奇想庵@goo

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縦書きは滅びるか?

2011年02月09日 21時27分06秒 | デジタル・インターネット
Web上の日本語の文章の大半は横書きである。

一方、リアルの活字文化は今も縦書きが主流と言えるだろう。しかし、報告書などの文化と呼べない方面では横書きが当たり前になっている。新聞、雑誌、本が孤塁を守っている状況だ。

新聞や雑誌の記事が縦書きである必然性はない。実際、新聞社のニュースサイトも全て横書きだ。それで何も違和感はない。

問題は小説である。
小説だけは横書きに違和感を覚える。横書きで書かれた小説も少ないながらもあるし、それに抵抗を感じたりはしないのだけれど、モニター上で横書きに記された小説にはすんなりとは入っていけない。
これは単に慣れの問題なのだろうとは思う。

しかし、慣れだけに簡単には受け入れがたい。テキストファイルであれば縦書きで表示されるソフトもあり、それを使ってカバーは出来る。電子書籍でも縦書きで読めるものも少なくない。

日本語の書き言葉の歴史は縦書きだったからなんて大仰なことを言うつもりはない。ただ縦書きで書かれたものは縦書きで読むのが筋ではないかと思う。
特に小説の場合、著者は時に物語の内容だけでなくその見栄えにさえ気を使う。

印刷されたものであれば、縦書きも横書きも変わらないと思う人もいるだろう。すべての書き手がそうだと言うつもりはないが、書き手にとっては縦書きと横書きは大いに違うものだと思う。

文章という表現手段を取る者にとって、中身だけでなく外見も大切だ。現実には様々な制約があり、著者の思い通りになる部分は多くはない。そこまで気を使う作家ばかりでもない。

将来、小説を横書きで読むことにまったく抵抗のない世代が増えることは間違いない。機能として縦書きで読めても、その機能を使わずに電子書籍が読まれることになるだろう。
それでも、縦書きで書こうという書き手、縦書きで読んでもらいたいと思う書き手がいる限りは滅びないと信じたい。
そんな書き手が減っていくことも時代の流れなのだろうけれど。

過去に書かれたものは縦書きで読んでこそ書き手の想いが伝わると思うのはただの感傷に過ぎないのだろうか。


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12 コメント

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おはようございます。 (名無し)
2011-02-10 05:56:13
京極先生は逸早く電子書籍の分野に関わろうとした一人ですが、出版する自分の著作全てに偏執的な『文章としての映り』を重視する人ですね。
縦書きとして見て、その文章が美しくアウトラインされているかどうか、ということを重視していたように思います。
電子書籍でもそれは同じだったと思いますが、これは京極先生が見据える一つの形なのかなあ、とか。
京極先生ほど意識している作家は多くなくても、縦書きには縦書きの意義があるという意識は消えはしないんじゃないかな、とは思います。書店が原稿の書籍を扱う限り、その連続性は(簡単には)なくなりはしないでしょうし、既に縦書きを受容している層は常に増え続けているので、多分大丈夫なのでは、と。
日本の漫画とアメコミの差でも同じようなことが言えますが、漫画のフキダシでは大半が縦書きでセリフを書かれていますし、これはある程度の割合で日本人の文章認識に縦書きが食い込んでいる証拠ではないかなとか。もちろん日本人も日本語の意識も変容してきましたし確実な事は何も言えませんが、緩やかな淘汰が起こるのか、はたまた淘汰圧にもならずに『一つの潮流』として存在するだけなのか、ですかね。

