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ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

これが見納め

2011年08月24日 16時44分38秒 | 書籍
これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景
クリエーター情報なし
みすず書房


『銀河ヒッチハイク・ガイド』で有名なダグラス・アダムスの『これで見納め』を読む。マウンテン・ゴリラ、キタシロサイ、ヨウスコウカワイルカなど絶滅危惧種を見るため世界中を旅行したルポ・エッセー。邦訳版が発売されたのはこの7月だそうだが、著書は2001年に亡くなっており、原著の初版刊行は1991年だという。20年前の作品なので、ニュージーランドで電話のダイヤルが反時計回りだとか、細かい部分で時代のギャップを感じる。

『銀河――』を読んだとき、個人的には、この人のユーモアのためのユーモアみたいな文体があまり好きになれなかったが、この本では、その過剰なユーモアが、動物たちの本質を正確に記述するための有効な手段となっている。もちろん、アダムス独特の、一見斜に構えた、深い洞察があってのことだが。一番よかったのはゴリラの章。ゴリラの迫力と知性を描写した部分は最高だ。

アダムスファンと旅本好きには、格好の本だろう。

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いまさら「ヤノマミ」

2011年08月23日 11時07分57秒 | 書籍
ヤノマミ
クリエーター情報なし
日本放送出版協会


大宅賞を同時受賞した国分拓「ヤノマミ」を、今さらながら読む。NHKの映像のほうは放映時に見ていたので、本のほうも出版直後から、ずっときになってはいた。だが、Nスぺがあまりに強烈だったことと、まわりで絶賛する人が何人かいたので、そんなものは読むべきではないと思っていたのだ。なにせ秘境もののノンフィクションで、かつ同じ日本人。どうしても自分の作品と比較してしまう。自分の書いていることがつまらなく感じてしまうことが怖くて、どうしても手が出なかった。

読んでみて驚いた。うすうす想像はしていたが、この本にはわたしがツアンポー峡谷で感じたことと、まったく同じことが書かれていた。国分さんはヤノマミという昔ながらの生活スタイルを守っている先住民との濃厚な接触を通じて、自然の中しか存在しない生と死に関する唯一の確かなことを知った。わたしは同じことをツアンポー峡谷における過酷な単独行を通して知った。ただし、「ヤノマミ」のほうが、生身の人間の行為や儀式を描くことでそれを表現しているので、読者にはストレートに伝わりやすのだろう。冒険という行為を通じて表現すると、どうしても抽象的になってしまう。

この本のことを、文化人類学的な視点で描いていると書いた書評や感想をいくつか目にしたが、わたしにはそうは思われなかった。むしろ学術的な記述を用いてヤノマミ族を解釈することを、つとめて避けているように感じた。生のまま人間が空っぽの受信体となり、受けた印象や衝撃、垣間見たシーンを、テレビモニターに映し出すかのように、分かりやすい文体で表現したことが、この本が成功した理由だろう。

ちなみに現在、北海道の実家にいる。小さいころに住んでいた家――今は空き家となっている――を、十数年ぶりに訪れ、打ちのめされた。

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オスカー・ワオの短く凄まじい人生

2011年07月30日 13時40分59秒 | 書籍
オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)
クリエーター情報なし
新潮社



ジュノ・ディアス「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」を読む。アマゾンで自分の本を見てみると、わたしの本を買ってくれた人の中には、この小説を買っている人が多いらしく、ついでにわたしも買ってみた。自分の本との共通点などはよくわからなかったが、最高の小説であることはわかった。

デブでオタクで女にもてないけど、セックスには人一倍関心がある、ドミニカ系アメリカ人、オスカー・ワオが主人公だが、オスカーが主人公として登場するのは最初と最後だけだ。小説の大部分は姉や母、祖父といった一族の物語が占めており、オスカーの悲しい人生へと連なる一族の呪いに縛られた歴史と、それをもたらした独裁者トルヒーヨの残酷な圧政ぶりをあぶりだす。

