ数年、極夜探検と並行して国内で漂泊登山や地図無し登山といった活動を続けてきたが、この一連の行動のなかで浮かび上がってきたのが土地あるいは地図と時間というテーマだった。極夜では闇の見えない世界を手探りで旅をしたが、その際に行動の判断の手助けになったのが過去に蓄積した土地や地形に関する知識だった。土地についての知識があったからこそ自分が今どこにいて、次にどこに行き何をすればいいのか判断することができた。また闇の世界は視覚が制限されることで未来に対しての確かな予測ができなくなる。つまり明日、明後日に自分がどこにいるのかわからなくなっているかもしれないという生存不安を常にかかえているため、将来に対する確かな存在基盤をもつことができない。現在という一点で時間が断ち切られており、未来が予測できないという状況に陥っているわけだ。

 地図無し登山でも同じような感覚を味わった。闇夜と同様、地図がないと現在位置が同定することができないため、山頂まであと何日かかるのか、そもそもどんな山頂が待ち受けているのかするわからない。山という自然の本源が露わとなり、将来に対する巨大な不安となって襲い掛かってくるのだ。

 これ以上書くと、次の作品の核心に触れてしまうことになるのでブログではこれぐらいにしておくが、こうした土地、地図、時間というテーマをもっと深く掘り下げれば、生きることの手応えはどこから得られるのかという実存の秘密、冒険の意味に迫れるんじゃないかという予感があったので、今回はそれをもっと深く掘り下げる旅にすることにしていた。具体的にどうしたかというと、食料をある程度制限して途中で狩りをすることを前提に出発したのである。

 とはいえ、去年の極夜探検とはちがって今年はもう太陽が昇っている時期で明るい。4月に入ればもうすぐに白夜になるので、はっきり言って緊張感は薄かった。極夜と白夜では旅の難度が全然ちがって、極夜が本格的な厳冬期剱岳登山だとすれば、白夜は夏の剱岳ハイキングである。わずか一カ月の間にそれぐらい難度は変わる。去年の極夜探検が予想以上に過酷なものとなったので、今年は兎でも獲りながら明るい白夜の氷原をのんびり旅しようと思っていた。狩りを前提にするといっても氷床を越えてツンドラ地帯に入れば兎がいくらでも獲れる。キツイことはまったくする気はなく、兎の肉をがんがん食べて太って帰るぐらいのつもりだった。

 ところが、今年のグリーンランド北部は積雪量が尋常ではなかった。3月にシオラパルクに到着した時点で連日雪がしんしんと降っており、30~40センチの雪が積もっている。3月は雪が降っても大体、大風で飛ばされるのでこれほど新雪が積もっていることはあまりない。なんか雪が多いなぁ、いやな予感がするなぁと思いつつも、でもまあ白夜だし大丈夫だろうと深く考えないまま出発したが、氷床を越えてツンドラ地帯に入ってからとんでもないことになった。ひどい積雪が橇が埋まってまともに引くことができない。橇のランナー材の高さは20センチほどだが、完全に埋まって横げたで雪をかき分けたブルドーザー状態である。途中から荷物を全部載せて引くことができなり、たまたま北部の乱氷対策として用意していたプラスチックの軽い予備橇に荷物を分散し、この予備橇でまずはラッセルして20分ほど進んで、木橇を取りに戻るという尺取虫方式を延々ととらざるをえなかった。尺取虫方式はシオラパルクの先の氷河登りではいつものことだが、その先の海やツンドラでやったのは初めてだ。当然のことながらラッセルして戻ってまた運ぶわけだから通常の三倍の距離を歩かなければならず、全然進まない。うんざりして荷物を全部載せると、しかし橇はびくともしない。ツンドラ地帯は100キロほどだったが、恐るべきことにこのわずかな距離の突破に16日間もの日数を要した。


横げたまで橇は沈みブルドーザー状態。荷物の量はこれで半分

 ただ、獲物という点ではかなりの収穫があった。雪が多いせいか兎のほうはさっぱり姿を見かけなかったが、途中で二度、麝香牛の一団と遭遇。出発前は麝香牛を獲るつもりはなかったのだが、兎が獲れない以上、背に腹は代えられず、というか麝香牛の姿を見た瞬間についつい欣喜雀躍してしまい、それぞれ一頭ずつありがたく頂戴した。これで出発前には40日分しかなかった私と犬の食料は二カ月以上となり、旅に許された時間が一気に延長され、これまで訪れたことない北の地域に進出することができることとなった。

