goo blog サービス終了のお知らせ 

ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

赦す人

2013年02月15日 14時03分20秒 | 書籍
赦す人
大崎善生
新潮社


大崎善生『赦す人』を読む。

大SM作家団鬼六の評伝ノンフィクションである。大崎さん独特の情緒的な、対象にどっぷりと肩入れした文体が好きな人にはたまらない。『聖の青春』も『将棋の子』もそうだったが、大崎さんのノンフィクションは面白すぎて他のことがまったく手につかなくなってしまうという、こまったところがある。

この本もそうだ。おかげで、昨日から極地探検における天測の例を調べようと思っていたのに、机の上に山積みになった資料が全然動かなかった。タイトルは『赦す人』のくせに、全然赦してくれないのだ。

相場、エロ、酒、小説、将棋と生涯を遊びつくし、稼いでは散財した変態作家・鬼六の奔放な人間像に引き込まれるのはもちろんだが、脇役陣もたまらない。たこ八郎に真剣師小池重明、黒沢明の敏腕プロデューサーとして活躍し、最後は自宅アパート野垂れ死にに近い形で発見された本木荘二郎など、破滅していった人間に、著者の深い愛情が注がれている。

昭和一桁世代に対する哀惜も本書の基調を成している。前半に「一期は夢よ、ただ狂え」という言葉が時折出てくるが、本当に狂うことができた昭和一桁世代に対する、それは共感の言葉である。狂うことができた人間こそ人間なのだという思いが根底にある。

こんな風に人間を書けるのは、大崎さんに人間の弱さをつつみこむ優しさがあるからだ。この本の中で書いているが、若い頃に作家を目指して将棋にのめり込み、人生を持ち崩しかけた経験が本人にあるためだろう。

赦す人というのはもちろん団鬼六のことだが、大崎善生本人が赦す人になっている。そんな本である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読むの無理

2013年01月28日 08時45分53秒 | 書籍
先日、ひそかに帰国した。旅から戻った時は毎度のことだが、今回も異常なまでの活字への欲望に悩まされている(ちなみに書くほうではなく、読むほうだ)。ここ三日間は本屋に行っては書籍を購入し、帰宅して、こんなに読めるわけがないと呆然とするということを繰り返している。

帰国後、最初に読んだのは辻邦生『安土往還記』。カナダ滞在中に読んだ『西行花伝』に感銘を受けたからだ。同じことを書いているけど、こちらも迫力のある作品。この二冊で辻邦生の文章世界に衝撃を受けたわたしは、帰国した翌日、『背教者ユリアヌス』も読まねばと本屋に駆けんだ。しかしあまりの長大さに思わずたじろぎ、急きょ、『嵯峨野明月記』に変更した。

安土往還記 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


西行花伝 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


嵯峨野明月記 (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論社



その後、店内をうろついていると、村上春樹によるチャンドラー『大いなる眠り』の新訳を発見。チャンドラーは大好きだが、考えてみると、マーロウものの第一作である『大いなる眠り』は読んでいなかったので、まよわず購入。さらに書評コーナーでベアント・ブルンナー『月』という魅力的な装丁の本を見つけた。白水社の翻訳ノンフィクションにはずれはまずないし、北極では月には助けられたり、悩まされたりしたもした。自分がこの本を読まずして誰が読むんだろうと、変な義侠心みたいなものが出てきて、これも購入。なんということだ。『背教者ユリアヌス』を買いに来たのに、ぜんぜんちがう本を三冊も買っている。

大いなる眠り
クリエーター情報なし
早川書房


月: 人との豊かなかかわりの歴史
クリエーター情報なし
白水社



帰宅したら、アマゾンから門田隆将『死の淵を見た男』が届いていた。おお、帰国直前にカナダで頼んでいたことをすっかり忘れていた。チャンドラーの乾いた文体も魅力的だが、命をかけて原発事故と戦ったあつい男たちの物語に涙を流してもみたい。おっと、そうじゃなくて、その前に辻邦生だった。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
クリエーター情報なし
PHP研究所



次の日、さっそく買った本を読もうと本棚を見回したところ、全然関係ない大江健三郎『個人的な体験』を見つけ、一気読みする。大江健三郎なんて学生の時に『性的人間』と『日常的な冒険』を読んだ後、『同時代ゲーム』に挫折して以来、十数年ぶりに読んだ。こんなに面白かったっけと突如、大江ブームが高まり、アマゾンで『万延元年のフットボール』を買う。それに加え、一昨年の北極探検の後に買った『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』も本棚で見つけて、ついついつまみ読みしてしまう。辻邦生ブームはどこにいったのだろう。