オスカーの物語が、オスカー自身からではく、家族や友人の口を通して、しかも時折、彼らの物語に登場するあくまで遠景の人物として描かれていることにより、哀切を誘うオスカーの人生が、より客観的に浮き彫りにされている。とりわけ、この物語の作者に設定されている親友ユニオールの口から語られるオスカーの表情には異様なリアリティーがあり、思わず彼が隣にいるような感情移入を強いられた。

ラストは圧巻。自分の運命に身を投げ出すかのように突っ走っていくオスカーに、悲惨なにおいをかぎ取り、いやおうなしに引き込まれた。そして彼自身の口からついに語られることになる最後の一言に、救われた気がしたのと同時に、呆然としてしまった。

こういう本を読むと、自分はもう文章を書くのはやめようと思ってしまう。まったく、すべての人に読んでもらいたい傑作だ。いや、ほとんどすべての人だ。



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「空白の五マイル」とロジャー・ウェイド

2011年07月26日 00時22分16秒 | 書籍
25日午後5時ごろ、わたしはふと自分の「空白の五マイル」という本を手に取り、やおら読み始めた。この本の原稿を校了したのは昨年の9月か10月のことだと思うが、それ以降、まったく読むことはなかった。たぶん読んだら、なんでこんなひどい文章の本を出したのだろうか、取り返しがつかないことをしてしまったと、自己嫌悪に陥るのが目に見えていたからだ。

もうすっかり酔っぱらってしまい、昨日に限ってなぜ自分の本を読んでみようと思ったのかは、もはやまったく思い出せない。しかし、ここでこんなことを書くのは恥ずかしいのだが、実は、読んでみると、わたしは自分の本を、意外と面白いじゃんと思ってしまい、そのまま30分ほど熟読してしまった。恥の上塗りで白状すると、インスタントコーヒーのコマーシャルに出たかったというくだりなどは、読んでいて思わず、ニヤっと笑ってしまった。ええ、すいません。

しかし、突然、チャンドラーの中にあった一節を思い出し、へらへら自分の本を読んでいる姿にぞっとした。チャンドラーは「ロング・グッドバイ」の中で、空疎な内容のエンターテイメント作品しか書けないベストセラー作家ロジャー・ウェイドに、次のように語らせているのだ。

「自分が駄目になったということを、作家はどうやって知ると思う? インスピレーションを求めて、過去に自分が書いたものを読み返すようになったら、もうおしまいなんだ。それが絶対基準なんだ」(村上春樹訳)

チャンドラーのおかげで、わたしは自分の本を放り出し、正気に戻ることができた。もう二度と「空白の五マイル」を読むなんてことはしないぞ、と心に誓いながら。

どうでもいいが、「ロング・グッドバイ」は文庫本をカナダにもっていき、帰りのバンクーバーで読んだ。私はこの本が大好きで、通読するのはたしか4回目くらいになる。しかし記憶力が悪いので、今回も犯人が誰だかすっかり忘れていて、初めて読んだ時のように楽しめた。

ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
クリエーター情報なし
早川書房








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宇宙創成

2011年03月01日 21時47分01秒 | 書籍
宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社


サイモン・シン「宇宙創成」を読む。古代ギリシアの哲学者たちが考えだした宇宙観が、科学史的な暗黒時代だった中世を経て、いかに現代のビッグバン宇宙論にまで辿り着いたかを、シン独特のどんな科学音痴でも理解できる巧妙な語り口で紡ぎだしている。

高校時代、数学や化学はいつも赤点、化学にいたっては隣の生徒の答案をカンニングしたら、そいつが予想以上に出来のいいヤツで、自分もついでに学年5番くらいの点数を取ってしまったことがあるほどの理系音痴の私でも、アインシュタインの一般相対性理論を理解できたような気になるからサイモン・シンは恐ろしい。