 だが、海に下りてからも雪の多い状態は続いた。海氷は15~30センチの軟雪に覆われ、ずぶずぶと足が沈んで体力がむしり取られていく。ツンドラで見込みより大幅に時間がかかったこともあり、焦っていた私は必死に北を目指して歩き、さらに肉体が消耗していった。麝香牛の肉が手に入ったといってもぎりぎり二カ月強の食料しかなく、40日目を過ぎたあたりから急速に疲労と空腹に苦しむようになり、一日の割り当てよりも多くの肉を消費しはじめた。とてもではないが食わなきゃやってられないのだ。



アゴヒゲアザラシの巨大な穴

 イヌアフィシュアクから海氷を150キロほど北に進んで、ワシントンランドという大地にたどり着いた。地図を見る限りワシントンランドは沿岸ルートと内陸谷ルートが考えられたが、何かで胃袋を満たしたかった私は迷わず兎がとれる可能性の高い内陸谷ルートを選択した。このワシントンランドはそれまでの無風地帯とは異なり、冬は北風が荒れ狂う地のようで、北極というより砂埃舞う中央アジアの沙漠地帯のような景観が広がっている。景観だけではなく実際に砂埃が飛散しており、融雪で水を作ると鍋の底が砂だらけになるという、そんな地である。この谷には中流部と源頭部の二か所で滝のあるゴルジュが立ちはだかり、大きく迂回しなければならず、一筋縄ではいかなかったが、強風地帯なので雪面が固く、ひさしぶりに軽快に橇が引けるようにはなった。しかし期待していた兎の姿は皆無で、麝香牛もまったく見ない。狼のいなければ馴鹿もおらず、時々、狐の足跡が交錯するぐらいだ。ここで兎肉をある程度調達できればさらに旅の時間は延長され、北進の続行が可能となるので、出発前はカナダに渡ることも夢想していたのだが、現実はまったく獲物の姿を見ないままカナダとの海峡に到達、残りの食料と肉体の衰弱ぶりを考えるとそれ以上の北進は断念せざるをえなかった。


タリム盆地のように荒涼としたワシントンランド内陸部の谷


 断念というか、もうこれ以上北に行ったら冗談抜きで死ぬかもしれんからあり得んな、という感じである。何しろ今回はGPSはもとより衛星電話も携帯しておらず、テクノロジー的に脱システムしており、完全に守られていない状況での旅だった。妻子がどうなっているのかもわからない。娘が交通事故に遭っていないか毎日とても心配で、娘が死んだ夢に苛まされるなどしたのだが、客観的に見れば、娘よりお前のほうが心配だろという状況である。

 獲物のとれない内陸部など面白くもなんともないので、帰りは海豹や白熊と遭遇する可能性のある沿岸ルートをたどった。もうこのときになると麝香牛だろうが白熊だろうがアフリカ象だろうがブチハイエナだろうが、人間以外の動物が現れたら即刻射殺して食うつもりだった。途中の定着氷でついに兎を一匹見かけて獲ることができたが、獲物はそれだけである。しかもグリーンランド=カナダ間の海峡は北極海の多年氷が流れ込む北極有数の乱氷帯。とりわけ岬の周辺は巨大な氷がテトラポットのように積み重なり壁となっており、わずかな弱点を見つけては鉄棒で突き崩し、道をつくって突破することを繰り返す。全力で踏ん張って氷の凹凸を超えるので、当然さらに肉体は消耗していった。そして乱氷を超えてふたたび始まる軟雪地獄……。


ぎっしりつまった乱氷帯

 イヌアフィシュアクにもどったのは出発から二カ月近く経ったときだったが、この頃が肉体的には一番きつかった。私も犬も身体に脂肪はまったく残っておらず、身体が筋肉を食いだしている。血糖値が低いのか、歩いていると貧血少女みたいにふらふらして倒れそうになり、このままの状態が続けば餓死するんだろうなということが、極めてスムーズかつリアルに理解できる状態となっていた。毛皮靴底の補修用にもってきた海豹の皮を食べてみるとスルメみたいでとても美味しい。しかしこんなもん食ってたらフランクリンと同じだから、もう少し先だな、などと思ったりする。去年と同じで犬がいるので、最後は犬を食えばいいと分かっているが、あまりに衰弱しているため理屈じゃなくて本能的に餓死の不安が頭から離れないのだ。ここまでの飢餓感をおぼえたのはツアンポー以来だった。