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)
クリエーター情報なし
新潮社


万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)
クリエーター情報なし
講談社



ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記
クリエーター情報なし
講談社



昨日は明治神宮に遅ればせながら初詣に行き、ついでに蔦屋代官山に立ち寄った。全然、本なんて買うつもりはなかったのに、運悪くマーシャ・ガッセン『完全なる証明』が文庫化されているのが目に入った。単行本が発売された時に、何度か買おうと思って、結局やめた本である。あとは辻原登『冬の旅』が面白そうだったので、二冊購入。いったい、いつ読もうというのか。

完全なる証明―100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋


冬の旅
クリエーター情報なし
集英社


今ふりかえると、カナダにいた時はメルヴィル『白鯨』とかダンピア『最新世界周航記』などいった、読んでいて疲れる海外文学の古典ばかりだったので、帰国したら絶対に一気読み必至の横山秀夫『64』を買おうと思っていたのだが……。それに読まなきゃいけない資料もあるし、冬の北極に行って、改めて植村直己『北極圏一万二千キロ』を読み返さなければならないと思っていたのに。

白鯨 (上) (新潮文庫 (メ-2-1))
クリエーター情報なし
新潮社



最新世界周航記〈上〉 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店



そして今もまた本屋に行きたくなっている。先日読んだ『月』の巻末の刊行案内に、出雲晶子『星の文化史事典』という魅力的な書籍が載っていて、買いたくてしょうがないのだ。それにアマゾンで関連商品を見ていて『望遠鏡以前の天文学』という、これまた魅力的で、かつ高価な本も見つけてしまった。いったいどんな本なんだ! 気になってしょうがない。あとで本屋に行って確認してみよう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノンフィクション新世紀

2012年08月11日 16時07分15秒 | 書籍
石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。
クリエーター情報なし
河出書房新社


石井光太さんが責任編集した『ノンフィクション新世紀』の見本が届いた。

彼がノンフィクション講座で対談した藤原新也、松本仁一、高木徹、森達也各氏とのやり取りの他、さまざまなジャンルの書き手があげたノンフィクション・ベスト30などが掲載されている。巻末には1980年から2012年の間の主な作品を網羅したノンフィクション年表や、河出書房新社編集部の武田さんがまとめたノンフィクション作家論まであり、ありがたいことに私も一番最後に紹介されている(武田さん、ありがとう!)

私もノンフィクションベスト30の原稿を書かせてもらった。たぶん沢木さんや柳田さんや辺見さんや佐野さんら大御所の本は皆選ぶだろうから、特にベスト5には、なるべく他の人が選びそうもないものを挙げておいた。2位には高野さんの『西南シルクロード』を挙げたのだが、その意味ではちょっと失礼だっただろうか。5位にあげた『ザ・ゲーム』という本は予想通り私以外に誰も選んでいない。してやったりである。

とにかくノンフィクションに対する石井さんの熱い気持ちが伝わってくるので、ノンフィクション好きにはお薦めです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピダハン

2012年05月24日 20時34分14秒 | 書籍
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
D・L・エヴェレット
みすず書房


D・L・エヴェレット『ピダハン』を読む。

今年のナンバー1本はこれで決定だろう。とんでもない本である。

ピダハンとはアマゾンに住む少数民族で、著書のエヴェレットは伝道師としてピダハンのもとに赴き、30年ほど住みこむ。目的は聖書をピダハン語に翻訳することなので、言語学者としてピダハン語を習得することも重要な任務だ。

その結果、著者はピダハン語には、チョムスキー以来の言語学界の主流であった理論が通用しないことを思い知らされる。人間のあらゆる言語には共通の文法(関係節による再帰という概念らしい)があり、それは人間に言語本能なるものが備わっているから、というのがチョムスキーの理論であるらしいのだが、ピダハン語には、その再帰という構造が見つからないというのである。

要は、著者はピダハン語を研究することで、人間には言語本能なんてない可能性を発見してしまったのだ。チョムスキーの学説は間違っていたと、世界有数の頭脳に喧嘩をふっかけたわけだ。

言語本能がないということは、人間の言語の文法は、それぞれの民族の文化の影響を受けて成立しているということになる(これは当たり前のようであるが、当たり前ではないらしく、詳しくは本書を読んでほしい)。

