ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

『地球はもう温暖化していない』

2017年02月27日 23時08分57秒 | 書籍
地球はもう温暖化していない: 科学と政治の大転換へ (平凡社新書)
深井 有
平凡社


深井有『地球はもう温暖化していない』を読む。シオラパルクで居候させてもらっている犬橇極地探検家・山崎哲秀さんからすすめられて読んだ本だが、知らないあいだに自分の思考にこびりついていた固定観念を見事にひっくり返されて痛快だった。
 その固定観念とは「地球は温暖化しており、その元凶はCO2だ。したがって地球を守るためには大気中のCo2濃度は下げなければならず、政策遂行のために税金を投入されるのは当たり前」というものだ。タイトルからもわかるとおり、本書はそのCO2による地球温暖化説をきわめて明快に否定する。
 話は、そもそも地球は現在、温暖化していない、2000年前後から気温の上昇は頭打ちになっており、ほぼ横ばいだというところからはじまる。たしかに二十世紀後半は気温が上昇しており、その背景を説明するためにCO2が元凶としてやり玉にあげられてきた。だが、CO2が原因なら2000年以降も地球の平均気温は上昇していなければならないのに、そうなっていない。なぜ上昇していないのか?
 本書がその理由としてあげるのは、気候変動の最大の要因はCO2濃度ではなく、太陽活動の拡大縮小だという。二十世紀後半に太陽活動は拡大期を迎えたため、その影響で地球の平均気温も上昇したが、その活動期はすでにピークをすぎているらしく、これから縮小期にはいる。そのため懸念されるのは温暖化ではなくむしろ寒冷化だという。もちろんCO2濃度が上昇することによる温室効果もかさなるためある程度の相殺作用ははたらくが、それでもこれから地球の気温は横ばいがつづくか、むしろ低下傾向をしめすはずだというのだ。実際、近年の研究で太陽の活動周期と過去の気候変動のサイクルが一致していることは確認されてきており、非常に説得力のあるデータを根拠に議論は展開されていく。
 地球が寒冷化するとどうなるか。世界人口は増加しているのに農業生産は低下するため、国家間で食料の奪い合いがはげしくなる。本来なら寒冷化対策として食料自給率を高めることが国策として求められてしかるべきなのに、現況は地球温暖化対策としてCO2削減ばかりに研究費や税金がつぎこまれている。著者はこれをまったくの無駄遣い、無益とばっさりと切り捨てている。
 私自身、記者の経験があったせいか、一番、痛快だったのが、温暖化対策を牛耳るICPPとそれにぶら下がる科学者と錦の御旗のように温暖化への危機感をあおるマスコミへの批判の部分だった。ICPP自身、CO2による温暖化対策を前提に発足した国連機関なので、観測の結果、都合の悪いデータが出ても適正化の名目で温暖化のシナリオにあうように修正するなどしていた。そして各国というか日本の環境省などはICPPのシナリオに沿った政策を次々と打ち出し、そもそも役所や権威にめっぽう弱く、批判精神にかけた日本の新聞テレビの科学記者たちはICPP=環境省のシナリオにそった記事ばかり書き、われわれ一般人のまちがった危機意識をあおってきた。その結果、温暖化対策に一世帯あたり年間20万円もの無駄金が投入される羽目におちいっているという。このあたりは読んでいて気持ちがいいぐらだ。
 また、温暖化が金科玉条のようになっているため、温暖化対策に寄与するような研究にしか政府の補助金がおりないシステムになっており、事実上、科学者たちも研究費獲得のために温暖化シナリオに沿った研究にばかりいそしんでいるとも批判する。つまり温暖化対策につかわれるカネが事実上の利権構造を生みだしており、原子力ムラみたいな状況になっているというのだ。
 面白いのは温暖化にここまで危機意識をいだいている無垢な先進国は日本だけだという指摘である。欧米各国ではある程度、科学界や国民意識にICPPの欺瞞がかなり共有されており、気候変動にたいする関心はきわめて低いらしい。それにはジャーナリズムの力もあっただろう。2009年にはICPPのまとめ役だった英国の研究所からメールが流出し、CO2元凶シナリオにそってデータを改ざんする科学者のやり取りが白日のもとにさらされる「クライメートゲート事件」が起きた。ところがこの事件、欧米では非常に話題になりCO2温暖化元凶説の神話を崩す要因になったが、どういうわけか日本ではほとんど話題にならなかったという。私もこんな面白い事件があったことを本書ではじめて知った。
 とまあ、暇にあかせてバーッと書いたが、私自身、温暖化はすすんでおり、その元凶はCO2だと思い込んでいたので、目が覚める思いだった。北極の氷が減少しているのも、ヒマラヤやグリーンランドの氷河が後退しているのもなんとなくCO2のせいだと思っていた。というか、正直にいえば、これまで温暖化の話にはあまり興味をもてないでいた。たぶん、それは、温暖化問題や環境問題など社会正義の実現に熱心な人ってなんとなく野暮にみえるし、一方で、みんながそうだと信じているCO2元凶説に意を唱えるのも空気が読めない感じがするので、処置に面倒くさい問題として無意識に放置していたのだと思う。要するに地球温暖化問題というのは深入りすると厄介でかっこうわるい話なので、まあとりあえずCO2が元凶ってことでいいんじゃないかなと野ざらしにしておいたわけだ。クライメートゲート事件を大きく報道しなかった日本のマスコミの深層心理も同じようなものだったのかもしれない。そして著者は空気を読んで気づかないうちにみんなで同じ方向を向いている、ものすごく日本っぽい現象を、まるで戦前の全体主義を見るようだとはげしく批判する。
 ところで、本書が指摘する通り本当に寒冷化にすすんだら、北極の氷が凍結して旅がやりなすくなるのだろうか。もしかしたら植村直己の時代にみたいにグリーンランド南部から旅を開始するなんてことが可能になるかも…。でもそのときには私自身、もう橇をひいて歩く体力は残っていないだろう。これは大変なことだ。あと十年ぐらいは極地に通う方策を考えないと…という危機意識を個人的にはもった。
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