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敬称略

2011年02月14日 20時15分42秒 | デジタル・インターネット
例えば、スポーツ選手について語るとき呼び捨てが基本である。
テレビの実況や解説でもたいていは敬称を省いており、使っても「監督」「選手」という言葉を敬称として利用している。まれに後輩にあたる解説者が先輩にあたる選手に対して「さん」付けなどすると違和感を覚える。

スポーツを語るという行為は第三者的な立場である観客側から語る行為であり、呼び捨てにするのは対象を非日常の存在として切り離すもので、一種の神格化にあたると言えるだろう。すごいと思うからこそあえて敬称を付けない。

以前、TV番組の中でイチローが彼に声を掛ける少年ファンに「さん」を付けろと言っていたが、呼び捨てにする関係は当然対象の選手と観客が離れているからこそ成り立つもので、対話する場面ではまた別の関係となる。
日本語の常識として、「さん」や「選手」などの敬称を付けることが一般的だ。

スポーツ選手に限らず、芸能人など公的な存在に対し敬称を付けないことは多い。ただ一般紙の場合は、基本敬称付きでスポーツ選手に限って略している印象。スポーツ紙の場合はスポーツ選手及び芸能人に敬称略といった感じか。

このブログは評論・批評のつもりで書いているので原則敬称略である。作家や漫画家などに対して呼び捨てにするのは、スポーツ選手を呼び捨てにするときの心情に似通うものもある。
「かきふらい」なんて敬称を略すととても語呂の悪い名前の漫画家もいたりするわけだが、原則を曲げちゃいけないかと思っている。
とはいえ、過去ログを見たらこの原則に反している例はいくつでも見つかりそうだけれど。




Twitterは敬称略の文化を現在もキープしている。文字数の制限が主たる理由であるが、敬称略であることをTwitterの魅力であると語る人もいる。
Twitterは著名人も一般人もフラットな関係であるという理念のようなものがあり、それもまた敬称を付けない理由だろう。

ワールドカップの時にTwitterを利用したSNSがあった。試合ごとに対戦する両チームの席があり、どちらかのチームのファンとなってTwitterを繰り広げる。Twitterの歴史が浅いこともあり、ローカルルールのような感じでそこでは「さん」付けが普及していたが、違和感を覚えたものだ。
先日も広告Tweetが送られてきたときに「さん」付けされていてうわぁと仰け反ってしまった。

敬称をあえて排除する方向で書いているこのブログで意図的に敬称を多様しているのが他人様のサイト名である。GoogleやAmazonなどは敬称を付ける発想もないが、一般のサイトの名を出すときは敬称を付けている。
別に「奇想庵」を「さん」付けして欲しいと思ったりはしないのだが、むしろ「さん」を付けさせてもらうことで同じウェブ上の同志感覚を味わっているのかもしれない。「読書メーター」さんあたりになるともう敬称付ける方が失礼かと思わなくもないけれど。

ちなみに、「さん」「様」論争は昔々に見たことがある。ウェブ上はできるだけフラットであって欲しいと願う派なので、私自身は「さん」派。基本的にそこの管理人の付ける敬称に合わせておけば良さそうにも思えるけれど、特に規定していない限りは好みの問題と言っていいかも。
私が「様」を付けるのは世界でただ一人シャントット様をおいて他におりませぬが(ぉぃ


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