昔、シンのデビュー作「フェルマーの最終定理」を読んで、数学者というのはなんてカッコいいんだろうと感銘を受けたことがあったが、今回もどうして自分は宇宙物理学者の道を志さなかったのか、少し後悔した。このブログを読んでいる少年少女は(おそらくいないだろうが)、探検家ではなく宇宙物理学者をめざすことをオススメする。

ちなみに現在、北極圏バフィン島の町イカルイットに滞在中。気温はマイナス25度から35度ほど。いまのところ寒さよりも空気が乾燥していることの方がつらい。カナダ入国以来、のどの痛みが収まらない。この国の人ののどはいったいどうなっているのか、不思議で仕方がない。

明日から訓練のため、ちょっと長めのキャンプ生活に突入する予定である。
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暗渠の宿など

2011年02月15日 10時46分03秒 | 書籍
暗渠の宿 (新潮文庫)
西村 賢太
新潮社


どうで死ぬ身の一踊り (講談社文庫)
西村 賢太
講談社


苦役列車に衝撃を受け、西村賢太を連続読みする。こんなに読んでいてニヤ笑いが止まらない本は、ジョン・クラカワーの「エヴェレストより高い山」以来である。

西村賢太の小説は簡単にまとめると三本仕立て。風俗に行って性欲を処理しつつ本当の彼女が欲しいと嘆く話と、藤澤清造に対する敬慕の話と、滝の川のマンションで同居した女へのDVの話の三つである。実生活のほうは最悪だが、文体が自分を揶揄的に表現したユーモアのある文体なので、一気に読ませる。

特に滝の川の女の話はまったく最悪で、よくこんなこと書けるなと思いつつも、ページをめくる手が止まらない。それぞれの短編の途中でこの女との最終的な破局は示唆されているのだが、女を殴って逃げられてはまた仲直りをするというのを何度も繰り返し、破局をなかなか迎えず、読者を引っ張る展開となっている。一つの短編を読み終わるたびに、おい、まだこの女と続くのか、と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。

また、おんなじようなエピソードがいろんな短編の中でちりばめられているので、この話はこの前の話をあのエピソードね、みたいに読んでいて各短編が連環して繋がっていくのも、私小説ならではの面白みである。読んでいくうちのどんどん世界が広がっていくような深みがあるのだ。

ただ世界が広がっていくと言っても、西村賢太の人生について詳しくなるだけで、べつにフェイスブック的な豊かさがもたらされるわけではないので、そこのところは間違えないほうがいい。あと、西村賢太の小説を持ち上げると、全世界の女性を敵に回すような危惧を抱うのは、わたしだけだろうか。
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フェイスブック 若き天才の野望

2011年02月09日 00時57分47秒 | 書籍
フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)
デビッド・カークパトリック
日経BP社


映画「ソーシャルネットワーク」を見て、フェイスブックの創始者マーク・ザッカンバーグという人間に興味がわいたので、その日のうちにこの本を購入。つい先ごろまで読んでいた。

著者のデビッド・カークパトリックはフォーチュン誌のライターで、かなりザッカンバーグに食い込んでいるらしい。この本を読むと、「ソーシャルネットワーク」のほうはかなり作り込んでいるらしいことが分かる。映画のほうは大学の寮のルームメートであるエドゥアルドという親友との友情と別れ、そして確執がフレームアップされているが、本を読むとどうやらエドゥアルドはルームメイトでなかったらしく、資金提供者ではあったが、フェイスブック創業時における欠かせないキャラクターというわけでもなかったようだ。

また映画では元恋人にふられた腹いせに、大学の女性の顔写真を二つ並べてどっちが「ホット」かを選ぶサイトを作ったことがフェイスブック創業の伏線になったかのように描かれているが、そのへんの女性をめぐる人間的なドラマがあったのかどうかも、この本では分からなかった。