ノベルゲームなどは横書きが主流のようですし、その分野に慣れている奈須きのこなどの例を考えると、最初から横書き特化、という例もこれから増えるのかな、と思ったりもします。
とはいえ、多分これは作家に拠る部分も大きくて、講談社BOXはこれから電子書籍に乗り出していくようですが、あそこの作家(の一部)が横書きにしていたらちょっと違和感を覚えるかとは思います。
個人的には横書きで特に違和感を覚えたりはしないのですが(偶に青空文庫などを読んでいたので)、やはり縦書きとは別の読後感があります。
特に古典は、横書きだと圧倒的に「データとして読んでいる」感じが強くて、気に入ったら文庫で買い直す、くらいのイメージですね。
これは印刷前の原稿を横書きで読むのと、印刷後の原稿をゲラで読むことの違いと同じで、マテリアルとしてアウトプットされた『作品』であることの意味以外にも、「そう読まれることを意図して作られた」文章であるから、というのは確実にあるのではないかと思っています。文体は文字の連なりでも、無味乾燥なデータの羅列ではありませんし、そうした意識はなくならないのではないかと。
そう言った意味でも、携帯小説は「別の位相」が生まれたターニングポイントだったのでしょうけれど。
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京極さんはインデザインを使って執筆されてるんで... (しずる)
2011-02-10 17:15:40
縦書き、横書きのどちらが良いのか、という問題は、結局のところ、読み手の環境や経験に左右されるんじゃないでしょうか。
小説を縦書きで読んできた人なら、小説は縦書きで読むもの、という経験が身についているからそれが自然だと感じる。これが、web小説やケータイ小説で育ってきた人なら、むしろ横書き=小説となる。
結局、作家さんがいったん作品を発信してしまえば、その制作の意図がどうであれ、あとは受け取り手の問題になるわけで。その受け取り手の感性の差異が、作品の解釈の幅を広げていくことにつながっていくのだから、縦書きで書かれたものは縦書きで、と読み方を無理に縛る必要もないんじゃないでしょうか。
それに案外、横書きを読むのに慣れている人が横書き小説から受ける感覚は、縦書き好きの人が縦書き小説から受けとる感覚と、それほど変わらないかもしれませんよ?・・・検証なんてできないことですけど。

あと、受け取り手の感覚はけっこうあいまいですしね。web小説を出版するとき、たいてい横書きを縦書きになおして出してますけど、自分はたとえば文庫版SAOを読んでもそれほど違和感を感じませんでした。というより、元がweb小説という知識がなければ、「もともと縦書きで書かれた小説」として読んでいたと思います。人間の感覚っておおざっぱというか、けっこういい加減なんじゃないかなーと。自分がニブイだけ、という可能性は意図的に排除してありますw

まあ、ここまでタテでもヨコでも好きな方でいいんじゃない?なんて勝手なこと書いといてアレですが、自分はバリバリの縦読み派です!w
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To 名無しさん (奇天)
2011-02-10 22:37:53
偏執的ですよねw

この記事は当然京極夏彦の独自ルール?を想定して書きましたが、あそこまでする作家は他にいないでしょう。
実際にレイアウトを気にする作家がどれほどいるかは分かりませんが、例えば漢字で書くかひらがなにするかだって、著者の表現ですしね。
まあ昔の作家だったら、PCや携帯、電子書籍で読まれるなんて想像もしていないわけで、著者が影響を及ぼす範囲はたかが知れているとも言えますが。字体だとか改変されたりもしますし・・・。

ノベルゲームは小説か?という問題もありますが(私自身は小説の範疇と見なしていますが)、モニター上では横書きが圧倒的に優勢ですね。
単に仕様上の問題ではなく、短い文章を次々と読むにはその方が適していると思います。
昔、映画の字幕には下に横書きで入れるものと横に縦書きで入れるものがありましたが、今は下オンリーだと思います。この場合は横書きじゃないと読みにくいのは間違いありません。

じっくり読むのはともかく、早く読むには横書きが合っている気がしますね。そして、速い事が美徳な風潮に合っているようにも思えます。
じっくり読むのに縦書きが適しているかどうかは、本人のこれまでの経験や相性なのかもしれませんが。
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To しずるさん (奇天)
2011-02-10 23:00:36
今はPCを使って執筆されている作家がほとんどだと思うのですが、執筆向きの縦書きのワープロソフトって普及しているんでしょうかね?
漫画では有名なソフトがあって、BSマンガ夜話でいしかわじゅんが漫画家がそのソフトを使っているかどうか分かるみたいな話をしてしましたが。
小説だと一太郎+ATOKが定番なのかなとは思いますが、使ったことないので・・・

受け取り手の自由は確かにそうですね。縛り始めればなんでも原典に当たれって話になっちゃいますし。翻訳もの読めなくなりますし^^;
どこまで作り手の意図を汲み取るべきなのかは難しい問題ですね。横書きで書かれた小説でパッと思いつくのは、『数学ガール』『医学のたまご』といったあたりです。
『数学ガール』は数学の教科書っぽい内容なので横書きが当然ですが(Web発ということもありますし)、『医学のたまご』は海堂尊の小説で近未来が舞台、主人公が少年(中学生)でメールでのやり取りが随所に挿入され、横書きが合っている印象を受けました。しかし、読書メーターのコメントでは横書き不評の声も少なからずありました。