ピダハン語を規定しているピダハンの文化のポイントは、自分たちが直接体験した事実や話しか信じないという原則である。なぜなら、ピダハンが住む環境は、生と死が充満した自然の中であり、彼らはその自然の瞬間の中を生きているからだ。彼らは魚を釣って、動物を狩り、子供を産んで、マラリアにかかって死ぬ。自分の身は自分で守るのが原則で、それが人生のすべてなのだ。

その結果、どういうことが起きるかというと、著者は伝道師なので自分の信仰を捨ててしまうのである。どうやら家庭も崩壊したらしい。伝承に支えられた信仰よりも、ピダハンのリアルな生のほうが本物だ、と気づいてしまうのだ(ネタバレのようだが、著者が信仰を放棄したことは本のカバーの紹介にも書いてあるので、まあOKでしょう)。

このへんは、マーク・ローランズ『哲学者とオオカミ』を彷彿とさせる。頭のいい人が、人間はなんのために生きているのかを真剣に考えると、哲学よりもオオカミ、キリストよりもピダハンの方がよく知っていることに気づいてしまうのだろう。

このように内容をかいつまんで説明すると、堅苦しい本のように聞こえるだろうが、文体はユーモアたっぷりで非常に読みやすい。難しい言語学の理論でさえ、身近な例を用いて説明してくれるので、本当にそんなに単純なのかと読んでいる方が心配になるくらい分かりやすい。唯一、不満だったのは、妻や子供との、その後の関係に触れていない点である。信仰を捨てた結果、どうやら家庭も崩壊したらしいのだが、できればその崩壊過程も知りたかった。ケレンとは一体、どうなったんだ?

みすずの本なので3400円と高いが、5500円でも読む価値はある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の冒険と「創造的な登山」

2012年05月19日 10時24分50秒 | 書籍
日本人の冒険と「創造的な登山」 本多勝一ベストセレクション (ヤマケイ文庫)
クリエーター情報なし
山と渓谷社


解説を書いた本多勝一さんの『日本人の冒険と「創造的な登山」』が届いた。

この本は、本多さんの登山や冒険、遭難報道に関する評論やルポルタージュをまとめたもの。『山を考える』『冒険と日本人』『リーダーは何をしていたか』の三冊から、主な作品を収めて、このたび文庫本となった。

本多勝一のルポルタージュや冒険論は、学生の時にかなり読んでいて、相当な影響を受けていたので、山と溪谷社の神長さんから解説の依頼を受けた時は身の引き締まる思いだった。送ってもらったゲラをロシアに持ち込み、ウオトカを飲んでいない時に断続的に目を通した。

久しぶり本多さんの冒険論を読んで、実は結構ショックを受けた。私はこれまで自分でそれなりに独自の冒険論を築き上げてきたつもりだったが、実はそれが本多さんの冒険論の焼きまわしに過ぎないことを思い知らされたからだ。自分のオリジナルだと思っていた理論はすでに本多さんの本に書いてあったのだ。本多さんの冒険論は学生の時に読んでいたため、部分的にしか覚えておらず、でもたぶん何となく頭のどこかには残っていて、それが自分の中でオリジナルな冒険論となって再生産されていたのだろう。

なんということだ。まあ、しょうがないか。

ということで、解説では「反体制」として冒険、というタイトルで、自分でオリジナルなものだと思っていたけど、実は本多勝一がすでに昔、展開済みだった冒険論を書いている。さすがに本多勝一の解説なので、ロシアで数日かけてじっくり書こうかと思っていたが、普段から結構考えているテーマだったので、一日ですらすら書けてしまった。自分で言うのもなんだが、冒険とは何か、ということについて書いた文章の中では、最も本質をついていると自負している。もちろん解説なので、原型は本多さんの冒険論にあるのだが……。ちなみに、本多さんご本人にも喜んでいただけたようで、お礼の手紙をいただいた。

あと、この本では驚いたことがもうひとつあった。

なんと、著者プロフィールのところに、本多勝一の素顔の写真がのっているのだ。いつ、カツラとサングラスを外したのだろう……。こんな顔してたんだ。初めて見た。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルトダウン

2012年03月20日 23時24分15秒 | 書籍
メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故
大鹿靖明
講談社


大鹿靖明『メルトダウン』を読む。

最近、これほどのめり込んで読んだノンフィクションは他にない。原発事故発生直後の緊迫したやり取りから始まり、その後の管内閣の原発、エネルギー政策決定の過程や、経産省の現体制維持を目的した反動的な動きに至るまで、現在知り得る限りの舞台裏をスリリングな筆致で描ききっている。