とにかくザッカンバーグは要所要所のビジネスチャンスで的確な判断をし、フェイスブックは随所で間違いのない新機能を追加。彼には高邁な理想と成功への確かなビジョンがあり、その結果、5億人とかいうとんでもない会員数を誇る化け物サイトになったらしいが、そんなことはわたしにとってはどうでもよかったので、100ページほどを残して読むのをやめた。

もっと創業時にどのような人間的なやり取りがあったのかが書かれていれば、面白かったのに。結局、ザッカンバーグがどれほどえぐい人間なのかというのは、さっぱり分からなかった。そういうのが読みたければ、西村賢太でも読めということだろうか。

ちなみにわたしも一年ほど前に、ちょっとした手違いでフェイスブックの会員になってしまっているが、一度も使ったことはない。それにしても、一年も会員なのに、友達のリクエストメールが4、5人からしか来てないのは、いったいどうしたことだろう。しかもその全員が、すでに知り合いである。知り合いから友達になりませんかと言われても、さっぱり世界が広がりそうもないので、申し訳ありませんが、返事をしてません。この場を借りて謝ります。

あとフェイスブックを使うと、どのようないいことがあるのか、誰か教えてください。
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苦役列車

2011年01月31日 23時39分42秒 | 書籍
苦役列車
西村 賢太
新潮社


西村賢太「苦役列車」を読む。言わずと知れた芥川賞受賞作。まだ表題作しか読んでいないが、職人芸的に面白い日本語だ。読んでいて、思わず笑ってしまう小説である。下ネタ的な描写が少なくないので、女性が読んでどう思うのかは不明であるが、男なら楽しめる。

簡単に言うと、うだうだと自分がいかにダメかを書いているのだが、ひとつひとつの言葉のなかに高度なユーモアがあふれている。ユーモアというのは、周囲の状況から自分を外に置いて客観視し、自分を笑えないと生まれない。さすがに平成の私小説家だけあって、自分の客体化はほとんど芸術の域に達している。

個人的には、こういう文体って理想的だなと思った。ぜひ読んでもらいたい、男には。
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ハーモニー

2011年01月15日 12時03分53秒 | 書籍
ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房


伊藤計劃「ハーモニー」を読む。「虐殺器官」もそうだったが、物語の舞台設定に恐ろしくリアリティーを感じるところが、伊藤計劃の小説のすごいところだ。

「ハーモニー」の舞台は現代の政治的、社会的なパラダイムが影響力を失った、生命至上主義社会である。健康が最も価値を持った社会だ。生命至上主義社会において、人間は体内にインストールした分子機器で、病気やストレスの兆候を事前に読み取り、そのリスクを排除している。老い以外に死へのリスクはない。このようなリスク回避的な傾向は人間同士の関係性の中にも現れ、他者を傷つけるような言動、行為は、モラルとしてすべて避けなければならない。倒錯した慈愛にみちた、窮屈でやさしくて、生きにくい社会である。

このような社会を伊藤計劃は、不安定でリスクに満ちた自然を管理下におこうとしてきた人間の歴史の必然であるととらえている。人間の肉体こそが、まだ管理できていない残された自然の一部であると定義し、ハーモニー的社会において、ついに人間は自らの肉体を完璧にコントロールすることに成功する。そして残された最後の自然は人間の意識である。意識をどのように封印するかをめぐり、小説は進んでいく。人間は自然の管理を進め、その結果、自らの肉体、意識までも管理に置こうとして、そして人間であることをやめていくのだ。

今の日本の社会を覆う異常なまでのリスク回避的な傾向、健康への不健康なまでの傾斜を思うと、ハーモニーで描かれたような生命至上主義的な社会には非常に説得力を感じる。以前、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」の中で、現代の資本主義と民主主義こそ人間の社会制度の最終的な姿であり、その意味で歴史はすでに終わっているとの論を展開したが、伊藤計劃の小説は完全にその先を行っている。夭折が惜しまれる。