電子書籍が普及してもすぐに縦書きが滅びることはないと思いますが、Webの場合書く側も読む側も横書きしかほぼ選択肢がないのが不満ですね。
先にワープロソフトの話をしましたが、問題はツールなのかもしれません。
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執筆をされるとき、一太郎+ATOKはやっぱり定... (しずる)
2011-02-11 01:59:35
私は学習参考書の編集なんであまり小説の場合の参考にはならないかもなんですが、センセイの原稿はワードか一太郎のどちらかって印象でした。

入力のツールは案外縦書き対応のものってあるんですけど、結局web上で表示されるときがネックですよね。現状だとどうしても横書きになっちゃいますし。

ただ、電子書籍の場合だと、いまのとこPDFが中心なんで縦書きのものは縦で出そうな気もします。まあ・・・いまの日本の出版界の様子をみるかぎり、このまま小説が一気に電子書籍化って感じにはならなさそうなので(いろんな問題が山積み状態ですし)、当分は紙媒体のままではないかという気もします。
いま電子書籍をメインに競っているのはコミック(おもにエロ)ですしねw
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>奇天様 (名無し)
2011-02-11 20:07:26
ああ、京極先生を意識されてましたかw
書いた後で思いましたが、やっぱり例としては極端でしたね。人気作家でないとやれませんし。だから人気がある、とも言えますが。

読後感ですが、自分の場合は英文小説なんかで結構違和感を覚えることが多くて、WEBで無料発表されてるSFなんかを読むと(ちゃんとアンソロとして売られてるもの)、これなら本で読んでも変わらないじゃないか、とか思うんですよね。
英文で縦書きは有り得ませんが、ペーパーバックなんかだとどうも画面で読んでも同じ、という意識が先に立ってしまって。
本で読みたい、という受容は向こうでも厳然とあるようなので、このへんは感じ方の差に寄与する要素でしかないのでしょうけど(それこそ青空文庫に登録された作品を買うのと同じで)。

>ノベルゲーム
縦書きだと、ミステリ系の某ゲームなどが思い浮かびますが、横書きの方が大半みたいですね。ここで紹介されていた「ひぐらし」も横書きのようですし。
携帯小説の場合、そもそもセンテンス自体が短く区切られるのも特徴ですしね。その方が「らしい」とも言えますけれど。本来の携帯小説の受容層と、WEB小説を単に携帯で発表している層の差を見ると、センテンスがやたら長い後者、という見分けが付き易いです。
とはいえ、携帯の場合は画面のサイズがサイズなので、どうしても前者の方に特化していくのは当然ですし(携帯ユーザーが「携帯で」見て書くので)、これはやはりどこの文化であるか、という事ではあると思いますけれど。
あとはまあ、横書きの方が読み易い、というのには多分生理的な問題もあって、眼球を動かす筋肉が縦方向の運動にはあまり向いていないから、と言うのがあるかなと思います(そも目が左右に並んでいるのもありますが)。
必然的に効率重視となったかどうかは解りませんが、現在のPCのフォーマットを作ったのも横書きの文化圏ですしね。そういう意味では、「可読性」では横書きかな、とは感じます。それとは別に文化として存在するレイヤーとして、日本人は縦書きに負うところがあるのではないか、とも思うのですが。
突き詰めると、これも「慣れ」の問題なんでしょうけどね(苦笑)。それ以外の話だと文化圏の文字媒体の成立の話になってしまいますしw

>しずる様

京極先生の場合、フォーマットに合わせて改行改稿の調整、それに更に合わせて文章の調整もしていますからね。普通なら文章に合わせるのにw
あれだと買い直すのも特に苦はないと言うか、全シリーズ全種類で持ってます。特に狂骨の修正作業は壮絶なデキでしたし。

SAOは未だ未読なんですが(苦笑)、ちらっとWEB版を読んだ限りでは、どちらで読んでも違和感のない内容だったかなと。
あとはまあ、やはり読んでいる時の感覚ですかね。
ぶっちゃけ、自分の場合は「縦書きの方がカッコいい!」みたいな感覚があるような気がします。提出する時に縦書きにすると、おお、データから形になった、みたいに感じたりしますのでw