事故発生直後の東電幹部の無能ぶりや、その後の経産省幹部の姑息な暗躍や策動は、怒りを通り越して、あきれ返ってしまった。昨年の震災発生当時、私は北極にいて、事故や政治の詳しい動きについて詳しく知る機会がなかったため、帰国後に原発関連の本を何冊か貪るように読んだが、それでもこの本ほど、東電、官邸、霞が関の当事者たちの動きを生々しく伝える作品は他になかった。こんな人間たちに国の根幹にかかわる政策のかじ取りを任せているのかと思うと、心底いやになる。

『ヒルズ黙示録』を読んだ時も、ライブドア関係者に思いっきり肩入れした熱い筆致に感動させられたが、本書はもっと義憤に駆られて書かれたような感じがして、その怒りがぐいぐいこちらにも伝わってくる。こんなに読んでいて頭にくる本もないだろう。

細かい部分だが、情報源を本文の中に盛り込むのではなく、巻末の脚注にまとめて提示しているところなどは、アメリカの調査報道系ノンフィクションの手法を取り入れていたのだろうか。「~によると」みたいな情報源を提示する文言があまりないので、小説を読むように、つっかえることなく一気に読むことができる。

大鹿さんはジャーナリストとして今、日本で一番力のある書き手ではないだろうか。事故発生から一年でここまでの記録をまとめる手腕は、圧巻の一言。とにかく多くの人に読んでもらいたい本だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『宿屋めぐり』『パンク侍、斬られて候』&米子不動黒滝

2012年02月28日 21時41分23秒 | 書籍
宿屋めぐり
町田康
講談社



パンク侍、斬られて候 (角川文庫)
町田康
角川書店


最近、町田康の小説『宿屋めぐり』『パンク侍、斬られて候』を読んで、大変な目に遭った。

私は別に文学には全然詳しくないが、日本の現代作家で天才と呼べる人がいるとすれば、それはやはり町田康だと思う。二冊とも内容が哲学的で、今、私たちの目の前の現実がどこまで本当なのか、虚構なのか、何が本当で何が本当でないのか、強烈にわけのわからない文体で解き明かそうとしている。デカルトのコギトエルゴスム(我思う、ゆえに我あり)を日本語に翻訳して、長編小説にしたらこうなるんだろうなあ、という感じだ。

『パンク侍』の高橋源一郎の解説が秀逸で、この小説はもうすごすきて訳が分からないという感想を吐露して、解説自体、訳が分からなくなっている。

この人の小説を読むたびに、なんでノーベル文学賞をとらないんだろうと不思議になるが、でもよく考えたら、こんな文体、外国語に翻訳できないから当たり前なのかもしれない。翻訳されてるのだろうか。その辺はよく分からない。

大変な目に遭ったというのは、一つは『パンク侍』に出てくる腹ふり党に感化されて、時々、家で腹を振ってしまうことである。とりわけ酔っぱらって時は腹を振ってしまう。今も酔っぱらっているので、これから振ろうと思うのだが、腹ふり党の実践活動はふざけているように見えて、実は意外と奥が深いんじゃないかと私はにらんでいる。単調な動作を連続させるという行為は、世界における自己の存在を認識する上で極めて有用な身体活動のような気がするのだ。

ということで、私は『パンク侍』を読んでから、時折、家で思い立ってように腹を振ってみるのであるが、これが実に難しくて、人間、なかなか腹は振れないということに気づかされる。腹を振っていると思っていても、実は振っているのは腰で、腹ってどうやってふるのか、全然わからないのだ。しかも私は腰痛持ちなものだから、腹を振ろうとして、腰を振って、腰が痛くなったりしている。

もう一つは、実務上の問題だ。

現在、私はあるエッセーを書いているのだが、それがたまたま『パンク侍』の読書期間と重なり、町田康の文体に思いっきり引きずられてしまったのだ。もう書いている間は変に覚醒していて、腹を振るがごとく、ポンポン言葉が出てきて、もう俺って天才なんじゃないかとすごい勢いで二日間、のりのりで文章を書いていた。そして恥ずかしいことに、実際、知り合いに、俺って天才かもしれないと言ってしまったりもしていた。

しかしパンク侍の洗脳が解けた後に読み返してみて、私は愕然とした。この文章、終わっている……。終わっているし、終わりすぎている。こんなもの、絶対に人目に触れさせてはいけない。ああ、恥ずかしすぎる! そう思って、すっかり落ち込んでしまったのである。

あのノリノリだった二日間は何だったのだろう。町田康の小説は絶対に自分の作品を書く時に読んではいけない。

   *    *

週末は沼田のS野さんと、米子不動の黒滝を登って来た。ばっちり氷ってました!