*  *

夜は第二回しんこうえんじの会。極地探検家舟津圭三さんが、1989~90年の犬ぞり南極横断のスライドを披露。北極旅行に向けて非常に刺激になった。

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戦禍のアフガニスタンを犬と歩く

2010年12月23日 10時18分12秒 | 書籍
戦禍のアフガニスタンを犬と歩く
ローリー スチュワート
白水社


ローリー・スチュワート「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」を読む。極めて上質な旅行記だ。今年ナンバーワンの本だったかもしれない。

筆者は2001年、タリバン崩壊後のアフガンに入り、ヘラートからカブールまでのアフガン横断中央ルートを冬に徒歩で旅行した。冬の中央ルートを横断するのは極めてまれで、彼はムガール帝国初代皇帝バーブルの旅行記を参考にしながら、冒険徒歩旅行を続けた。途中で巨大な犬(バーブルと名づけた)を仲間に加えて。

読んでいて、とにかく知性の深さと余裕ある態度に感嘆させられる。行く先々で出会う人々との会話や態度、小さなモニュメントから文化的な遺産に至るまで、自分が見た風景のことごとくに、複雑極まりない多民族国家アフガニスタンの歴史的相貌を読みとっていき、そこに対峙した自分をユーモアあふれる文章で表現している。英国人が何より大事にするユーモアとは、このような命がかかった旅の中でこそ発揮されるらしい。タリバン崩壊後のアフガンの国情もよくわかる。

著者のローリー・スチュワートはオックスフォード大学在学中からウイリアム、ヘンリー両王王子の家庭教師を務めたというバリバリのエリート。イギリス陸軍、外務省、イラク暫定統治機構などで活躍後、ハーバード大学ケネディー行政大学院人権政策センター長になったという。確実に英国の将来を担う人材で、ひょっとしたら首相になって世界に影響力を及ぼしかねない人物だ。

こういう人物がキャリアの途中にアフガン徒歩旅行という冒険旅行に挑戦し、当たり前のように元のキャリアに戻っていくところが日本とは違う。チャレンジする価値への掛け値なしの同意が文化的深層にまで組み込まれているから、アングロサクソンというのは強いのだろう。20年ばかり経済が低迷したからって、あたふたして生気がなくなる日本とは、そのへんが違う。
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A3

2010年12月15日 23時07分54秒 | 書籍
A3【エー・スリー】
森 達也
集英社インターナショナル


森達也「A3」を読む。麻原彰晃がなぜ、あのような一連の犯罪をおかしたのかを真摯に見つめる内容だ。

カルトや狂信的テロ集団が生じるのは別に珍しいことではない。カリスマ性のあるリーダーと、閉鎖的な空間があれば、それはいつでも現れうる。取材を通じ、森達也は煩悶を繰り返し、その煩悶を通じて取材対象の本質に迫っていく。麻原という絶対的な悪が生じたのはなぜか。そこを見つめなければ、私たちは結局、オウム事件から何も学ぶことができないのではないか。その姿勢に共感する。

森達也の本はいつ読んでも刺激的だ。どの本も大衆が権力性を帯びていくことに対する反抗が根底にあるような気がする。誰もが反論できないような分かりやすい正義、インターネットの発達や安直に大衆に迎合するメディアがそれを助長していく現在の日本の風景、それらに対して森達也はいつも疑問を投げかける。分かりやすい正義から漏れ落ちていく事実には、実は見つめるべき大事なものがあるのではないか。森達也はインタビューを通じて自分の弱さを赤裸々に書くし、相手の弱さも表現する。