>ソフト
西尾維新はワードだとファウストか何かで読んだ憶えがあります(滝本滝彦か佐藤友哉だったかも)。
縦書きで執筆してるかどうかまでは読まなかったんですが、常時レイアウトの見栄えさえ考えなければ横書きの方がタイプはしやすいように思うんですけどね。
京極先生は一太郎っぽいですか。最近はまた評価も変動してますし、もう一度買い直してみようかなあ、などとw。今は一太郎から離れて久しい環境なんですが、軽い&縦書きにしても見易い、とかになってるんでしょうかね。以前使っていた時は重くて重くてw
普段の作業ではフリー/シェアで足りてしまうので、出力する時にワードを使うくらいなんですが、フリー/シェアエディタでも応用次第では市販アプリより軽かったり特化した使い方ができたり、精密作業以外では充分足りてしまったりするんですよね。

>電子書籍
本格化すると、違法DLの状況もまた変化しそうですね。ついこの間だったか、中高生の違法DLで「続ける/続けない」のアンケートなんかも惨憺たるものでしたし。
電子媒体で娯楽が安価になればなるほど流通はしやすくなりますが、低価格メディアであるかどうかを問わず、この辺りなんかも問題として表出してきそうです。これがラノベなら主な購入層と言う意味でも。
って、これは話題が逸れてしまいますが(苦笑)。
ただ、金銭面で制限が強い層間でこういう感覚が加速すると、徹底的なデータ化の問題に本格的に含まれてきそうだな、とは思っています。
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To しずるさん (奇天)
2011-02-14 20:11:40
PC以前、ワープロを所有していました。異体字の表示など一部の機能は今のPCよりも使いやすい点がありました。縦書き機能もありましたが、使い勝手が良かったとはお世辞にも言えず。それでも日本語の文章を書くという限定された機能であるがゆえに、そのための工夫はいろいろとされていたと思います。
MSワードは昔から入れてはいますがビジネス文書ならともかく小説などには向いていない感じですね。というか、フリー・シェアウェア問わず小説向きとして特化したテキストエディターやアウトラインプロセッサってほとんど見かけませんけど。

縦書きhtmlなんてガラパゴス化の極みかもしれませんが、技術レベルの問題と需要の問題ってどうなんでしょうね。Webの常識なんてあってないようなものなので、いろいろと挑戦して欲しいものですw

PDF化での電子書籍はすぐに頭打ちになっちゃうでしょうね。電子書籍ならではの愉しみがないと代用品で終わってしまうでしょうし。まあ電子書籍の話は縦書きうんぬんを軽く越えてしまうので、少し勉強して記事立ててみたいなあと思っていますが。

ビデオでもDVDでも普及させたのはエロの力ですしwww
電子書籍普及のためにエロ頑張れということでw
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To 名無しさん (奇天)
2011-02-14 20:12:05
縦書き横書きの問題とは別に、本で読むこととそれ以外の形態で読むことの感覚の違いはありそうですね。電子書籍、Web、テキストデータ、印刷されたものでも製本されていないもの、或いは手書きの生原稿(って今時レアでしょうが)などなど。
食事は舌で味わうのではなく五感全てを総動員していると言われますが、読書もまた単に目で追うだけで成り立っているのではなく様々な感覚を利用して味わっているのでしょう。
その形態の読書で満足するのか、それとも別の形態を求めるのかは、作品の質や読み手の感覚などに左右されると思います。
私自身は縦書き横書きに比べると形態はあまり気にならない性質ですけど(苦笑。

いわゆる携帯小説をちゃんと読んだことがなかったりします。それ以前に携帯を持ってないという現代人としては奇特な存在なのですが。
「読む」という行為は訓練の賜物ですし、「慣れ」の存在が非常に大きいでしょうね。横書きの小説が読めないのも単に読む努力を怠っているだけなのは確かです。一方で、横書きを縦書きにする技術があればそれを用いるのも一つのやり方であるわけですが。
テキストファイルであれば縦書きで読むフリーソフトがあるのでいいのですが、Web小説(一つ一つのまとまりが小さくそれが非常にたくさんあっていちいちテキストファイルにするのが手間)というケース(『迷宮街クロニクル』のWeb版)には不向きという点が辛いところなんですが^^;