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笛吹川

2012年01月31日 00時29分25秒 | 書籍
笛吹川 (講談社文芸文庫)
深沢七郎
講談社


深沢七郎『笛吹川』を読む。本の雑誌の、三万円の図書券で好きな本を買う企画の中で選んだ一冊だ。

舞台は戦国時代の甲斐。武田信玄が生まれた時から、勝頼が死ぬまでの、六代にわたる農民一家の物語なのだが、いやはや、とんでもない小説だった。最初は場面展開が早く、話の主語がすぐに変わってしまう文体にとまどったが、慣れると、深沢七郎独特の土俗的な世界観にずるずると引きずり込まれ、一気に読み終えた。

解説の町田康の言葉を借りれば、この物語に書かれているのは、どうしようもないことに直面したとき、人間はどうなるのかということである。いくさ、大水、お館様などなど、この農民一家の周りでは、どうしようもないことが結構、気軽に頻発し、それに振り回されて人々が簡単に死んでいく。簡単に言うと、命が軽くて、そのことを登場人物は変に達観している。

おそらくこの物語が現代の私たちに異様な迫力を感じさせるのは、私たちの周りに、こうしたどうしようもないことがなくなってしまったからであろう。いや実はあるのだが、少なくても私たちは日常生活の中で、どうしようもないことがあることを、ほぼ意識しなくなった。そして、どうしようもないことに振り回される世界を異質なものに感じる一方、それを意識しなくなってしまった自分たちの世界の平たさにも気がつき、心のどこかで、あっちの方が本当だったのではないかという気にさせられるからである。

個人的には『楢山節考』よりも傑作に思えた。いや、読んだ時期の問題なのかな。自分の年齢や経験のせいなのかもしれない。『楢山節考』も読み直そうかな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近読んだ本

2011年12月23日 10時21分30秒 | 書籍
ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)
ローワン・ジェイコブセン
文藝春秋


連載の執筆で忙しくて、ブログを書く余裕がない。最近読んだ本の中から、印象に残ったものをいくつか紹介する。

ローワン・ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』
世界レベルで起きたミツバチの大量死の原因を、スリリングな筆致で迫ったノンフィクション。優れた探偵小説は云々……、といううんちくが何カ所かで書かれている通り、ダニ・携帯電話、農薬など、大量死を引き起こした容疑者が次々と登場し、優れたミステリーなみに全体の構成と文体が練られている。要するに読み始めたら止まらない。

ミツバチがこんなに農業に深く関与していることも知らなかった。たまたまミツバチは私たちの食料生産に深く関与した、いなくてはならない「家畜」なので大量死は社会問題としてクローズアップされたが、他にも同様に大量死している昆虫や虫はたくさんいるだろうという。最終的には私たちを取り巻くシステム全体がおかしなことになっていることに目を向けさせる。

代替医療のトリック
サイモン・シン、エツァート・エルンスト
新潮社


サイモン・シン、エツァート・エルンスト『代替医療のトリック』
『kotoba』編集長の田中さんに、面白いと紹介されて読んだ。鍼、カイロプラクティック、ホメオパシー、ハーブ療法という四つの代表的な代替医療について、臨床試験的な観点から本当に効果があるのかどうかを検証したもの。いずれも効果のほとんどはプラセボ効果で、医学的に見て症状は改善しないとしている。

なんということだ。私は鍼は医学的な見地から見て、効果があるものと思っていた。その昔、西荻窪の土木会社でアルバイトをしている時にぎっくり腰になって、社長が、よく効く鍼師がいるからとある鍼師のところに連れて行ってくれたことがあった。効果はてきめん、二、三日で歩けるようになり、一週間ほどで職場復帰できたのだが、あれはプラセボ効果だったのか! 基本的には自然治癒で寝ているだけでも治るらしい。そりゃそうだ。若かったんだから。