こういう表現ができるのは、テレビの出身者であることが大きな理由になっていると思う。森達也の本は、常にシーンの連続だ。新聞記者はデータとして有用な内容ばかり重宝するから、シーンは不必要な情報として切り捨ててしまう。しかし映像を撮っている人はシーンの中に本質が現れることを知っている。ちょっとしたしぐさや表情の中に相手の本音を見つけ出す。だから森はインタビューの時に見たシーンを常に文章の中で表現しようとする。そこにノンフィクション作品としての完成度の高さを感じる。

   ☆

本の雑誌の企画で高野さんと対談。内容は「探検の時に使える本」ということだったが、探検の時には本を持っていかないということで意見が一致してしまった。こんなんで大丈夫なのだろうか。
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誘拐の知らせ

2010年12月06日 09時15分51秒 | 書籍
誘拐の知らせ (ちくま文庫)
G・ガルシア=マルケス
筑摩書房


稚内で停滞している間に何冊か本を読んだが、そのうちの一冊がガルシア・マルケスの「誘拐の知らせ」。

パブロ・エスコバル率いるコロンビアの麻薬密売グループ・メデジンカルテルが90~91年に引き起こした一連のジャーナリスト誘拐事件をテーマにしたノンフィクション。政府と麻薬密売グループとの抗争、腐敗した警察機構、社会崩壊といえるほど治安情勢の悪化したコロンビア社会の暗部を、世界的文豪が徹底した取材に基づきえぐり出している。政府側がエスコバルの投降を促すため、あの手この手で接触を試みようとする終盤が、最高に面白い。

本を読むと、コロンビアに行くことに恐怖を覚える。訳者によると、現在でもコロンビアの治安、社会情勢は改善されておらず、超危険社会が続いているという。登山など自然を相手にした冒険行為と、こうした治安が崩壊した社会を旅する行為とでは、同じ危険行為でもリスクのあり方が異なる。

自然相手の場合、基本的にリスクコントロールは冒険者側が握っている。自然は過酷ではあるものの、そこには人間を襲おうという意思はないからだ。例えば雪崩をどう避けるか、この岩壁は自分の登攀能力で登れるのかといった判断は、自分の体力、経験、知識などをもとに下し、場合によっては敗退することもある。つまりゲームの主導権は冒険者側が握っているわけだ。

しかし、治安の極度に悪化した崩壊社会を旅する場合のリスク要因は、テロリストや麻薬密売業者といった現地の人間にある。リスク要因が人間にある場合、彼らには意思があるので、旅行者側がどんなに注意を払って行動をコントロールしても、ゲームの主導権は向こうに握られている。彼らが誘拐しようと思えば、それを防ぐために旅行者側にできることはそれほど多くはない。

自然相手の冒険のだいご味は、孤立無援状況を自分の肉体と経験で乗り越えること、つまりリスクコントロールを自分の裁量の範囲で行うことにある。だからわたしは、リスクを自分でコントロールできないイラクやコロンビアといった地域に行くことに恐怖を感じる。目をそむけたくなるような殺され方をすることもあるし。


kotoba (コトバ) 2011年 01月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
集英社


集英社クオータリー「kotoba」2011年11月号に、石川直樹君との対談が掲載されています。テーマは「冒険する自分と、書き手としての自分」。本日発売です。
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腰痛探検家

2010年11月26日 01時23分30秒 | 書籍
腰痛探検家 (集英社文庫)
高野 秀行
集英社


高野さんの「腰痛探検家」を読む。腰痛世界を密林やUMA探しといった辺境旅行に見立て、辺境作家である高野さんがその異次元ワールドを旅する仕立てになっている。腰痛に悩む自分を悪い男にだまされた女子に見立てたりといった比喩や、一見突拍子もないが見立てが、読んでるとなるほどと納得させられるほど的確である。

内容は腰痛に悩み、東洋医学から心療内科にいたるまで、さまざまな治療を受けるというだけの話だ。それでも面白い本に仕立て上げるところが高野さんである。しかしそう考えると、結局、高野さんはどんな話を書いても面白くなってしまうわけで、そうするとわざわざ辺境なんぞに行く必要はないようにも思える。それは辺境作家としては、はたしてどうなのだろう。ひょっとしたら、そのへんの自己矛盾を本人も抱えているのかもしれない。