ブログを書いたりコメントしたりするとき、たいていはテキストエディターを使います。たまに直で書いて、異次元の彼方に吹っ飛ばされるという経験を年に1、2度体験するからですが(それでも懲りずに繰り返してしまう・・・)。当然横書きで書いています。
ごく稀に小説を書こうとする場合はMSワードを起動して縦書きで書きますが、良し悪しというよりも気持ちの問題ですね。弘法は筆を選ばずと言いますが、プロにとっては大切な商売道具でしょうから、かなり気を使っているんじゃないかと想像しますがどうでしょう。少なくとも日本語変換ソフトはかなり重要だと思いますが。
エディター自体はワードや一太郎だけでなくフリーやシェアウェア使ってる人も多いと思います。PC環境にも左右されるでしょうが、軽くて使い勝手のいいソフトも少なくないですし。

電子書籍に関しては、やはり付加価値次第でしょうか。
違法DLについては、立ち読みができないことも拍車を掛けている要因かなと思います。ライトノベルの場合は店舗によって出来る出来ないがありますが、コミックなんてできるところの方が稀ですし。立ち読みの是非はありますが、限られた予算で購入を選択するには十分な情報が必要ですが、今それを集めるのは決して容易ではないと思っています。ネットで山ほど情報は溢れていますが、多すぎて取捨選択するのが難しいです。そのシリーズの短編を掲載している公式サイトなどもあるので、全てがではありませんけど。
どんどんと話が逸れるので、電子書籍についてはまたの機会にw
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>奇天さん (しずる)
2011-02-15 01:27:38
まずは風邪から快復したようで、何よりですw
ワープロ!
懐かしいですね。自分も使ってましたよ。十数年前の話ですがw 文字を打つことしかできないので、ある意味ネットなどに浮気しないですむ分、効率的だったのかも・・・。

O's Editorは物書き専用に作られたエディタでしたねえ。けっこう使い勝手はいいです。ただ、ここまでPCのマシンパワーがあがってくると、テキストエディタの利点のひとつであった「軽さ」の価値が下がってきてますよね。以前は重かった一太郎ですらエディタと同じ軽さでサクサク動いちゃいますし。それに、一太郎に広辞苑(第六版)を連動させるベンリさに慣れてしまうと、もうこの環境で十分かな?と思っちゃいます。なので今は仕事で原稿書くときはワード(キライなんですけど、使用が強制なので・・・)、家では一太郎って感じで使い分けてます。

>>電子書籍普及のためにエロ頑張れということでw

なにげにエロの貢献度って見えないところでの頑張りが凄まじいですよねw

>名無しさま

京極さんの本、全シリーズ全種類ですか!すごいですね!
私はヘタレなので新刊で読んでそれで満足してましたw 好きな作品はベタですが魍魎のハコです。あと南極シリーズとかw

一太郎は最近は文章を書くという点では改良は頭打ちなのかなって感じはしますね。マイナーチェンジを繰り返しながらちょっとづつ良くなっているような・・・。ただ、キモは間違いなくATOKなので、これが使えるならエディタは使い慣れたものでいいんじゃないかな、という気もします。

電子書籍は、ネックのひとつとしてよく言われるのは、環境を整えるためにお金がかかるということですよね。一見、低価格でデータを購入できて、ラノベの普及とかにも使えそうですけど、はたして、ラノベのメイン購入層の中高校生で、どれだけの子がiphoneやipadを用意できるのか・・・。何を隠そう私もまだもってませんw iphoneがいいのか、アンドロイドがいいのか、どれを選ぶのがベストなのかよくわからないので様子見中です。
違法DLに関しては、p2pの状況を見ただけでも、良識やら倫理やらってものは期待してはいけないんだなってのはよくわかりますしね・・・。

これ以上はスレ違いになってしまいますので、奇天さんの電子書籍記事を待つことにしますw



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寝込んでいる間に積読解消を目論んでいましたが、... (奇天)
2011-02-15 20:05:50
完調には至っていませんが、なんとか本を読めるレベルまでには回復したかと思いますw

ワープロを体験しているせいか、MSワードの使いにくさばかりに目に行ったのかもしれません。いや、お世辞にも褒められたソフトじゃないでしょうが。
今のPCに買い換えてからは、ワードの重さは気にならなくなりましたが、それでも「わざわざ」ワードを立ち上げるのは稀です。
使いにくいと頭に刷り込んじゃったせいでしょうね。
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