ぬるい毒
本谷有希子
新潮社



本谷有希子『ぬるい毒』
本谷さんは美しいので昔からファンである。でも本は読んだことなかった。
どこかの雑誌の編集部から、誰か対談したいひといませんか? と聞かれた時に、本谷さんと答えるため、自分の作品とテーマ的に何か共通点がないか探そうと思って読んでみた。

残念ながら、なかった。他の作品も読んでみよう。

透明人間の告白 上 (河出文庫)
H・F・セイント
河出書房新社


H・F・セイント『透明人間の告白』
本の雑誌が選ぶこの三十年で一番の本という帯に惹かれて買った。男なら誰でも小さい頃、透明人間になったら、あんなこと、こんなことと妄想したことがあるだろうが、この本はそういう本ではない。

現代(といっても80年代みたいだが)のアメリカ社会で透明人間として生きていくことがどれだけ大変か、ということが上下二巻にわたってたっぷりと語られる。あんなことや、こんなことは、ちょこっとだけする。

ちなみにこのブログを書くために、アマゾンのアファリエイトの検索ボックスに「透明人間」と打ち込んだら、エッチなDVDだとかアニメがずらりと並んだ。やっぱりそういうことなのね。なお、この著者は明らかに巨乳好きで、女性が登場するたび、しつこく胸について描写する。そこは非常に良い。


本の雑誌と言えば、今年の三冊に『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』『マザーズ』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』の三冊を選んだ。いずれも新潮社だが、他意はない。

本の雑誌343号
クリエーター情報なし
本の雑誌社










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

2011年11月09日 23時02分07秒 | 書籍
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田俊也
新潮社


増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読む。とんでもない傑作ノンフィクションだ。著者は柔道出身者。執筆までに十八年あまりかかったというが、その偏執的なまでの木村政彦と柔道に対する愛情に圧倒された。

木村政彦は主に戦前に活躍した史上最強と呼ばれる柔道家だ。密かに柔道ファンである私は、木村政彦が力道山に敗れたことや、プロレスラーになってブラジルに渡り、グレイシー柔術のエリオ・グレイシーに勝ったことぐらいは知っていたが、まさかこれほどの柔道家だったとは。

木村政彦が力道山とガチンコでやってまけるわけがなく、それを証明するために著者は取材を始める。27歳の時だ(本の出版時は45歳)。本書は木村の柔道を解剖するために、ほとんど柔道史すべてを網羅した本になっている。つまり木村政彦は戦前の古流柔術や高専柔道の流れを受け継ぎ、現代の総合格闘技すら先取りしたあり得ないファイターだったわけだ。

あまりにも木村政彦と柔道に対する愛が溢れすぎて、時々、情報の信ぴょう性を疑いたくなる部分もないではないが、しかしもし冷静に記述していたら、逆に本の価値は下がっていたに違いない。熱すぎるまま突っ走ったところが、この本のすごいところである。そしてそうした徹底した取材に基づいた、力道山との試合に関する著者の最終的な結論、というか告白は圧巻だった。これこそノンフィクションだ。すごい。読後は木村政彦の大外刈りを食らって、脳震盪を起こしたような気分になる。

わたくしごとになるが、今月の『群像』12月号にエッセイを書いた。最近、コンパで全然もてないというどうでもいい話なのだが、目次を見ると、増田さんもエッセイを書いていた! 

題は「女性を強く感じた瞬間」。

読んでみると、こちらもすごすぎる。なんだかダブルで寄り切られた気分だ。

群像 2011年 12月号 [雑誌]
講談社



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会のお知らせ&アフガン諜報戦争

2011年11月02日 02時02分21秒 | 書籍
地元の北海道芦別市で講演会を開きます。

「冒険することと書くこと」
5日午後6時半から、芦別市総合福祉センター大ホール。入場無料
主に北極圏の冒険旅行について話す予定です。

   ☆   ☆

アフガン諜報戦争(上) ─ CIAの見えざる闘い ソ連侵攻から9.11前夜まで
スティーブ・コール
白水社


スティーブ・コール『アフガン諜報戦争』を読む。本文だけで約800ページの大冊。細かな文字がぎっしりで読み応え十分だ。

ソ連の侵攻からアフガンの歴史を振り返り、そこにCIAがどのように絡んでいたのかを膨大な資料と関係者のインタビューで構成している。サウジとパキスタンの情報機関と、アフガンの政治勢力、とりわけタリバンとの関係が興味深かった。タリバンやビンラディンの背後でサウジとパキスタンがどのような動きをしていたのか、この本を読むとよく分かる。同じ白水社のローレンス・ライト『倒壊する巨塔』と併読すれば、現代アフガン事情に精通すること間違いなしだ。ただし、双方とも分厚すぎて、読み終わった頃には細かなところを全然覚えていないという欠点がある。あともう少し話を先に進めて、ラストにしてほしかった。どっちか読むなら『倒壊する巨塔』のほうが面白い。