今度会った時は、ぜひそのことを訊いてみようと思う。ちなみにわたしも腰痛持ちで、おまけに頸椎ヘルニアもある。いつか腰痛対談ができたら面白いだろうな。

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人体冷凍

2010年11月23日 00時52分22秒 | 書籍
人体冷凍  不死販売財団の恐怖
ラリー・ジョンソン,スコット・バルディガ
講談社


たまたま神保町の本屋の台車の上にあったラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ「人体冷凍 不死販売財団の恐怖」という本を衝動買いした。恐ろしい本を買ってしまったものである。アメリカには、死後の人体を液体窒素で冷凍保存し、後世に復活させるアルコー延命財団という非営利組織があるらしく、この本はその財団の幹部ラリー・ジョンソンによる衝撃の内部告発だ。

とにかく内容が、このブログで書くのが憚られるほどえぐい。財団の会員が死ぬと、財団はその頭部を切断し、特殊な医学装置につなぎ、液体窒素でマイナス196度に冷凍保存する。だが彼らは狂信的なカルト的人体冷凍保存至上主義者で、時には殺人も辞さないというのである。口絵には手術の模様を映した写真が掲載されていて、非常にグロテスクである。財団のメンバーは明らかに倫理観が欠如した社会不適合者ばかりで、マイケル・ペリーなる人物は……、いや書くのはやめておこう。

著者は長年、救急救命士として活躍してきたが、新たな刺激を求め、この財団に仕事を変えた。だがこの財団のずさんな手術の方法や、薬品や人体の管理の仕方を見るうちに正体を知るようになる。冷凍保存をするために会員を殺害した例すらあったことも突き止め、その証拠集めに奔走し、最後は財団から命を狙われる。

驚くのは、内容が恐ろしくグロテスクなのに、著者の文体がとてつもなくユーモラスなことだ。こんな内容の本を、こんなに面白く書けるなんて、この著者の頭はいったいどうなっているのだろう。

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百年前の山を旅する

2010年11月17日 11時56分02秒 | 書籍
百年前の山を旅する
服部文祥
東京新聞出版局


服部文祥の新刊「百年前の山を旅する」を読む。過去二作のサバイバルシリーズとは若干異なり、昔の登山家や荷役衆の足跡をたどることで、現在の登山や文明のあり方に批判的な視点を投げかけている。ただ山に登るとはどういうことかを考えている点は同じだ

あいかわらず秀逸な山岳ルポには脱帽。資料の読み込みや古い装備のことを詳しく調べる能力にも驚いた。ただ単に詳しく情報を引き出すだけにとどまらず、調査で知り得た昔の登山行為や冒険行の意味を物語に転換させている視点が鋭い。さらにそれが面白いところに、もっと感心させられる。情熱大陸しか見てない人は、ただの危ない人という印象を受けるようだが、著書を読むと、頭のいい危ない人であることがよく分かる。

登山のルポは難しい。確固たる視点を持たずに山に行っても、そこには基本的に自然しかなく、対自然は対人間と違いやりとりがないため、文章にメリハリをつけるのが難しいのである。服部さんの山岳ルポが面白いのは、自然と対話し、そこから読者をうならせる発想を得ているからだ。

近くにこういう文章がうまい人がいると本当に困りもんだ。栗城くんの本を読んで登山のことを勘違いしてしまった人は、服部さんの本を読みましょう。

話は変わるが、本の雑誌がWEBで「空白の五マイル」の記事をアップしてくださいました。ありがとうございます。

NEWS本の雑誌
http://www.webdoku.jp/newshz/azuma/2010/11/17/100259.html

杉江由次さんの「帰ってきた炎の営業日誌」
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2010/11/17/104057.html

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