400メートルの垂直の壁。ワシントンランドの屏風岩ことCape Constitution。誰か登りませんか~


 局面が変わったのは、アウンナットの小屋を越えたときだった。定着氷の上にいた狐がわれわれの姿を見て逃げていく。犬は狐に気づいた途端、目の色を変えて橇を引いたまま追いかけだしたが、逃げた狐を獲るのは不可能である。あ~狐食いたかったなぁと思って歩いていくと、その狐のいたところに、何と狼に襲われた麝香牛の死体が転がっているではないか。内臓は食い破られ、後脚の肉はなくなっていたが、前足から背肉にかけてはまるまる残っており、しかも雪の状態からこの二日以内に殺されたものであることが推察され、状態も悪くない。かなり新鮮だ。臭いをかぐと、腐臭はしないものの、この麝香牛は老体だったのか、死を間近に控えた老人みたいに、麝香牛特有のアンモニア臭さを強烈に発しており、思わず吐き気を催したが、十分に犬の餌にはなる。というか犬は歓喜のあまりすでに糞まみれの腸の断片を食いまくり、腹腔に顔を突っ込んで狂ったように顎を動かしている。この死肉を得ることで、私は犬に与える予定だった前半に獲った麝香牛の肉を食うことができるようになり、残りの行程は十分に食えるようになった。

 アウンナットからはイータという地にむかった。ここはアッパリアス(ウミスズメ)や兎、麝香牛、北極岩魚、鴨、狐、狼等々、獲物の豊かなまさに酒池肉林、西方浄土、極北の地に花咲く幻のシャンバラの現実態とも呼べる地で、私は出発前から、最後は食料がなくなるだろうからイータを経由してアッパリアスでも獲って、その肉を食いながら村に戻ろうと考えていた。そのためにアッパリアス捕獲用のたも網を持ち歩いていた。今年は例年に比べてアッパリアスが飛来する時期が遅かったのか、イータに到着したときにはアッパリアスの姿はなかったが、代わりに兎が無数にいたので、十羽ほど捕獲して、干し肉を作ってそれを行動食にし、朝、昼、晩と兎肉を食べながら5月30日に村に帰還した。

 村に戻ったのは75日目。40日の食料で90日間の旅をするのが目標だったので、二週間ほど足りなかったが、今回は疲れ切ってしまい、これが限界だった。正直、この最悪のコンディションでよくここまでやったと思う。距離はちゃんと測ってないが、極夜探検の倍の850キロか900キロほどだろうか。しかしグリーンランド北部の旅の価値を距離で表しても意味はない。カナダ北部や南極なんかとちがい、ここは地形の変化が激しく、アップダウンが連続する上、岩だらけの河原歩きやゴルジュの迂回、激しい乱氷、結氷の不安定な岬など悪場が連続するからだ。今回のルートも往路に氷床を越えて、ワシントンランドの谷を登って、イータに向かう途中にまた氷床に登り、最後にイータからまた氷床に登っているので、述べにして3300メートルほど上り下りしていることになる。うおお、そんな登ってたんか! 今、初めて知った。76キロの体重が村に戻ると62キロになっていたが、そりゃ14キロ痩せるわな。

 この旅にどんな意味をもたせ、そこから何を導き出し、今後にどのようにつなげていくかという旅の核心に触れるところについては、しっかりと作品に中で描いていきたいのでここでは書かない。今回の旅の最大の果実は、餓死の不安を感じるほど極限に近づいたとか、そんなところにあるわけではない。はっきり言ってそのこと自体は私にとってはどうでもいいことだ。どうでもいいことだからブログに書いた。それより大きかったのは旅の途中で、これまでの極夜探検に変わる旅の大きな道筋がはっきりと見渡せたことだ。

 どのような旅をすれば土地と時間というテーマを深化させられるか、そこから何がわかってきそうか。この視点で今後も活動を続けるなら一年や二年では終わらない。たぶん50歳ぐらいまでは腰を据えて取り掛からなければならない解読困難なテーマであるはずだ。しかし、私が考えているようなやり方で旅をしている人間は現代では誰のいないし、もし本当に実現できれば誰もなしえなかった方法で深淵な事実に到達できるんじゃないか。そんなことを思うと私は興奮してきて、よ~し、俺は時代を突き抜けた人間になるぞ~、などと寝袋のなかで固く決意などするほどだったのだ。そのときの気分は「ジョジョ、俺は人間をやめるぞ!」と宣言して石仮面をつけたディオに近いものがあったと思う。
 
 おー、気づくと原稿用紙13枚分にもなっている。こんなの書く力があるんなら、「小説幻冬」の連載に穴開けなくて済んだなぁ。
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