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道
ローレンス ライト
白水社



実はアフガン、イラク関係のノンフィクションは大好きで、本屋で見つけたものは大体読んでいる。『誰がダニエル・パールを殺したか』とか『ホース・ソルジャー』だとか。これだけ読むと、いい加減アフガンに行きたくなってくる。最近はタリバンも息を吹き返しているようだし、米軍も撤退するし、また熱くなるのだろうか。

アフガンものじゃなくてもアメリカの分厚いノンフィクションはなぜかよく読む。最近は他にもA・J・ジェイコブズ『聖書男』を読んだ。これは約600ページ。現代ニューヨークで聖書の教えを教条的に守って生活した記録。企画は最高に面白いが、日記なので途中で飽きてしまった。家にある未読本としてはデイブ・カリン『コロンバイン銃乱射事件の真実』があるが、これは面白そう。こちらは約500ページ。

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記
A・J・ジェイコブズ
阪急コミュニケーションズ



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マザーズ

2011年10月27日 13時29分38秒 | 書籍
マザーズ
金原ひとみ
新潮社


金原ひとみ『マザーズ』を読む。

私は結婚もしていない三十代半ばの独身男で、かねてから子供ができるということ、それによって世界観がどのように変わるのかということに強い関心があり、かつ子供もいない自分に少なからぬコンプレックスを抱くルサンチマン野郎である。

これほど母親になるという事実を赤裸々に表現した小説は初めてだ(といっても母親ものは角田光代の『八日目の蝉』ぐらいしか読んだことはないが)。子供を産み、育てることの正の側面と負の側面が、最も鋭角なかたちで表現されている。倒錯した心理描写を一気に読ませる文章力にも脱帽。著者の心情が素直に表現されたラストもよかった。すばらしい作品だった。

多くの女性が、私が行っているような冒険に共感しないことも、この小説を読んで分かった。女性は胎内に子供=究極の生を抱えるので、わざわざ本当の生を求めて外で危険を冒す必要などないである。よく考えてみたら当たり前のことだ。マーク・ローランズ『哲学者とオオカミ』や国分拓『ヤノマミ』など、自然=生、死=生みたいな要素を隣に置いて、生きることを論じるような本を金原ひとみが読んだら、当たり前じゃん、ということになるのだろう。

昔、サバイバル登山家の服部さんから、「かくはたくん、子供は山だよ」と言われて、この人、何言ってるんだろうと思ったことがあったが、そういうことだったのか。

読後の感想を一言でいうと、おれも子供を産みたい! ってそれは違うか……。

あとこんなに面白い小説なのに、アマゾンのレビューはそれほど高くない。アマゾンのレビューなんてまったく気にしなくていいことも分かって、それもよかった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1491」と北西航路お知らせ

2011年10月05日 12時36分51秒 | 書籍
1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
チャールズ・C・マン
日本放送出版協会


チャールズ・C・マン『1491-先コロンブス期をめぐる新発見』を読む。1492年にコロンブスがアメリカに到達するまでの、北米と南米のインディオの文化を、最新の考古学的知見から明らかにしたもの。

コロンブスがやってくる前のインディオといえば、インカやアステカといった特殊な文明をのぞき、原始の森や太古から伝わる自然の中で、
狩猟採集をおこないながら静かに暮らしていた人々。一般的に私たちはそう考ているだろう。しかし、この本はそうした従来のインディオ観をことごとくくつがえす。インカやアステカだけでなく、北米大陸やアマゾンですら、当時はヨーロッパに劣らないほどの人口を抱えた文化が栄えていたというのである。その文化を一瞬で破壊に追いやったのは、残虐なスペインのコンキスタドールではなく、むしろ、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病だった。

本文が600ページほどの浩瀚の書だが、文体は独特のユーモアに満ちていて、読んでいて飽きがこない。内容も知らないことが次から次へ提示されスリリングだ。だが、この著者の一番素晴らしいところは、徹底した取材に基づいた独特の視点で全体を貫いていることだろう。それは、当時のインディオは自然に翻弄されながら生活していた従属的な存在だったわけではなく、自然に積極的に働きかけ、むしろ自然を管理した自立した存在だったという視点である。その証拠として著者は、北米の大草原はインディオが野焼きによって作りあげた人為的な自然であること、あるいはアマゾンの熱帯雨林も原初の自然なんかでは実はなく、インディオが食料を確保しやすいように手を加えた果樹園のようなものであるという学説など例にとり、説得力のある論を展開するのだ。そして読者は常識をひっくり返され、ぶったまげるという仕組みになっている。

とても面白かった。暇な人にはおすすめである。

   *   *

お知らせ。ナショジオのウェブサイトに、私の短期集中連載「北西航路」の三回目がアップされました。ご覧になってください。

http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110927/285308/index.shtml




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイ・バック・ページ

2011年09月17日 09時44分32秒 | 書籍
マイ・バック・ページ - ある60年代の物語
クリエーター情報なし
平凡社


川本三郎『マイ・バック・ページ』を読む。当時、筆者は朝日新聞の週刊誌記者。取材で付き合っていた左翼活動家が、過激な行動に走り、自衛隊員を殺害してしまった。事件の前後に犯人を取材していた筆者が、この事件にどう対応するかが物語のポイントだ。筆者は結果的に証憑隠滅の容疑で埼玉県警に逮捕され、朝日新聞をクビになるのだが、こうした場合、ジャーナリストにとっての金科玉条とされている「取材源の秘匿」の原則は適用されるのかどうか。

当時の筆者は、この犯人は左翼思想に基づき事件を引き起こしたのだから、ただの殺人事件ではなく思想犯であり、「取材源の秘匿」は適用されうると考えた。だから逮捕されても最初は口を割らなかった。しかし一緒に取材した先輩記者は、これはただの殺人事件であり、思想犯ではないので、「取材源の秘匿」は適用されないと判断し、市民の義務として警察に通報した。

読者としては、この犯人は思想犯ではなく、60年代的な時代の雰囲気に追いつきたいという、犯人の勝手なルサンチマンが引き起こしたただの殺人事件であるとの印象を受けた。だが、「取材源の秘匿」が適用されるかどうかという問題は、犯人が思想犯であるかどうかということと、何か関係あるのだろうか。事件が政治的事件であろうとなかろうと、たとえどんなにおぞましい殺人事件であっても、ジャーナリストが取材者として事件の当事者と接触した限り、そのことを記事にしたとかしなかったとかも関係なく、「取材源の秘匿」は適用されてしまうのではないだろうか。

私は60年代や70年代の雰囲気を知らないので、当時の時代の雰囲気を肯定するか否定するかという観点では読まなかった。取材者と取材先との人間関係の仁義の難しさについて考えた。しかし、こうした仁義の問題に思想犯かどうかという尺度が導入されてしまうあたりが、60年代的だったということなのかもしれない。

映画は見ていない。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雪男は向こうからやって来た」発売

2011年08月25日 22時00分00秒 | 書籍
雪男は向こうからやって来た
クリエーター情報なし
集英社


わたしの第二作となる『雪男は向こうからやって来た』が発売されました。

アマゾンなどのネットショップには在庫があるみたいで、都内の大型書店でも並んでいました(本日夕方、池袋ジュンク堂、神保町三省堂で確認。新宿紀伊国屋でも並んでいたそうです)。

この本は、わたしが朝日新聞退社後に参加したヒマラヤの雪男捜索隊の記録と、同じ場所で過去に雪男を目撃したり、その捜索に執念を燃やした男たちのルポを交差させたノンフィクションです。このブログを読んでいる方は必読。友達にもどんどん勧めましょう。ツイッターやフェイスブックに、ガンガン書き込んでください。あ、ツイッターを始めるのを忘れていた!

お知らせついでに恐縮ですが、ナショナルジオグラフィック日本版のウェブサイトで、26日から「北西航路」という北極探検史にまつわるエッセーの連載が始まります(午前10時すぎに更新されるそうです)。今回の北極圏徒歩旅行の話しもちょっと絡ませながら、なぜ探検家は北極を目指してきたのか、という点に焦点をあてて書きました。わかったようなわかんないような話かもしれませんが、覗いてみてください。

ナショナルジオグラフィック日本版公式サイト
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/web/

さらについで。

マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』を、3週間かけて読み終わる。長かった。でもすごかった。

おっと、この本を買わずに、『雪男――』を買ってくださいね~。

世界終末戦争
クリエーター情報なし
新潮社

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする